≡☆ 根津神社つつじまつり ☆≡
2019/04/20

文京五大花まつりの一つに数えられる文京つつじまつり。会場となる根津神社では開花時期を迎えると紅白のツツジがつつじ苑の斜面を色鮮やかに染めあげるの。

根津神社

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〔 つつじ苑の記 〕  当根津神社の社地は、江戸時代、もと甲府宰相徳川綱重の下屋敷であり、当時よりつつじの名庭であった。歿後5代将軍徳川綱吉は兄・綱重の子・綱豊を嗣子と定めた時、その氏神たる当神社の御神恩に感謝し、この邸地に当時の名工を選って世に天下普請と称せられる壮大な造営を行い、今に残る華麗な社殿・神門等を奉建、宝永3年(1706)駒込の旧鎮座地より一品公辨親王司祭の下に遷座祭を斎行、神苑には更につつじを増植し、以来この地はつつじが岡と称せられ、実に江戸の名勝であった。併し年処を経るに従い、漸くその姿も衰え、古の俤の亡び行く事を思い慨き、十数年前より氏子一同献木の誉を興し、昭和45年(1970)文京つつじ会を結んで、花季にはつつじ祭を催行、その充実と発展とに努め、今や樹数数千本、その種類も頗る多く、往時のつつじが岡に勝る盛観を見るに至った。本年第10回つつじ祭開催に当たり、有志一同相謀り、記念に本碑を建立、その由来を後昆に伝える所以である。昭和54年(1979)4月吉日 根津神社宮司 内海元 撰

〔 根津神社 〕  日本武尊が千駄木の地に創建したと伝えられている。現在地は江戸時代、甲府宰相・松平綱重の山手屋敷跡であり、後に6代将軍となる徳川家宣の誕生の地であった。5代将軍・徳川綱吉は家宣の産土神として宝永3年(1706)に千駄木にあった社をこの地に移して、社領500石を附し、権現造りの社殿を造営した。社殿は拝殿・本殿と両者を接続する幣殿(相の間)からなり、しかも一つの屋根で纏め、権現造りの完成された姿を見せている。拝殿前に唐門を配し、その左右から透塀で社殿を囲んでいる。唐門前方の楼門を含め、権現造神社建築様式の旧規を示すものとして全て国指定重要文化財である。祭神は須佐之男命・大山咋命・誉田別命・大国主命・菅原道真公である。境内には家宣の胞衣塚(区指定民俗文化財)、塞の大神碑などがある。平成10年(1998)3月 文京区教育委員会

つつじを見終えたところで千本鳥居をくぐり抜け、西口へ出ましたが、途中には家宣の胞衣塚や乙女稲荷神社などがあるの。スライドの後半にワンショットづつ載せておきましたが、現地案内板の記述を引いておきますので、お出掛け時の参考にして下さいね。気になる方は、下記のリンクをクリックしてみて下さいね。

徳川家宣胞衣塚 ¤ 乙女稲荷神社 ¤ 庚申塔 ¤ 塞の大神碑 ¤ 駒込稲荷神社
















ツツジ 以前一度訪ねてみたことのある根津神社のつつじまつりですが、今年(2019)で50回目の開催となる節目を迎えてつつじ苑に咲くツツジも更に一層艶やかさを増したような気がするわね。残念ながら一年の内でも限られた期間しか観ることが出来ないツツジですが、季を捉えてあなたもお出掛けになってみて下さいね。それでは、あなたの旅も素敵でありますように‥‥‥

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どこにもいけないわ