≡☆ 菖蒲神社・藤まつり ☆≡
2017/05/03

以前、菖蒲町のお散歩をした際に、菖蒲神社には樹齢300年余の大藤があることを知ったのですが、開花時期に合わせて出掛ける機会が仲々得られずにいたの。今回、ようやく念願かなって見事に咲き誇る姿を目にすることが出来たので、紹介しますね。

菖蒲藤祭

藤 〔 菖蒲のフジ 〕  所在地:久喜市菖蒲町菖蒲552
埼玉県指定天然記念物  指定年月日:昭和27年(1952)3月31日 
菖蒲のフジは、国指定特別天然記念物「牛島のフジ」(春日部市)と同じ野田フジと云う品種です。樹齢は300年を超すと云われています。大正の初め頃に広い棚を作ったところ、樹勢が良くなり、1.8mにも達する見事な花房を付けるようになったと云われています。そこで、大正天皇の即位に因み、「君万歳の藤」と名付けられました。その後一時期樹勢が衰えたため、平成9年(1997)から3ヶ年にわたって、地元の皆さんの手により、樹勢回復のための土壌改良や、腐食した幹・枝の治療、日陰になる木の移植等が行われました。現在では、樹勢も回復の兆しを見せ、毎年5月の上旬には見事な花房を付けるようになりました。根回り9m、幹回り1.5m、藤棚面積266m² 平成13年(2001)2月 埼玉県教育委員会・久喜市教育委員会

ここでは、ξ^_^ξが撮りためてきたものをスライドに纏めてみましたのでお楽しみ下さいね。
But 藤棚をぐるぐる回りながらの流し撮りですので、似たような画像が混在しますが御容赦下さいね。

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改めての説明は不要よね。と云うか、冒頭に御案内した以上のネタ話の持ち合わせがなくて(笑)。
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同上です。スライドをお楽しみ下さいね。
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社殿前では舞踊やお囃子の奉納なども行われた(みたい)のですが、ξ^_^ξが訪ねたときには神楽(浦安の舞)が奉納されていたの。その様子を少しだけ収めてきましたので御覧下さいね。こちらはその一部分のスライドです。


ここで、参考までに菖蒲神社について紹介しておきますね。
と云っても、現地案内板の説明を転載しているだけですが。

菖蒲神社は、古くは袋田社、袋田明神社とも呼ばれ、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)を祭神とする神社で、境内は東西25間( 約45m )、南北43間( 約77m )で、面積は1,715坪を有していた。現在の祭神は、袋田大明神、鷲宮大明神( 武夷鳥命:たけひなとりのみこと )、久伊豆大明神( 大己貴命:おおなむちのみこと )の三神で、五穀豊穣、厄除、病気平癒に霊験灼かと云う。御神体は銅鏡で、本地薬師の像が彫られており、裏に寛文9年(1669)9月の銘がみられる。【新編武蔵風土記稿】には末社として稲荷天神合社、雷電社、大黒天金毘羅秋葉聖徳太子合社があり、他に村内には稲荷社( 村民持 )、愛宕社( 慈眼院持 )、若宮八幡社、三所権現社があったと記されている。毎年1月15日には、注連飾や古いお札を持ちより左義長が行われる。左義長は「どんど焼き」とも云われ、長い竹数本を立て、門松や書初めなどを焼き、その火で焼いた餅を食べると一年間の病が除かれると云うものである。尚、3月下旬から5月下旬までの2,7の日には、鳥居前の通りに植木市が立ち賑っている。昭和58年(1983)3月 久喜市教育委員会

冗長となるのを覚悟の上でもう一つ。

〔 菖蒲神社 〕  当社は、元は袋田明神社と号していた。【風土記稿】菖蒲町の項には「袋田明神社 祭神は稲田姫命(いなだひめのみこと)と云 神体銅鏡にて本地薬師の像を彫れり 裏に寛文9年(1669)と見ゆ 合殿に鷲宮・久伊豆の両者を置り 吉祥院持 末社稲荷天神郷合社 雷電 大黒天金毘羅秋葉聖徳太子合社」と記されている。別当の吉祥院は袋田山安穏寺と号する真言宗の寺院で、草創の年時は不詳であるが、開山は弘鑁(こうばん)、開基は菖蒲城主・佐々木源四郎と云う。佐々木氏は金田を称し、後に小田原北条氏に与して天正18年(1590)豊臣秀吉に滅ぼされたと云う。当社の鎮座地は、菖蒲城主佐々木氏の陣屋跡と伝えられる地の直ぐ南西に位置している。また、吉祥院もこの陣屋跡の西側に隣接していることから、当社も吉祥院同様に佐々木氏により中世末期に再建されたものと推測される。神仏分離を経て、当社は明治3年(1870)に村社となった。更に、同42年(1909)と大正2年(1913)に地内の無格社が合祀されたが、その多くは後に合祀が解かれ元地に戻された。当社の大元となった袋田明神社の社名は、氏子の間では、見沼代用水を隔てた新堀の地に祀る久伊豆神社の祭神・大己貴命のお袋(母親)が稲田姫命であることに由来すると伝えられている。或いは、見沼代用水の開削以前に旧河川のこの辺りを袋状に流れ、一面に田が広がっている所に坐す神に由来するとも考えられるが、明らかでない。

















絵馬 藤棚の前で見掛けた絵馬には紫式部か、はたまた清少納言を思わせるような単衣を纏う女性が描かれていましたが、清少納言も【枕草子】の中で「藤の花はしなひ長く 色濃く咲きたる いとめでたし( 中略 )すべて紫なるは なにもなにもめでたくこそあれ 花も糸も紙も」としたためているの。藤紫色したものなら何でも素敵なの−と無条件の賞賛振りですが、清少納言に限らず、藤紫には古来より霊力が備わると信じられ、花房が稲穂に似ることから稔りの象徴として女性を連想させるものにもなったの。また、吉祥院に伝わる【吉祥院縁起】では、佐々木源四郎の母を袋田明神として祀ったのが始まりとされ、更に、主祭神が奇稲田比賣神であることなど、菖蒲神社は女性とは深〜い関係がありそうね。偶然の一致?それとも単なるこじつけかしら。それでは、あなたの旅も素敵でありますように‥‥‥
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どこにもいけないわ