
寄居町玉淀にある雀宮公園は、明治〜昭和を代表する歌舞伎役者として知られた七代目松本幸四郎の別邸「 武州寄居町雀亭 」の跡地を整備して造られた公園で、令和2年(2020)の開園と新しいものなのですが、隠れた紅葉の名所の噂を耳にして出掛けてみたので紹介しますね。
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七代目松本幸四郎別邸「 武州寄居町雀亭 」跡地
〔 人物 〕歌舞伎の名優・七代目松本幸四郎( 幼名・秦豊吉 )は、明治3年(1870)伊勢国員弁郡長深村( 現・三重県員弁郡東員町 )で誕生しました。明治7年(1874)父が事業家で各地を転々としていたこともあり、豊吉が4歳の歳に母と共に上京。京橋区( 現・東京都中央区 )に落ち着いた頃、そこで虎屋饅頭の株を買い、駄菓子屋を始めたと云われています。この駄菓子屋の顧客であった藤間流家元の二代目藤間勘右衛門には子がいなかったため、豊吉を藤間家の養子として迎え、踊りを厳しく仕込んでいきました。豊吉は11歳になると市川團十郎の門に入り、歌舞伎俳優としての頭角を現していき、明治44年(1911)に七代目松本幸四郎を襲名しました。幸四郎は、恵まれた容貌、堂々たる口跡に裏打ちされた風格のある舞台で、時代物・荒事に本領を発揮し、特に、九代目市川團十郎の直系の芸である「 勧進帳 」で武蔵坊弁慶を演じては、彼の右に出る者はなく、生涯を通じて1,600余回演じ、不朽の演技として後世に語り継がれることになりました。幸四郎は昭和24年(1949)に80歳で亡くなりました。子に十一代目市川團十郎、初代松本白鸚( 八代目松本幸四郎 )、二代目尾上松緑、孫に二代目松本白鸚( 九代目松本幸四郎 )、また、十代目松本幸四郎、松たか子、十段代目市川團十郎は曾孫に当たります。
〔 別邸 〕幸四郎は、大正2年(1913)自然豊かな景観を愛し、この地に別邸を新築。その際、祝賀会の招待客は長瀞から船下りを楽しんで別邸下に着き、「 絶えず打ち上げらるる花火は山に響き川に伝わり、未曾有の盛況なりき 」と当時の新聞に報じられました。この別邸は「 武州寄居町雀亭 」と称され、幸四郎の心の安らぎの場として、そしておもてなしの場として、こよなく愛されました。
雀宮公園へのアクセスですが、寄居駅から徒歩15分、玉淀駅からだと10分と案内されていたので迷うことなく玉淀駅から歩くことにしたの。But 道沿いには気になるものが色々あり、景観を含めて次頁に纏めましたので、興味のある方はお出掛けの際の参考にして下さいね。御覧になりたい方は こちら を。

訪ねる前までは、同じく荒川水系には古くから広く知られた景勝地の長瀞があるのに、何故そこから離れて玉淀に七代目松本幸四郎は別邸を建てたのかしら−と、不思議に思っていたの。いざ足を向けてみれば、荒川の流れと荒々しい岩々の連なりが見せてくれる渓谷の佇まいを借景にして、木々が赤く燃え立つ様子を目にすることで納得出来たの。渓流好きの七代目松本幸四郎は長瀞から玉淀にかけての渓流が見せてくれる景観が京都の保津川のそれに劣らないと聞き、訪ね来てすっかり気に入り別荘を建てたのだそうよ。幸四郎が訪ね来た当時は今よりも自然が豊かで、荒川の流れももっと荒々しかったのではないかしら。長瀞では岩畳が邪魔して岸辺に別荘を建てたとしても水の流れが見えないわね、きっと。なので、玉淀に別邸を建てたのは必然だったのかも知れないわね。それでは、あなたの旅も素敵でありますように‥‥‥

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