≡☆ 勝島運河沿いの紫陽花 ☆≡
2026/05/30

京浜運河につながる勝島運河沿いには地元の方々のボランティア活動により四季折々の花が咲く「 しながわ花街道 」が整備されているの。ソメイヨシノや八重桜などの桜の木も多く、とりわけ右岸側の桜並木には400本の紫陽花も植えられていて「 あじさいロード 」と呼ばれているの。

あじさいロード

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勝島運河の上流部にある立会川の河口近くで気になるものを見つけたの。それが浜川砲台跡で、ペリー来航を機に造られたもので、100年以上も前のこととは云え、嘗てここに若き坂本龍馬がいたのだと思うと思わぬところで思わぬ歴史の生き証人に出逢えた気がするわね。参考までに現地案内板の記述を引いておきますので、お出掛けの際には足を延ばしてみて下さいね。

〔 浜川砲台の大砲 〕幕末史研究家・小美濃清明
嘉永6年(1853)6月、アメリカ合衆国はペリー提督の率いる四艘の艦隊を日本に派遣して、開国を迫った。国書を幕府に渡すと、来春再来航するとしてペリーは去った。日本側は、次回は戦争になると想定して、江戸湾の防備に力を入れることになる。土佐藩はここに鮫洲抱屋敷を持っていたので、砲台を造ることを幕府に願い出た。嘉永7年(1854)1月、ペリー艦隊が再来航したとき、急遽土佐藩が造ったのが浜川砲台である。6貫目ホイッスル砲 1門( 復元 )/ 1貫目ホイッスル砲 2門 / 鉄製五貫目砲 5門 計8門を配備した砲台だった。ここに復元したのは6貫目ホイッスル砲である。実物のない他藩では丸太を大砲らしく見せた偽物もあった中で土佐藩の装備は江戸っ子の評判も上々で、次のような狂歌も作られている。

・品川の固めの出しのよくきくは 下地もうまく なれし土佐武士
〔 品川の固め場( 守備陣地 )の良く効果的であったのは、準備もうまい熟練の土佐のサムライだからだ 〕

これは土佐の鰹節にかけた狂歌で、堅目のダシの良く効くは、料理の下ごしらえも上手くできる土佐ぶし( 鰹節 )だからだと云う意味である。この浜川砲台に佐久間象山塾で大砲操練を学んだ20歳の坂本龍馬がいたのである。












紫陽花 実は勝島運河沿いに紫陽花が植えられていることを最初から知っていたわけではなくて、鮫洲入江広場公園のユリを観に出掛けた際に知ったの。But 紫陽花の花を観賞するには時期的にちょっと早過ぎないかしら、でも帰宅時間には余裕があることだし、運河沿いをお散歩する積もりで歩いてみようかしら−と思ったの。いざ歩いてみると、見頃を迎えた紫陽花がそこかしこで花を咲かせていたの。変わり種の紫陽花も数多く植えられていて、とりわけガクアジサイにはすっかり魅せられてしまったの。水辺の景観と併せて紫陽花が楽しめる場所はそう多くはないわね。紫陽花を観ながら、ときには水辺でボンヤリと過ごす一日があってもいいのではないかしら。それでは、あなたの旅も素敵でありますように‥‥‥

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どこにもいけないわ