≡☆ みちのくに紅葉燃えて ☆≡
1990/10/20 - 1990/10/22

些か古くて恐縮ですが、ツアーを利用して東北を旅した時の記憶を元に作成した頁です。正直云ってこの時まで、東北というと暗い印象がつきまとい、仲々足が向かずにいたのですが、この旅がその印象を変えてくれました。時間の余裕が無くて駆け足の旅でしたが、いつの日にか再訪してみたいものですね。尚、記事中の列車ダイヤ、料金などは当時のものですので、目安程度として下さいね。

一日目:奥入瀬渓流と十和田湖遊覧

1.JR上野駅 うえのえき 23:00発 1990/10/19

今では廃止されてしまった寝台特急「ゆうづる3号」に乗車。'93.12 に廃止になりましたが、新幹線の延伸や新規開業に追いやられるようにして、日本各地から寝台特急が消えつつありますね。ξ^_^ξのような単なる旅行者でも、あの寝台列車の持つ雰囲気に旅愁を誘われるのですが。乗車するまでは眠れないんじゃないの?−と心配していた連れも、この時から寝台贔屓きに。特急券:¥3,090 寝台券:¥6,180

ゆうづる1号が 2002/10/04 に臨時運行されましたが、その後の運行予定はもう無いようね。
使用されていた車両も廃車にされてしまったのかしら。

2.JR青森駅 あおもりえき 8:21着 9:20発

初めて青森駅に降り立ちましたが、閑散とした景観に思わず寂しいところねえ−と云うのが当時の率直な感想でした。駅前には土産物店が軒を連ねていましたが、朝早くから林檎を売るおばちゃんの掛け声だけが威勢良かった記憶があります。バスの出発時間まで余裕があり、目覚めのコーヒーでも飲もうとしたのですが、喫茶店らしきものも見当たらず、駅に戻るとしばらくボーッと佇んでいました。いずれも当時の印象ですので誤解の無いように補足しておきますが、最近では様相が一変し、東北の玄関口としてふさわしい景観になっています。ドトールも出店していますのでお目覚めのコーヒーもOKよ。今ではξ^_^ξの住む街より遙かに都会的な景観になっているの。けれども旅人の勝手な我儘を云わせて頂ければ、当時の雰囲気の方が郷愁が感じられて良かったのですが。

十和田観光バス 指定の受付時間になり、国際興業グループ青森総合案内所へ。なあんだ、十和田観光電鉄って国際興業グループなのね−と変なところで感心してしまいました。と云うのも、ξ^_^ξの住む街では国際興業のバスがガンガン走っていたりしますので、急に親近感を覚えたりして。当時お世話になった十和田観光電鉄のバスですが、写真は乗車時に頂戴したパンフからの借用です。左掲をクリックすると十和田観光電鉄さんのHPが別窓で開きますので御参照下さいね。。

3.ねぶたの里 ねぶたのさと 9:50着 10:50発

ねぶたの里パンフ
ここでの目玉はやはりねぶた会館にあるねぶたです。10基程のねぶたが展示されていましたが、さすがに動きが無いので迫力が今一つなのが残念。ねぶた運行体験ショーが一日数回行われますので、時間を見計らい体験してみると面白いかも知れませんね。詳しくは ねぶたの里 を御参照下さいね。因みに、最初の二枚は同じねぶたですが、この時展示されていた中でのお気に入りです。

毎年8月にねぶたの入れ替えがありますので、行く度に違うねぶたに出会えますよ。青森の方々のねぶた祭りの時の、あの爆発するようなエネルギー。輪に入る勇気こそありませんが、一度間近に見てみたいものですね。ねぶたそのものをお知りになりたい方は 青森ねぶた祭 を御参照下さいね。

4.萱野茶屋 かやのちゃや 11:00着 11:15発

途中の車窓からも八甲田山の遠景が楽しめました。萱野茶屋では名物の「三杯茶」の無料サービスがあり、「一杯飲むと3年長生きし、2杯飲むと6年、3杯飲むと死ぬまで生きられる」そうで、茶屋の前には黒山の人だかり。皆さん、そんなに長生きしたいのかしらと思いつつ、ξ^_^ξもつられて試飲してみました。残念ながら一杯しか飲みませんでしたが、正直に云うと余りお茶の味がしませんでしたね。まあしかし、我も我もと我先に。デパートのバーゲンセールじゃないんだから、そんなに元気なら長生き出来るよ−とは云えませんでしたが。(^^;

5.睡蓮沼 すいれんぬま 11:40着 11:50発

睡蓮沼 睡蓮沼 残念ながら紅葉を愛でるにはちょっと遅かったようですが、最盛期には周囲の紅葉が湖面に映えて美しい景観になるのではないかしら。決して大きな沼ではないのですが、かえってそれが周囲の山々を背景に、箱庭みたいに凝縮された空間を造りあげていました。立ち木にしても自然の成せる技なのでしょうね、どことなく姿形が盆栽のようにも見えるの。

6.奥入瀬渓流センター おいらせけいりゅう 12:15着 14:00発

こちらの施設で昼食タイムです。 何でこんなところで2時間近くも時間を割くのか分かりませんでしたが、決められている以上仕方なく、センター裏の川原のテラスチェアーでのんびりと。この後バスは奥入瀬渓流の渋滞の中を走ることになるのですが、それは例年のことと聞きました。それでも少し位はバスを降りて散策出来るのではと期待をしていたのですが、結局、最初の石ヶ戸で10分程降りて歩いてみただけで。銚子大滝も車窓からチラリと見て終えてしまいました。

奥入瀬渓流 一時間繰り上げて奥入瀬渓流散策の後半の白糸の滝辺りで〜御希望の方、いらっしゃいましたら子ノ口まで歩いてみて下さい。歩くのが嫌な方はそのままバスに乗車していて下さ〜い−とあっても良かったのではと思いますね。バスに乗車したまま子ノ口に向かう方も、渓流センターで時間を持て余すよりは、十和田湖畔の子ノ口で待った方が景観を楽しめるのではないかしら。う〜〜、いつか必ず歩いてやる〜。(^^;

7.石ヶ戸 いしげど 14:10着 14:20発

石ヶ戸 奥入瀬渓流めぐりでバスから降車して見た唯一の場所がこの石ヶ戸。石ヶ戸の「ケ戸」とはこの地方のことばで小屋を指し、石のケ戸だから、石の小屋−で岩屋の意になるの。記念写真しか手許にありませんので、掲載出来ませんが、古墳の玄室を覆う一枚岩のような大きな岩が、これまた大きな木に倒れ架かかり、ちょうどその岩の下が小屋のような造りになっていました。ここで、ガイドさんが紹介してくれた石ヶ戸伝説をみなさんにもお聞かせしますね。

むか〜し昔、鬼神のお松という、それはそれは美しい女盗賊がおってのお。お松は石ヶ戸を住処(すみか)として道行く旅人から金品を奪っておったのじゃ。旅人が現れると先回りをして、旅の行き倒れを装うては介抱を求め、隙を見て隠し持つ短刀で刺し殺すのじゃ。またある時は旅人の背を借りて川を渡る振りをして、流れの中程にさしかかると、いきなり短刀を振りかざして刺し殺すといった手口じゃった。何でもそうしてお松に殺された者は48人もおったそうじゃ。ところがある日のこと、仙台の夏目仙太というお侍さまが通りかかってのお、それはそれはめっぽう腕のたつお侍だったそうじゃ。そうとは知らぬお松は、いつものように色気ある仕草で恥ずかしそうに囁いたのじゃ。

お侍さま、わたくし、この川を渡りとうございますが、女の身ゆえ仲々思うように行きませぬ。
難儀致しておりますれば、どうか御力添えを ・・・

お侍はお松の色気溢れる仕草の中にも、ただならぬ殺気を感じたのじゃが、女人の難儀を見過す訳にも行くまいと、お松を背負うと川を渡り始めたのじゃ。お松はしめしめと思いながら、そうっと懐の短刀を取り出し、お侍の喉元を突き刺そうとしたその瞬間、お侍は背負うていたお松を投げ飛ばし、一刀両断のもとに切り捨ててしまったそうじゃ。お松の柔肌から流れ出た血は、川を朱色に染め上げて、やがてお松もこと切れたと云うことじゃ。

石ヶ戸 綺麗な薔薇にはトゲがあるとは云いますが、あんまり鼻の下をでれ〜んと長くしていると命まで無くしてしまうようですからお気をつけ下さいね。ただ、こうして観光客が大挙して訪れる日中は良いのですが、陽が沈むと辺りは鬱蒼とした木立ちの森が広がっていますので、道があるとはいえ、全くの暗闇の世界。岩小屋にぼう〜っと焚火の明かりが見えたりしたら、美女というよりは殆ど山姥(やまんば)の世界よね。写真を撮っていると連れの一人が岩小屋から顔を出して「おい、そこの旅人、金を出せ!」ξ^_^ξ:「今回の出費で使い果たしたからお金なんて無いよお〜」

銚子大滝 右の写真が銚子大滝です。こんな写真が撮りたかったのですが、車窓から垣間見ただけで終えてしまいました。歩いている方もさすがにこの辺りにくると大勢いらっしゃいました。当然、黒山の人だかりのようでしたから、歩いてみたところでのんびりとカメラを構えていられたかどうか分かりませんね。今回の写真も同じく十和田観光バスのパンフレットからの借用なの。

8.子ノ口 ねのくち 15:00着&発

十和田湖 十和田湖 十和田湖

子ノ口に着くとちょうど観光船が出航しようとしていて、ガイドさんの「皆さ〜ん、すみませんが走って下さ〜い」の掛け声で皆さん一斉に観光船に向かってダッシュ!。ですので、子ノ口がどういう景観をしていたのか記憶も無く、走ったという記憶だけが残っています。子ノ口から対岸の休屋までは遊覧船に乗船しての十和田湖遊覧。周囲を山に囲まれているために、この時間では陽射しが山々に遮られがちで、見頃を迎えた紅葉もちょっと沈んだ色合いになってしまいましたね。それでも陽射しを浴びた所々では見事な紅葉を見せてくれました。乗船券:¥1,130 所要時間:60分

9.十和田湖休屋 とわだこやすみや 16:00着

一時間の遊覧を終えて下船すると遊歩道沿いの紅葉がスッゴク綺麗でした。何という木なのか分かりませんが、それこそ真紅に燃えて、思わず足がそちらを向いてしまいました。けれど「そっちではなくてこちらですよ〜」というガイドさんのことばに後髪を引かれつつ、再びバスに乗車して今宵の宿へ。

10.休屋・桂月亭 やすみや・かげつてい

食事を終えて寛いでいると何やら館内から祭囃子が聞こえて来ました。何事かと音のする方を探し歩いてロビー辺りに来ると館内を揺るがす程の大音量。そう、あのねぶた祭です。宿泊客に一夜を楽しんで貰おうという趣向なの。けれど見ているだけではダメで、一緒に躍らされると聞いて尻込みしてしまい、当時は観覧しないまま終えてしまいました。今思うと勿体ないことをしたと思いますね。あの熱気を身近に味わえるいいチャンスだったのに。皆さんは是非味わってみて下さいね。詳しくは 休屋・桂月亭 を御参照下さいね。サイト内の−ある夫婦の会話−が我が事のようで。

二日目:マインランド尾去沢と八幡平

11.休屋ホテル やすみやほてる 8:00発

姫リンゴ 朝食後に時間の余裕がありましたので近くを散策してみました。ホテルを出て女坂・男坂を通り、十和田神社と乙女の像を廻り、十和田湖畔の御前ケ浜へ。途中にあるお土産屋さんの近くでは、不思議な実がなる木を見つけたのですが姫リンゴの木。真紅に色付いた実が可愛らしく、けれど鈴なりに実を付けていましたので、一瞬アメリカン・チェリーかと思ってしまいました。女坂、男坂とも未だ朝早かったせいでしょうね、出会う人も無くのんびりと散策出来ました。時折紅葉した木々の間から朝陽が射し込み、すがすがしい気分に。

そうそう、十和田神社ですが、当時は東北三大霊場の一つだなんて知らずに、境内を覗いてふ〜んで終えてしまいましたが、無知故の悲しい所業でした。歴史の教科書で御馴染みの坂上田村麻呂の創建で、日本武尊が祀られているの。

そして十和田湖畔の御前ケ浜自然探勝路の一角に建つ「乙女の像」は、昭和28年(1953)に国立公園指定15周年記念事業として国立公園指定に奔走した文人の大町佳月、当時の県知事・武田千代三郎、地元村長の小笠原耕一の三氏の功労を称えて建立されたもので、かの有名な高村光太郎の最後の作品といわれているの。モデルはあの智恵子さんと云われていますが、像の方はちょっと太めです。(失礼) 智恵子さんはもう少し痩せていたような気がしますが、智恵子抄の印象が強いのかしら?高村光太郎が智恵子さんへの思いを詠んだ一片の詩を見つけましたので紹介してみますね。

智恵子の裸形をわたくしは恋ふ つつましくて満ちてゐて 星宿のやうに森厳で 山脈のように波うって
いつでもうすいミストがかかり その造型の瑪瑙質に奥の知れないつやがあった
智恵子の裸形の背中の小さな黒子まで わたくしはいみふかくおぼえてゐて
いまも記憶の歳月にみがかれたその全存在が明滅する
わたくしの手でもう一度 あの造型を生むことは自然の定めた約束であり
そのためにわたくしに肉類が与へられ そのためにわたくしに畑の野菜が与えられ 米と小麦と牛酪とがゆるされる
智恵子の裸形をこの世にのこして わたくしはやがて天然の素中に帰らう

乙女の像 裸形と題された詩ですが、独断で一部体裁を変更させて頂きましたので御了承下さいね。さて、その智恵子像ならぬ乙女の像ですが、湖側は記念撮影をする観光客で賑わっていましたので、仕方なく背後から狙ってみました。当時は上述のような背景など知らず、単なる観光名所の一つでしかありませんでしたが、高村光太郎の想いを偲びながら、今一度乙女の像の前に立ってみたいものですね。でも、なぜ、像は一人ではなくて二人なのかしら?

12.休屋ホテル やすみやほてる 8:30発

朝の散策を終えて再びホテルに戻り、バスに乗車して再出発。

13.発荷峠 はっかとうげ

ここからは十和田湖が一望出来る展望台があると知り、期待していたのですが−紅葉シーズンを迎え、行楽の車でこの先も渋滞が予想されます。皆さん、宜しければ発荷峠での御観光は車窓からということでよろしいでしょうか?というガイドさんの案内に車中一同シ〜〜ンと静まり返りました。(^^; 結局、通過。車窓から眼下に広がる十和田湖の遠景をちょこっと顧みて終しまい。埼玉県の飯能市に源義経と弁慶主従がそこを越える際に周囲の景観の美しさに振り返りながら越えたという顔振峠という峠がありますが、気分はまさに義経と弁慶主従でした。本来なら八甲田山系をバックに十和田湖の素晴らしい景観を堪能することが出来るハズでしたが‥‥‥

14.マインランド尾去沢 まいんらんどおさりざわ

マインランド尾去沢 尾去沢鉱山は和銅元年(708)に発見され、昭和53年(1978)に資源掘り尽くしのため閉山。採掘期間は実に1,270年(思わず電卓を叩いてしまいました)。産出された金は奈良の大仏建立、平泉の金色堂などにも使われています。明治以降は三菱鉱山の経営となり、日本有数の銅鉱山として発展した−とガイドさんの説明にありましたが、来る途中の車窓からは当時の精錬所の煙突が虚しく空を突き刺していて、辺りの山々には廃墟と化した建物群が寂寥感漂わせながら倒壊するに身を任せていました。マインランド尾去沢は鉱石採掘後の空洞や坑道を観光化したもので、採掘当時の様子が再現され、ちょっとした地底探検気分が味わえるの。入場者にはマグシーバー(日本語で云うと携帯用説明機。う〜ん、何かヘンな感じ)なるものを貸し出して貰えますので、要所要所で説明を受けることが出来るの。アトラクション「コスモアドベンチャー・プルトン号の冒険」のコースもあり、小さなお子さま連れでも楽しめる施設となっているの。坑道散策を終えて鉱山歴史館へ。鉱山で採掘された鉱石標本や鉱山史の資料も展示されていますが、金色に輝く鉱石は金が光っているのかと思いきや黄銅鉱。銅って銅色してるハズなのに〜。若しξ^_^ξが山師ならこんな金色に輝く鉱石を見つけたら金だ金だ〜と大騒ぎしそうね。入館料:¥1,020(′02.12現在)約60分所要
紹介したマインランド尾去沢ですが、平成20年(2008)に 史跡尾去沢鉱山 としてリニューアル・オープンしています。最新情報を御確認の上でお出掛け下さいね。


15.秋北レストハウス しゅうほくれすとはうす

昼食タイムです。記憶も無ければ証拠写真も無くて。ごめんなさい。

16.八幡平頂上園地 はちまんたいちょうじょうえんち

頂上園地 頂上園地 バスは全長27Kmの八幡平アスピーテラインを走り、八幡平頂上園地へ向かいますが、周囲の景観を車窓から堪能出来る快適な高原ドライブです。雲行きが怪しくて残念でしたが、晴れていたら澄み渡る青空に紅葉が映えて素晴らしい景観を見せてくれたことでしょうね。頂上園地に着くと遂にたまりかねたようにポツリポツリと雨粒が落ちてきてしまいました。高地だけあり、雲が目の前を流れてゆくの。

普段でも強い風が吹くせいでしょうね、木の枝が一方向にだけ伸びているの。写真では分かりにくいかと思いますが、斜面を駆け上がる雲の様子を収めたつもりなの。本来なら360度の大自然のパノラマが広がる場所なのですが、曇り空のために余り出来映えの良い写真が撮れず、残念な結果に終えてしまいました。八幡平の詳しい情報は リアルタイム八幡平 を御参照さいね。

17.後生掛温泉・地獄めぐり ごしょがけおんせん・じごくめぐり

オナメモトメ 後生掛温泉の地獄谷めぐりはまさに競歩の世界でした。停車する前にガイドさんが「後生掛温泉の地獄巡りには日本一と云われている泥火山があります。生憎と時間の余裕が余りありませんが健脚の方でしたら何とか行って帰って来られるかも知れません」何なに、日本一?、じゃあ、行ってやろうじゃないの−となるのが人情(表現が不適切ね)。でも、そう思ったのはξ^_^ξだけだったみたい。バスの出発時間のアナウンスを耳をダンボにして確認し、バスを駈け降りて地獄谷遊歩道を目指しました。

当時、後生掛温泉で温泉に入っている人が垣間見えたような気がするのですが、頭の中は泥火山とやらを見ようと必死で歩いてましたから、周囲の様子は殆ど記憶にないの。狭い道で前をのんびり歩いている人達がやたら邪魔に思えた記憶が。(^^; やっとの思いで辿り着いたものの、いざ泥火山を見て拍子抜け。日本一というからさぞかしデカイものと勝手に想像していたξ^_^ξがバカでした。でも焦って歩いて来たお蔭で帰路は意外と時間に余裕が。途中では名物の黒タマゴを購入。箱根の地獄谷で売っているものと同じで、ここでも売っているんだあ−と変に感心。競歩のせいで汗を掻き、首に巻いていたハンカチを途中で無くしてしまいました。変なことだけ覚えている地獄めぐりでした。あれから10年、少しは枯れてきましたので (^^; 日本一と聞いても冷静に行動出来るようになりました。後生掛自然研究路は一周40分とあるのに泥火山への往復で終えてしまいましたので、いつか再チャレンジしたいものですね。下記の地名由来など踏まえて今度はゆっくりと。

むか〜し昔、地獄谷に九兵衛という若者が牛を飼いながら山に住んでおってのお、ある年、若者は大病を患い、生死を彷徨っておったのじゃ。ある日のこと、恐山に向かう若い巡礼がそこを通りかかったのじゃ。若者のためにその若い巡礼は一身に仏さまに祈りながら手厚い看病をしたそうな。お蔭で九兵衛は快方に向かい、やがて二人は結ばれて幸せな日々を送っておったそうじゃ。

ところが既に九兵衛には久慈の村で留守を預かる妻がおってのお。いつまでも帰らぬ夫・九兵衛に会いたいと、やがて妻はわが子を連れて故郷の村を後にするのじゃ。ところがじゃ、やっとの思いで辿り着いた地獄谷で妻が見たものは若い巡礼と幸せに暮らす夫・九兵衛の姿じゃった。妻は二人を見て愕然となってその場に倒れ込んでしまったのじゃ。驚いた九兵衛は妻を抱えるようにして家に招き入れたのじゃが、三人はそれぞれの苦悩故に、ただ無言のまま一夜を明かしたのじゃ。

やがて夜が白み始めた頃、ふと気が付くと若い巡礼の姿が見あたらん。妻はもしやと思い、表に飛び出すと方々を探したのじゃが、地獄谷に若い巡礼の履いていた草鞋を見つけたんじゃと。同じ女として巡礼の心を思い、妻はその場に泣き崩れ、やがて遠くで引き留める夫の声を振り切るようにして後生※を掛けると、意を決して自分も地獄谷にその身を投げたということじゃ。それからと云うもの、この地を訪れるものはこの二人をオナメ(妾)、モトメ(本妻)と呼んで供養し、以来この地を後生掛と呼ぶようになったそうじゃ。※後生=死後の世界で幸福であること

これが現代であればさしずめ刃傷沙汰になりかねないシチュエーションですが、巡礼者を以てしても煩悩とは拭い去れないもののようで。この後九兵衛と残された子供はどういう運命を辿ったのかしら−何て考えるのは余りにも俗っぽいかしら?後生掛温泉について詳しくお知りになりたい方は 後生掛温泉 を御参照下さいね。一軒宿の後生掛温泉のサイトですが周辺の観光ガイドがあります。宿も秘湯ムードの感あり、のんびりと温泉に浸かり命の洗濯というのも素敵ですね。

18.田沢湖高原温泉 たざわここうげんおんせん

田沢湖高原温泉 温泉街というと、あの独特の雰囲気を想像してしまいますが、ここ田沢湖高原温泉は瀟洒な建物のホテルが建ち並び、気分は高原リゾート。宿泊したのは プラザホテル山麓荘 ですが、ロビーに置かれた調度品もペンションにあるような洒落たもの。当時、ロビーに猪や熊の剥製が置かれていましたが、連れが熊に股がり写真を撮っているとホテルの方に怒られてしまいました。当たり前よね。係りの方、ゴメンナサイ。同ホテル以外の宿泊先については 仙北市公式ウェブサイト を御参照下さいね。

三日目:田沢湖〜盛岡城址公園

旅も最終日のきょうは田沢湖を訪ね、ツアー終了後に時間の余裕がありましたので、盛岡城址公園を歩いてみました。尚、記事中の列車ダイヤ・料金などは改定されていますので目安程度として下さいね。

19.田沢湖高原 たざわここうげん 9:00発

連日はっきりしない空模様でしたが、この日は久し振りの晴天に清々しい気分で朝を迎えました。
空気が澄んでいるせいか田沢湖高原の紅葉が美しく、気分を良くしての出発でした。

20.御座石神社 ござのいしじんじゃ

田沢湖に向かい、朱色の鳥居が建てられていますが、写真はその先の御座石からの景観です。湖水の色が何とも云えない神秘的な色合いで、周囲の緑と相まって、まるで絵葉書でも見ているかのような光景なの。永遠の美を求めた辰子が潜むという田沢湖にふさわしい瑠璃色の湖面に暫し見とれてしまいました。不思議なことに観光客が大勢集まる辰子像の周囲ではこの色合いを湖面に見ることが出来ませんでした。ひょっとして龍神となった辰子が辺りの湖底に潜んでいたのかも知れませんね。(^^;

残念ながら未体験ですが、辰子が美を求めて飲んだという「霊水」が近くにあり
下半身が蛇となった辰子像が御座石神社に祀られると聞きます。

21.辰子像 たつこぞう

辰子像 辰子像は高村光太郎の門下生・船越保武氏の作で、沐浴を済ませた辰子が湖からあがる姿を表現したものだそうよ。訪ねた時には湖の水位も低く、岩伝いに辰子像の傍まで歩いて行くことが出来ました。ここで皆さんにも辰子が田沢湖の龍神となった辰子伝説を脚色してお届けしてみますね。

むか〜し昔、まんだ田沢湖なんてなかった頃のお話しじゃ。この村に辰子という、それはそれは美しい娘がおってのお。母親と二人暮らしじゃったが、気立ても良くて村人にも可愛がられておってのお。辰子の美しさは年を経るにつれて磨きがかかり、いつしかその噂は近隣の村にも知れ渡るようになったのじゃ。

そんなある日のことじゃった。辰子はいつものように小川でその長い流れるような黒髪を洗っておったのじゃが、川面に写る自分の姿に思わず見とれてしまったんだと。けんども−今はこのように美しいがやがて歳をとると醜くなってしまう。何とかこの美しさを保つ方法は無いものか−と思うようになったのじゃ。思い悩んだ挙句、辰子はもう神仏にすがるしかないと、百日参りをすることにしたんじゃ。そうしてのお、母親が寝静まるのを見届けると、こっそりと起き出しては暗い夜道を裏山の神社に毎晩通うたそうじゃ。

やがて満願となった日のことじゃった。辰子にふと語りかける声があったそうな。−ここより一里ばかり北に清い水の湧き出る泉がある。雪解けになったらその水を飲むが良かろう。さすればそなたの願いは叶うであろう−と。辰子は小躍りして喜んでのお。そうしてひたすら雪解けを待ち、やがて春を迎えたある日のことじゃった。辰子は村の友達と北の方へと山菜採りに出かけたんじゃ。果たしてそこにはお告げのままに綺麗な泉が涌き出ておってのお。ちょんど昼時じゃったが、連れは未だ山菜を採り足らないからと再び山の中へ分け入ってしまったそうじゃ。辰子がふと小川を見るとそこには素手でも掴めるほどの沢山の魚が泳いでおった。仕方なく辰子は魚を捕まえて焚火で焼きながら連れの友達を待つつもりでおったのじゃが、魚が焼けるにつれて何とも香ばしい匂いが辺りに漂うてのお。

辰子は友達に悪いと思いながらも一匹だけならという気持ちで口にしてしまったのじゃ。けんどもなぜか次から次へと欲しくなり、とうとう焼いた魚を全部たいらげてしまったのじゃ。すると今度は猛烈に咽が乾いてきたんじゃと。泉に駆け寄るとその水を両手ですくい飲んでみたんじゃが、どうにも乾きが収まらん。気がつくと腹這いになってがぶがぶと水を飲んでおったんじゃが、その時ふと水面に写る自分の姿を見ると、何とも恐ろしい龍の姿になっておったそうじゃ。するとたちまち天地鳴動するほどの雷鳴があり、もの凄い勢いで大雨が降り出してきてのお、轟音が響いたかと思うと今まで野原だったところが一気に陥没し、そこに雨水が溜まり大きな湖が出現したんじゃ。

慌てて戻った友達は辰子を必死に探したけんども見つからず、村に駈け戻ると辰子の母親に事の始終を話したのじゃ。母親は急いでその場所へ行き、出来たばかりの湖に向かって娘の名を叫んだのじゃ。すると湖面からはそれはそれは恐ろしい姿をした龍が現われたそうな。母親は−私が探しているのはお前のような醜いものではない。辰子は何処におる〜ッ−と立ちはだかる龍に向かって叫んだそうな。するとその醜い姿の龍がたちまち元の美しい辰子に姿を変えると、身に起こった出来事を伝えたそうじゃ。

かかさま、このような姿になってしまった親不幸をどうかお許し下さい。
その代わり、かかさまが魚が欲しくなったときにはいつでもお届けしますから。

そう云うと、再び湖の中に消えていったそうな。母親は嘆き悲しみ泣き叫んだのじゃがどうすることも出来ず、一人とぼとぼと家に帰ったんじゃと。それからというもの、母親が魚が食べたいと思うといつの間にか家の前に魚が届けられていたんだと。そうしてこの時出来た湖が田沢湖だということじゃ。とんとむか〜し昔のお話しじゃあ。

日本一の深さを誇る田沢湖はその深い色合いを見せてくれましたが、辰子伝説は永遠の美を望み、龍に変化してしまった娘の、ちょっぴり悲しいお話ですね。その辰子伝説には続きがあり、八郎太郎伝説という恋物語があるの。機会がありましたら紹介しますね。

22.JR盛岡駅 もりおかえき 12:30頃着

手を振る辰子に別れを告げて (^^; 盛岡駅まで降りてきましたが、さすがは東北の玄関口だけあり、賑やかでした。ここでツアー中同行して下さったガイドさんや皆さんともお別れです。しかし、このまま上りの新幹線に乗車してしまうのも勿体ないわね−と盛岡市内を散策してみました。城下町・盛岡は繁栄の中にも落ち着いた佇まいをみせて、文化の香り溢れる街並みが旅人を優しく迎えてくれました。

23.盛岡大通り郵便局 もりおかおおどうりゆうびんきょく

盛岡駅から歩くこと30分余り。今でしたら迷わずバスに乗るところでしょうが、当時は元気があったのですね。ここでお約束の記念貯金。仲々平日に旅をする機会が無いもので、お財布の中身が減るのに何か得した気分になってしまうから不思議ですね。

24.盛岡城址公園 もりおかじょうしこうえん

紅葉 紅葉 紅葉 紅葉

盛岡城址公園は南部藩の築城跡で、豪壮な石垣に往時のスケールが偲ばれます。そんな歴史的背景など構わぬ連れは〜忍者だ忍者だあ〜と云って石垣を駆け上がろうと。コラコラ〜ッ。(^^; ここでは出会う人も無く、広い園内を独り占め。木々の紅葉もちょうど見頃を迎えていました。

城址公園 城址公園 園内は綺麗に整備され、街中を歩いて来たせいか、ここだけ異次元の空間にでも迷い込んだ感じでした。秋の陽射しを浴びながらの散策にはもってこいの場所ですね。植栽されている木々の紅葉も素敵でした。

25.与ノ字橋 よのじばし

お腹も空いたし、折角盛岡に来たのですから名物のわんこ蕎麦に挑戦しようと「わんこや」さんに向かいましたが、混雑のためなのか、それとも運悪く休業していたのか思い出せませんが、もう一方の「直利庵」に変更しました。元来た川沿いの道を歩いているとバシャバシャーッと何やら音がしたの。最初は鯉でも放流されていて浅瀬に乗り上げたのかしら程度にしか思いませんでしたが、良く見ると流れの中央であちらこちらに背鰭が見え隠れしているの。一体何を興奮しているのかしら、ちょっとここからでは見えないから−と与ノ字橋まで戻り、橋の上から川面を見下ろしてみてビックリ。

何とサケが産卵しているのです。エ〜ッこんな街中で?確かに水は澄んでいて綺麗でしたが、車がひっきりなしに往来する橋の袂で、まさか大自然の生命の営みが見られようとは。写真はその内の一枚ですが、産卵中ではなくて産卵場所を作っているところ。欄干から身を屈めて覗き込んで騒いでいても、道行く人達は何の興味も持たぬまま通り過ぎていきます。旅人には新鮮な驚きでも盛岡の方々には日常の出来事なんですね、羨ましい限りね。あれから大分月日が経ちましたが、あの営みは未だ続いているのかしら。

26.旧盛岡銀行本店 きゅうもりおかぎんこうほんてん

旧盛岡銀行 左掲は盛岡を紹介した観光ガイドには必ず出てくる旧盛岡銀行の建物よ。明治44年(1911)に盛岡銀行本店として建てられ、設計者はあの東京駅と同じ辰野金吾とその教え子の葛西萬司で、レンガ造りの建物は辰野式ルネサンス様式と云われているのだそうよ。さすがに辺りには近代的なビルが建ち並びますが、その中でも芸術的ともいえる偉容を呈しているの。今の時代にこんな建物を造ろうとしたら、それこそ莫大な費用がかかるでしょうね。建物は平成6年(1994)に国の重要文化財に指定されているの。

営業中の業務用店舗では初めての認定ですが、ひとことお断りすれば建物内の見学もOKみたいよ。興味のある方はお立ち寄り下さいね。但し、建物内では実際に銀行として営業されていますので見学に際しては御注意下さいね。

27.中ノ橋郵便局 なかのはしゆうびんきょく

旧第九十銀行に向かう途中で同局を見つけて同じく記念貯金。再び得した気分に浸ります。

28.旧第九十銀行 きゅうだいきゅうじゅうぎんこう

先程の旧盛岡銀行とは違い、こちらは寂しい佇まいを見せていました。建物が小さい上にこれといった装飾も無く、質実剛健といった感じのせいでしょうか。建築史的な価値も知らないξ^_^ξは殆ど素通り状態で終えてしまいました。

29.盛岡八幡郵便局 もりおかやはたゆうびんきょく

ようやく盛岡バスセンターまでやって来ました。直利庵は確かこの辺りのハズなのだけど−とキョロキョロしていると、またしても何やら見覚えのあるあの赤いマークが。また、あったよ〜と再び記念貯金。まあしかし郵便局の多い街ですね。一日歩いてたら破産してしまいますね。

30.わんこそば・直利庵 ちょくりあん

認定証 寄り道しながらもやっと辿り着いた直利庵。お腹もペコペコで、さあ喰べるわよ〜とばかりに暖簾をくぐりましたが、細長いテーブルが並ぶ部屋に案内されました。お昼時間をとうに過ぎたせいで他に挑戦中のお客さんもなく。テレビの旅番組などでは見たことがあるものの、どうやって始まるのかちょっと不安な面持ちで待つこと暫し。出されたメニューには幾つかのコースがあり、出てくる薬味の種類の数で料金が変わるの。今となっては幾らのコースを頼んだのか忘れてしまいましたが、手元の写真を見るとお刺身やら椀ものが並びますが、蕎麦だけでお腹一杯になり、呆けている連れの2人が映ります。あまり喰意地を張って頼まない方が良さそうですね。(^^;

薬味が座卓に並び再び待つこと暫し。やおら姉さん被りに緋いタスキ掛けしたあねさんがわんこ蕎麦の入ったお椀を並べた木箱を持って現れました。そして、満腹でこれ以上入らないとなった時にはお椀に蓋をすること、但し中に蕎麦が入ったままの時や、あねさんがお代わりを取りに席を外した際には蓋をしてはいけない−などとわんこ蕎麦のルールを一通り聞かされて。

そして、いざ勝負!というあねさんの掛け声。小さな蕎麦の塊なので一口で収まるのですが、モグモグしている間に椀の中には次のお蕎麦が投げ込まれるの。最初はペースが飲み込めずにいたものの「 は〜いドンドン、はいジャンジャン 」の掛け声に嵌まり、こちらも波に乗って来たの。あねさん一人に食べる方は3人。勢いづいたところでお代わりのため、あねさんが中座し一同小休止。

再び現れたあねさんは先程より勢いづいてきて、投げ入れたお蕎麦がお椀から飛び出すほどなの。受ける方もエキサイトしてきて、もう殆ど乱闘状態。その内薬味などどうでも良くなって。お蕎麦を味わうどころか、飲み込むのにも必死なの。連れの2人が満腹感を得て、ルールよろしくお椀に蓋をしようとするのですが、お蕎麦を掻き込んだ瞬間にもう次のお蕎麦がお椀に投げ込まれると云う神業で。キャア〜!!とかオオー!!とか、野獣の雄叫びが飛び交う光景よ。う〜ん、ライブでお届けしたいなあ。(^^;

ξ^_^ξもこれ以上喰べられないよお〜とお椀に蓋をしようとしたのですが、これが仲々タイミングが難しく、蓋をしようとしてからも10杯位は余計に食べさせられてしまいました。食べ終わってみれば周囲にはお蕎麦や薬味やらがお蕎麦のつゆと一緒に飛び散り、食べる前に渡された前掛けの意味が良〜く分かりました。あねさんとの果し合いのようなゲーム感覚、是非皆さんもお試し下さいね。記念の認定証を頂戴して来ましたが、因みにξ^_^ξは70杯でダウン。聞けば女性でも100杯を平らげる猛者がいるそうよ。わんこ蕎麦の大喰い競争では200杯を優に超えるとも。聞くだけでもお腹一杯になってしまうわよね。食後の腹ごなしに椀子蕎麦の云われなぞを一くさりしてみますね。ここ南部地方では、昔からお蕎麦を漆器のお椀で食し、旧家では祝事や寄り合いなどのときに、多くの女性達が客のお椀にもう喰べられないというまでお蕎麦をついで廻ったものなの。本来は持て成しの食事が時代の変遷を経て今日に至っているの。あなたも直利庵で愉快なおもてなしを受けてみてはいかが?

31.JR盛岡駅 もりおかえき 17:03発

わんこ蕎麦の興奮覚めやらぬ間に、突き出たお腹を少しでもへこませようと食後の腹ごなしがてら元来た道を戻り、再び盛岡城址公園へ。さすがに坂道の石段が辛く感じてしまいましたね。陽射しも弱まり、公園の木々もその影を長くして、ξ^_^ξ達一行の旅への思いを長く盛岡の地に留めようとするの−と、ここまでは良かったのですが。

盛岡駅に着き、コインロッカーから手荷物を引き出して旅の余韻に酔いしれながらホームに上ると、あれ〜?乗車するはずの列車がいな〜い!。ホームには目的の列車はおろか、一両の列車もなくてガラ〜ンとしているの。乗客もポツンポツンとベンチに腰掛けている程度で。どうしてよお〜と慌ててポケットの予定表を確認。が〜ん、03分と30分を見間違えてるぅ〜。びぇ〜ん。

乗ろうとしたのは16:03発。時計の針は無情にも20分余りも過ぎていて。どうすんのよ〜ッ、帰れないのお〜。切符パアになったんだから又買わなきゃいけないのお〜、お金無いよ〜と容赦無い連れの叱責。駅員の方を見つけて事情を話すと、指定席はダメだけど自由席だったらどの列車に乗っても構わないと。知らなかった。(^^;

気を取り直して自由席の乗車口にてひたすら待つことに。その間にも指定席買ってあったのに何で自由席に乗らなきゃいけないのお〜、ぶちゅぶちゅ ・・・ 耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、じっと我慢のξ^_^ξでした。やっと折り返し上り列車がホームに滑り込んで来て無事座席を確保。やがて列車は盛岡駅を後にしましたが、座席に座れた安心感で乗り損なったことなどすっかり忘れた連れの2人は、もう旅の思い出話に浸ってる。(^^;

32.JR上野駅 うえのえき 20:24着


ツアーの利用と云うことで殆ど駆け足の旅でした。紅葉も見頃を迎えるこの季節は思いを同じくする方も多く、どこも大賑わい。当初はプランを立案してみたのですが、宿泊先が確保できずに断念。仕方なくツアー利用に切り替えました。なので見処をゆっくり観て歩くことも出来ず、欲求不満の旅となったのは仕方のないことかも知れませんね。最後の最後で大失敗の旅でしたが、今となっては楽しい思い出です。能天気な連れの2人を引率しながら、機会を見つけてまた旅に出ようと思います。それでは、あなたの旅も素敵でありますように‥‥‥

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どこにもいけないわ
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