≡☆ 善福寺公園から妙正寺公園界隈のお散歩 ☆≡
2022/10/22 & 2023/05/03

前回のお散歩では善福寺川緑地から和田堀公園界隈を歩いてみましたが、今回のお散歩では善福寺川の源流・善福寺池のある善福寺公園から妙正寺川の源流となる妙正寺公園( 妙正寺池 )周辺を歩いてみたの。掲載する画像は一部を除いて拡大表示が可能よ。気になる画像がありましたらクリックしてみて下さいね。

善福寺公園〜井草八幡宮〜観泉寺〜妙正寺〜妙正寺公園

1. 善福寺BS ぜんぷくじばすてい 10:08着発
Map : 杉並区善福寺3-2

善福寺川の名称由来となっている寺院の善福寺が善福寺公園の近くにあると云うので、今回の散策では最初にその善福寺を訪ねてみることにしたの。そのアプローチですが、西武新宿線の上井草駅や上石神井駅辺りから歩いても良かったのですが、道が不案内なこともあり、今回はJR荻窪駅からバスを利用してみたの。追体験される際には、荻窪駅北口にある関東バス0番乗場からの荻32・武蔵関行 or 荻34・北裏行にご乗車下さいね。道路の混み具合にも依りますが、乗車時間10分ほどで到着よ。

2. 江戸向き地蔵 えどむきじぞう 10:09着 10:10発
Map : 杉並区善福寺4-1-1

3. 善福寺 ぜんぷくじ 10:14着 10:21発
Map : 杉並区善福寺4-3-6

子育地蔵
双体道祖神
シラー
シラー

・子育地蔵
境内の左手には大小4体のお地蔵さまが並び立ちますが、気になったのがこちらのお地蔵さまで、幼児を抱きかかえているところからすると子育地蔵みたいね。とても優しい表情をしているの。
・双体道祖神
替わって境内右手の植え込みの中に双体道祖神を見つけたの。長野県の安曇野辺りではよく見掛ける双体道祖神ですが、都内では珍しいわよね。年代的にはそう古くはなさそうだけど、ここに祀られるようになった背景が気になるわね。
・シラー
境内の一角でシラーが艶やかな青紫色の花を咲かせていましたが、同じシラーでもこれはシラー・ペルビアナ Scilla Peruviana と云う種類みたいね。

拝観を終えて善福寺の本堂左手に続く外塀を車道伝いに辿ると、今にも倒壊しそうな木造の小堂に御覧の石塔二基が祀られていたの。善福寺の敷地に申し訳程度の地を得て佇む風情にあるのですが、整備された善福寺の伽藍に比べると余りにも貧弱で、ちょっと違和感を覚えてしまうわね。

それはさておき、最初に目にした際には二基とも青面金剛を陽刻した庚申塔かしらと思ったのですが、よく見ると左手の石像には「 奉造立愛宕大権現・・・将軍地蔵菩薩 」とあり、右手の石仏には「 奉造立廿三夜 」の文字が刻まれることから彫られているのは二十三夜講の主尊・勢至菩薩じゃないかしら。因みに、将軍地蔵は愛宕権現の本地仏ともされることから、当地域でも一時期愛宕修験が隆盛したことが窺えるの。石仏には新しい花が手向けられているところからすると、近在の方が今でも大切に守り続けていらっしゃるようね。

4. 大和市神社 おおわしじんじゃ 10:24着 10:27発
Map : 杉並区善福寺4-14-2

事件は、実際には人間に危害を加えることがなくとも、自分達の生活圏に強い捕食動物が存在することを許さない人間の性がなせる業ね。少し感傷的になってしまいましたが、考えようによっては、この大和市神社は撃たれた大鷲の鎮魂のためのお社と云えなくもないわね。

散弾銃で撃たれたと云うことは、村の中に散弾銃を持つ人がいたと云うことよね。
普段はその散弾銃で何の狩をしていたのかしら。
散弾銃にも色々あるみたいだけど。

5. 善福寺公園 ぜんぷくじこうえん 10:30着 11:28発
Map : 杉並区善福寺3-9-10

〔 遅野井の由来 〕この滝は往時の湧水の湧き出し口・遅野井を滝の形で復元したものであるが、遅野井については、次のような伝説がある。その昔、源頼朝が奥州征伐のため、この地に軍を率いて宿った。氏神八幡宮に誓願し無事征討を終え、この地に戻った際、折からの旱魃で軍勢は渇きに苦しんだ。頼朝は弁財天に祈り、自ら弓で地面を七ヶ所掘った。軍勢は渇きのあまり水が湧き出るのが遅い、遅の井と云った。その時、忽然として七ヶ所に水が湧き出し、軍勢は渇きを癒やした。その後江の島弁財天をこの地に勧請して善福寺弁財天を創建したと云う。

復元された遅野井の隣に立てられていたのが「 遅野井湧水の碑 」で、背面には文字がびっしりと刻まれていたので、遅野井の由来が丁寧に案内されているのかしら−と思いきや、善福寺風致協会の設立&活動経過と併せて、解散に至った経緯が記されていたの。時代の流れとは云え、今目にする景観も善福寺風致協会のそれまでの活動があればこそのものだと知ったの。碑文に目を留める方も無く、皆素通りされていきますが、折角ですのでその全文を引いておきましたので、お読み頂ける方は こちら を御参照下さいね。

その「 遅野井湧水の碑 」と対面してあるのが市杵嶋神社で、現在は説明にもあるように市杵嶋姫命( いちきしまひめのみこと )が祭神とされますが、それは明治期の神仏分離令を受けて変身(!)させられてからのもので、元々は弁才天が祀られていたの。弁才天は古代インド神話ではサラスバティー Sarasvati と呼ばれ、元々はサラスバティー河を神格化したものなの。saras は水を指し、sarasvati は水の流れの美しい様子を表しているの。河の流れの妙なる水音は人々を心豊かにすることから福徳を齎す女神となり、穀物の豊作を齎す豊穣の女神ともなるの。

やがてそのサラスバティーが同じ女神で智慧を司るヴァーチュ Vac とも習合し、河のせせらぎが弁舌にも繋がるの。そのサラスバティーが仏教に取り入れられて弁才天となり、そこでは川のせせらぎに代えて胡を抱え、日本に伝えられると琵琶を持つようになったの。と云うことで、弁才天は元々は水の神さま、雨乞いではその霊験が大いに期待されたというわけね。

〔 市杵嶋神社 〕この島に鎮座する社は、市杵嶋神社と云い、祭神は市杵嶋姫命です。当社は江戸時代、善福寺池の弁才天と云われ、【新編武蔵風土記稿】には「 池の南に弁天の祠あり 一尺( 約30cm )四方にて南に向ふ 本尊は石の坐像にて 長八寸( 約24cm )許り」とあります。また、寛永年間(1624-1644)には、それまで祀られていた右手奥の島から現在地へ移されたと云われ、それ以降、その島を「 元弁天 」と云うようになりました。【善福弁才天略縁起】に依れば、この地域の旧名「 遅の井 」の地名譚( 源頼朝が奥州征伐の途時、この地に宿陣し、飲水を求めて弓筈で各所を穿ちましたが水の出が遅く、弁才天を祈り、やっと水を得た )に倣い、建久8年(1197)に江ノ島弁才天を勧請したのが当社の始まりとあります。このことから甘水に霊験ありとして、旱魃の折には、区内はもとより、練馬・中野の村々からも雨乞い祈願に参りました。雨乞い行事は、池水を入れた青竹の筒二本を竹竿につるして担ぎ、その後に村人達が菅笠を被り、太鼓をたたいて「 ホーホィ、ナンボェ/\ 」と唱えながら村境を巡りました。また、氏神の前に井戸水と池水をはった四斗樽4個を据え、四方に散水しながら祈ったとも云われています。このように、旱魃の年毎に行われてきた雨乞いの行事も、昭和24年(1949)を最後に見られなくなりました。例祭日は4月8日です。平成22年(2010)3月 杉並区教育委員会

上池の畔を歩いていたときに、周囲の木々に護られるようにして立つ銅像に目が留まったの。それがこの内田秀五郎翁像で、杉並発展の礎を築いた郷土の偉人であることを知ったの。先程紹介した「 遅野井湧水の碑 」でも、功労者として内田秀五郎翁の名が挙げられていましたが、翁は明治40年(1907)30歳にして日本最年少首長の井荻村村長となると、村内を走る道路の改修や財政の確立に奔走したの。その道路改修は後の土地区画整理事業へと発展していくのですが、翁は道路のみならず水道や電気などのインフラ整備も進め、銀行の設立や工場、更には学校や駅舎の誘致までをも進めているの。云うなれば杉並版渋沢栄一と云ったところかしら。今は銅像となって池面を見やる翁ですが、視線の先には何が見えているのかしらね。

CoffeeBreak

内田秀五郎翁像が立つ場所から少し手前になりますが、東京都水道局杉並浄水所の取水井をフェンス越しに見ることができるので忘れずにね。残念ながら現在は取水を停止しているみたいだけど、この辺りでは豊富な地下水に恵まれ、その地下水を上水道として利用していたの。荒川や江戸川、多摩川などの河川から取水している他区に比べ、杉並区の人達はおいしい水を飲んでいたという訳ね。気になるのが取水停止の理由ですが、宅地開発などの影響から水脈が弱まってしまったのかしら、それとも・・・

替わってこちらは下池の景観ですが、ヨシなどの植物が群生していて沼池の装いね。畔には大きなレンズを水面に向ける方も多く、バードウォッチャーには人気のスポットとなっているみたいね。水辺の宝石と呼ばれるカワセミも見ることができるようよ。残念ながらスズメとカラス位しか識別が出来ないξ^_^ξですので、気になる方は現地に掲示される案内板を御確認下さいね。園内で見ることが出来る野鳥が一覧されています。

訪ねたときにはその下池でスイレンが咲き乱れていたの。
カワセミが清流の女王なら、さしずめこちらのスイレンは善福寺池の女王と云ったところかしら。

左掲は下池を上池側に向かい返り見たところですが、画面右手方向に堰が設けられていて、そこから池の水が流れ落ちているの。それが善福寺川の源流になるの。説明には「 善福寺池が善福寺川の水源となっています。嘗ては所々で湧水が見られるなど、満々とした清水を湛えていました。しかし、昭和30年代に入ると武蔵野台地は各所で井戸水が枯渇し、善福寺池も地下水の湧出が止まるなど、水源として十分な機能を果たせない時期もありました。現在は地下水のポンプアップや千川上水からの導水により、平常時の水量が確保されています 」とありましたが、豊かに見える水の流れも、それなりのコストが掛けられていると云うことね。かといってこの環境を維持するためには今更止めるわけにもいかず・・・

6. 浅間神社 せんげんじんじゃ 11:36着 11:38発
Map : 杉並区善福寺3-1-17

説明にある「 (を)講 」の(を)ですが、実際は丸い円の中に「 を 」が入っているの。
表示不能ですので、代替文字で御容赦下さいね。

富士塚は、その名の如く、富士山を模したもので、富士山を霊地として崇める富士信仰に由来するの。キリスト教やユダヤ教のエルサレム巡礼ではないけれど、実際の富士登山が本来の姿なのですが、健康上の理由や経済的な事由などで誰もが簡単に出来る訳ではないわよね。そこで代理登山や、富士塚に代参することで信仰の証としたの。勿論、実際に登山する場合もあり、富士塚に建てられた石碑には富士山詣を記念して献納されたものも多くあるの。その富士信仰の総本山が富士山本宮浅間大社( 静岡県富士宮市 )で、御神体は云うまでもなく富士山よね。

7. 井草八幡宮 いぐさはちまんぐう 11:40着 12:00発
Map : 杉並区善福寺1-33-1