≡☆ 野比海岸水仙ロード ☆≡
2022/01/22

神奈川県横須賀市にある野比海岸では、千駄ヶ崎から若山牧水広場までの北下浦海岸通り約3Kmにわたり、300万株の水仙が植えられていて、1月から2月頃にかけて見頃を迎え、一足早い春の訪れを感じさせてくれるの。その水仙ロードでは、海上を滑り行く大型の船や、対岸の房総半島などを見やりながらのシーサイドウォークも楽しめるの。

水仙ロード

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参考までに、若山牧水広場に建てられていた歌碑の案内を引いておきますね。
歌碑は掲載したスライドの最後に出てきます。

〔 若山牧水 〕若山牧水は本名繁、明治18年(1885)8月24日、宮崎県臼杵郡に生まれた。県立延岡中学校を卒業した後上京、早稲田大学に学び、明治45年(1912)太田喜志子と結婚した。大正2年(1913)長男・旅人を出生したあと喜志子は体調が優れず、医師から転地療養を勧められ、大正4年(1915)3月に長沢の川端の家( 斉藤松蔵方 )に移り住んだ。風光明媚、気候温暖な当地での静かな明け暮れの中で、喜志子の健康は次第に回復し、大正5年(1916)11月には長女・みさきが生まれた。右に建つ「 しら鳥 」の歌は明治40年(1907)12月の「 新声 」に発表されたものであるが、牧水はまだ23歳の学生歌人であった。碑の背面に刻まれた「 鋸山の歌 」は、妻・喜志子が当地に住んでいる頃「 海辺に移りて 」と題して発表したもので、表裏合わせて「 夫婦歌碑 」と呼ばれている所以である。昭和28年(1953)に建立された。左にある「 海越えて 」の歌碑は、昭和62年(1987)に建立された。歌集「 砂丘 」のはじめに「 三浦半島 」と題して「 病妻を伴い三浦半島に移住す、三月中旬の事なりき 」と記したあとに発表した長沢海岸から房州鋸山を詠んだ歌である。「 漂白の歌人 」と云われ、旅と酒を愛した牧水は、地域の人々との温かいふれあいもあって、喜志子の日常も順調に進むようになり、大正5年(1916)12月28日東京小石川に引揚げていった。横須賀市

表:しら鳥はかなしからずやそらの青海のあをにもそまずたゞよふ 牧水
裏:うちけぶり鋸山も浮び来と今日のみちしほふくらみ寄する 喜志子

海越えて鋸山はかすめども 此処の長浜浪立ちやまず 牧水

















水仙 今でこそ水仙の植え込みが続く北下浦海岸通りですが、元々はウォーキングやジョギングコースのメッカにしたいとの思いから、当初は僅か6人ほどの地元有志の方の手で始められたものだそうよ。それまではゴミが投げ捨てられていたりと、決して好ましい環境ではなかったみたいね。現在では「 水仙の会 」の方々を中心に、行政や各種団体の協力・後援を得て、清掃なども行っていて、紹介したような素敵な水仙ロードになっているの。ジョギングとは無縁のξ^_^ξは専ら徒歩ですが、水仙の花が咲き競うこの時期は、絶対的にウォーキングかも知れないわね。あなたも、是非一度、野比海岸で一足早い春の訪れを感じてみませんか。それでは、あなたの旅も素敵でありますように‥‥‥

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どこにもいけないわ