≡☆ 菖蒲の散策 Part.1 ☆≡
2009/06/28

梅雨の晴れ間を見つけて埼玉県の菖蒲町で開かれていた第15回あやめ・ラベンダーのブルーフェスティバルに出掛けてみたの。補:掲載画像は一部を除いて幾れも拡大表示が可能よ。気になる画像がありましたらクリックしてみて下さいね。クリックして頂いた方には隠し画像をもれなくプレゼント。(^^;

菖蒲城趾あやめ園〜八束緑地グランド〜ラベンダー苑〜ラベンダー堤〜しらさぎ公園

1. JR桶川駅 おけがわえき 9:31着 9:43発

Printing 旧菖蒲町は平成22年(2010)に旧久喜市、北葛飾郡栗橋町・鷲宮町と合併し、現在は久喜市になっているのですが、菖蒲町の名が消えてしまったわけでもないの。ちょっとややこしいのですが、この頁での菖蒲町は合併以前の旧菖蒲町のことですので御注意下さいね。と云っても余り気にする必要は無いかも知れないわね。桶川駅東口からは 朝日バス の菖蒲車庫行に乗車。他にもJR宇都宮線を利用して久喜駅からアプローチすることも出来るのですが、桶川駅発のバスなら城趾あやめ園の目の前に停車してくれるの。少しでも歩く時間を減らしたい方にはお薦めよ。(^^;

2. 城趾あやめ園前BS じょうしあやめえんまえばすてい 10:02着

城趾あやめ園前BSは「あやめ・ラベンダーのブルーフェスティバル」開催期間限定で設けられる臨時のバス停なの。正確には開催に先立つ一週間前から設置されるみたいね。但し、9:00-18:00 の時間帯のみの停車なので、誰も来ない内に一番乗りして花菖蒲を写真に収めようと云う方は、一つ先の新堀BSで下車して歩くしかないわね。アプローチはさておき、一番難しいのが訪ねるタイミングよね。ξ^_^ξもあやめとラベンダーの開花時期が異なることから、結果的には複数回訪ねることになってしまったの。料金:¥380

久喜市HP にはフェスティバル開催期間の一週間前頃から花菖蒲とラベンダーの開花情報が掲載されるので、チェックした上でお出掛け下さいね。

参考:平成21年(2009)の臨時バス停設置期間など
1. フェスティバル開催期間
2. 臨時BS設置期間
3. 臨時BS乗降可能時間
2009/06/07(日)〜2009/07/05(日)
2009/05/30(土)〜2009/07/05(日)
9:00〜18:00

次からは歴史のお話しが続くの。
そんなの、興味ねえよ、さっさとアヤメを見せろ!−と云う方は こちら へ。

3. 菖蒲城趾あやめ園 しょうぶじょうしあやめえん

左掲は園内にある四阿へ直行する場合の出入り口で、普通は屋敷門からが順路になっているみたいね。その屋敷門までは「萩の垣根」が続き、「この度、城跡の趣を求めて萩の垣根を造りました。垣根を城壁に見立て、また、その下辺に本菖蒲を植えましたが、築城の頃辺り一面に本菖蒲が生い茂っていて、これが城の名、町の名の由来と伝えられているからです。尚、萩の垣根は材料としての萩の入手難から、大変高価で実物が殆ど見られなくなりましたが、本町では、見沼用水路沿いの「萩の径」のものを利用し、いわばリサイクルに依って造ったものです。菖蒲町」とあるの。

地名の菖蒲ですが、その起こりについては二説あるようね。一つ目は奈良時代の高僧・行基が下野国(≒現:栃木県)に下向して来たときのことなの。この地に辿り着いた頃には陽もとっぷりと暮れてしまい、薄明かりの中で沼だけが白く光り、辺りには一面の菖蒲が生い茂っていたことから名付けられたと云うの。But 行基が畿内を離れ東下して来たと云う傍証は何も無いの。この説の出処は吉祥院に伝えられる【吉祥院縁起】ですが、同院では開山も行基にするなど、いずれも寺格を高めるために後世に付与されたものみたいね。吉祥院さん、ごめんなさいね、イチャモンつけて。

二つ目の説ですが、時代としては室町時代のことになるの。鎌倉公方の足利持氏は幕府に反旗を翻すのですが、結局は関東管領の上杉憲実に討たれてしまうの(永享の乱)。それから10年後の宝徳元年(1449)、持氏の遺児・成氏(しげうじ)を鎌倉公方に迎え、憲実の嫡男・憲忠を関東管領として鎌倉府が再興されるのですが、享徳3年(1454)、その成氏が今度は憲忠を謀殺してしまうの。血塗られた歴史が再び繰り返されるという悲劇ですが、その成氏は関東管領の憲忠を殺害した廉に依り幕府から追撃を受け、下総国古河(茨城県古河市)に本拠地を移すと古河公方となったの。幕府から成氏追討の命を受けた山内・扇谷の両上杉氏は江戸城・河越城・松山城などを築城して成氏に対峙し、一方の成氏にしても菖蒲城を始め、羽生・騎西・野田・関宿・小金井などに築城して対抗したの。中でも菖蒲城は最前線に位置することから重要視されたみたいね。菖蒲城は実際には成氏の家臣・金田式部則綱(のりつな)が築城したものですが、完成したのが菖蒲が生い茂る五月五日だったことから菖蒲城と名付けられ、地名も菖蒲と呼ばれるようになったと云うの。

永享の乱については鎌倉歴史散策−小町・大町編の 別願寺 の項で触れています。
興味のある方は御笑覧下さいね。CMでした。(^^;

この門は、江戸時代この地域一帯を治めていた、旗本内藤氏の栢間陣屋の裏門と伝えられて いるものです。陣屋とは、領地に置いた屋敷・役所のことです。内藤氏は、現在の栢間小学校の地を中心に、約10,000坪の広さを有する陣屋を置き、戸ヶ崎(菖蒲)・新堀・三箇・栢間・小林等の各村に、合わせて5,700石の領地を治めました。内藤氏は、徳川家の大身旗本として14代にわたり幕末まで仕えましたが、中でも初代の四郎左衛門正成は、徳川家康の重臣として、数々の戦功を立てたことから徳川家康十六神将の一人にも数えられています。

尚、内藤氏の歴代の墓所は下栢間の 善宗寺 にあります。明治以降、陣屋は廃止解体されましたが、この門は当時名主であった三須家に移築され、今に伝わりました。このほど三須 昭氏のご厚意により、この門が町に寄贈されたことにより、城趾あやめ園に移築したものです。平成10年(1998)3月 菖蒲町

初代・内藤正成(四郎左衛門)は徳川氏の三河時代からの旧臣で、弓槍の名手として名を馳せるなど武勇に長じ、徳川家康十六神将の一人にも数えられているの。天正18年(1590)、徳川家康と共に関東に入府すると武蔵国埼玉郡栢間、小林、戸ヶ崎(菖蒲)、新堀、三箇村など、現在の菖蒲町の大半を占める5,000石もの知行地を拝領したの。それまでの所領が三河国幡豆郡(現:愛知県幡豆郡)の700石だったことからすると破格の加増で、江戸幕府開創に対する正成の貢献度が窺えるわよね。その正成と徳川家の関係を象徴するのが正成が病に倒れたときのことなの。

【新編武蔵風土記稿】には「慶長7年(1602)4月6日内藤四郎左衞門正成 武州栢間の郷に於て病に臥す 壘世舊功の御家人たるに依て 臺徳院(二代将軍秀忠)殿御哀憐あり 醫師久志本左京亮を栢間郷に差遣され 療養を加ると雖も 重病たるに依て 此月13日76歳にて卒す」とあり、秀忠自ら正成のもとに侍医を遣し向けた程なの。

お話が前後してしまいますが、知行地を得た正成は栢間村に 陣屋 を構えたの。【風土記稿】には「村の西にあり 横一町 竪三町許の地なり 四方に垣を結廻せり 内藤四郎左衞門正成此地に住し 後旗下の士一統江戸に移りしより ここには留守居として在住の家人一人 其餘江戸より 家人一人ずつ交代して守らしむ 今に至て然り」とあり、現在は栢間小学校が建つ敷地と、前に広がるテスコ(株)跡地(埼玉県住宅供給公社所有地)にかけての一帯を占有する大規模なものだったみたいね。寛永2年(1625)、三代忠俊(新五郎)のときに幕臣に対する「府内宅地の制」が出されると、内藤氏もまた江戸屋敷に定住するようになり、陣屋には家人を置いて事に当たらせたの。

その内藤家ですが、寛永8年(1631)、三代忠俊のときに改易されて絶えてしまい、それでも初代正成の三河以来の功績が認められて外孫の外記正重が跡を継いだの。【風土記稿】には「正成が長男甚市郎正貞故ありて流浪す 次男右京進安成家督を繼ぐ 其男圖書助某に至て改易せらる 此時甚市郎正貞が長男外記正重別に召出され 御持弓の頭を勤居しが 寛永8年(1631)3月8日江州森山及び相州波多野戸室 下總國日暮小金龍村 武州北野 上總國大上等の舊領を改め 栢間村5,000石を賜ふ 時に上意ありて曰 祖父正成死後遺領を右京進安成へ賜ひ 安成沒後其男圖書某へ賜はりしが 罪ありて改易せらる 正重は正成が嫡孫たり 且勤仕怠ざれば 此地御加増にはあらずと雖ども 賜はるの旨臺命に依て此地を領すと云」とあるのですが、改易の理由については触れられていないの。正貞故ありて流浪す−と云うのも気になるわね。

屋敷門を潜り抜けたところで、お待たせしました。
あやめ園の景観と花菖蒲の競演をお楽しみ下さいね。

あやめ園の景観
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あやめのアップ画像
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ヘメロカリス
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園内のほぼ中央には四阿が設けられて休憩出来るようになってはいるのですが、4,5人が腰掛けられる程度なので、来園者が多いと休憩は難しいわね。その四阿から少し離れて菖蒲城趾と刻まれた石柱が建ちますが、傍らには菖蒲城阯之碑もあるの。

菖蒲城阯之碑 埼玉縣史蹟調査委員 柴田常惠題額
菖蒲城は一に新堀城といい、東北に星 川、西南に小林沼を擁する要衝に營まれ、その形勢羽生・騎西の諸城に類似し、康正2年(1456)5月、金田式部則綱の創始と傳う。金田氏は近江佐々木氏にして、秀義12代の孫氏頼の長子滿高初めて金田氏を稱して、東國に來住し、その子友綱應永26年(1419)埼玉郡須賀に留まり關東管領に屬す。則綱は友綱の子にして佐々木氏を稱し、一族大塚氏と共に新堀に居り、古河公方成氏に仕え、菖蒲領十二郷を領有し、宮宿の吉祥院を以て祈願所と爲す。

鎌倉大草紙に享徳4年(1455)6月、成氏上杉勢の爲に鎌倉を逐われ菖蒲に落著、敗軍の士卒を集めて、總州下河邊城に篭ると曰えるもの、即ち此地にして蓋し則綱を頼りしものなるべく、以て其勢力を察するに足る。則綱の子氏綱は新堀の久伊豆神社を崇めて城の鎭護と爲し、又慈母の爲に永昌寺を開創す。4代の孫頼綱は原の東雲院を開基し、其子秀綱の時には忍城成田氏の旗下に屬し、天正18年(1590)小田原北條氏の滅亡と共に遂に廢城となり、子治部の柴山移住により、その跡陸田と化し大塚氏の有となれり。今茲皇紀2,600年を期し有志相謀り碑を城阯に建て、以て往時を顯彰せんとす。則ち囑に依り沿革の大概を敍す。昭和15年(1940)6月 埼玉縣史編纂囑託 稻村擔元撰竝書

野ばら
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4. 附廻堀遊歩道 ふまわしぼりゆうほどう

ここではξ^_^ξが勝手に附廻堀遊歩道と名付けてしまいましたが、単なる無名の農道 (^^; ですので御注意下さいね。お世辞にも綺麗だとは云えないので川の流れを撮した写真がありませんが、遊歩道の傍らを附廻堀が流れているの。それにしても変な川の名前よね。実はこの附廻堀、正式には附廻堀悪水路と呼ばれ、元々は新田開発をする際に小林沼(菖蒲町小林)に悪水(排水)が流れ込むのを防ぐ目的で整備された水路だったの。その時の名称が今もそのまま川の名前として残されていると云うわけ。菖蒲町小林字沼頭に発した附廻堀は 正眼寺 の北で野通川と合流するとその役目を終えるの。

城趾あやめ園とラベンダー苑を結ぶ最短ルートがこの附廻堀遊歩道になるの。左端は最初に訪ねたときのものですが、3週間も経つと辺りは一変して一面の緑に覆われていたの。沿道の紫陽花が花を咲かせる頃はちょっとした紫陽花ロードにもなるのですが、田植えの時期は足許に御注意下さいね。トラクターなどが道に乗り上げて走ったりするので、大きな泥の塊が落ちていたりするの。よそ見しながら歩いていたら靴が泥の中に埋もれていたなんてことにならないようにね。何を隠そう、経験者なの。(^^; あくまでも農道だと云うことを忘れないで下さいね。

5. 八束緑地グランド はっそくりょくちぐらんど

あやめ・ラベンダーのブルーフェスティバルのイベント会場となるのが菖蒲町庁舎前の広い駐車場なの。多くの露店がたち並び、期間中はお祭り気分一色よ。その駐車場の前にあるのが八束緑地グランドで、彩のブルーランドしょうぶ Winfield Sports Park とあるの。説明に依ると「長年に亘る菖蒲町とローズバーグ市との中学生のホームステイ交流に尽力し、両市民の友情と相互の文化理解に大きく貢献されたミスター・ハロルド・ウインフィールド氏の功績を称え、愛称としたものであります」とのこと。このローズバーグ市と云うのはどこにあるのかしら−と気になり調べてみると、アメリカのオレゴン州にあり、姉妹都市協定を結んで中学生のホームステイの他にも交流事業をおこなっているみたいね。詳しくは しょうぶ・ローズバーグ協会 を御参照下さいね。

普段はサッカーなどの球技に使用される八束緑地グランドですが、北側にはあやめ園も造られているの。それが「八束緑地あやめ園」で、15品種1,000株の花菖蒲が植えられているの。同じ日の撮影ですが菖蒲城趾あやめ園では見頃を迎えていた花菖蒲もここでは未だ開花していなかったの。同じ花菖蒲でも品種が違うからかしら?

八束緑地あやめ園ではアヤメ、カキツバタ、ハナショウブの写真を並べてアヤメ類の見分け方が案内されていましたが、ξ^_^ξにはどれも同じに見えてしまい、素人が区別するのはやはり難しそうね。説明に依ると、菖蒲城趾あやめ園と八束緑地あやめ園の花はハナショウブだそうよ。エッ、あやめ園なのにアヤメじゃないの?何だか良く分からないわねえ、知恵熱が出て来そうよ。分からなくても綺麗なんだから、ま、いっか。(^^;

因みに、菖蒲町の菖蒲はサトイモ科ショウブ属の菖蒲(しょうぶ)を指し、端午の節句に使われる菖蒲がそれなの。端午の節句も古くは端午節会(たんごのせちえ)と云い、端午の端は始めの意で、五月上の午の日になると邪気を祓うために家の軒に菖蒲を葺いたり、菖蒲の鬘を掛けたりしたのが始まりで、後に三月三日の桃の節句に対して五月五日を以て男の子の節句としたの。今でも時期になるとお花屋さんの店先で稀に菖蒲湯に使う菖蒲を見掛けることがあるわね。花も蒲の穂に似た形の黄緑色した集合花で、殆ど目立たないことから、花は咲かないと思われてもいるみたいね。今では至って地味な存在の菖蒲ですが、嘗ては「あやめ」と云えばこの菖蒲(しょうぶ)のことで、今で云うところの「あやめ」は「はなあやめ」と呼んで区別していたの。

一方、今回の主役ハナショウブはあやめ科イリス属で、葉姿が菖蒲に似ることから花の美しい菖蒲−としてハナショウブと名付けられたのだとか。ショウブとハナショウブの違いがようやく分かり掛けて来たものの、これにアヤメとカキツバタが加わるとやはり分からなくなってしまうわね。まさに「いずれがアヤメかカキツバタ」で、後は皆さんの御賢察にお任せよ。

最初に訪ねたときにはスペシャル・イベントのキャンドル・イルミネーション開催に合わせて準備の真っ最中だったの。残念ながら陽の暮れるまで現地に留まることも出来ずに帰宅してしまいましたが、ラベンダーの香りに包まれた中で幻想的な雰囲気に浸ってみたかったわね。見るとキャンドルの一つ一つには思い思いの寄せ書きが添えられていたの。中でも気を惹かれたのが御覧のキャンドルで、読んだξ^_^ξは思わず感心させられてしまったの。

書いたのは多分小学生の高学年だと思うのですが、将来絶対にすることとして、高校大学を卒業してダンサーになり、結婚して子供を産み、ダンサーを卒業したら今度はネイリストになり、二人目の子供を産むと家族で海外旅行・・・と続くの。ダンサーはやめるのでは無くて卒業すると云うのが味噌醤油味ね。But 思えば当時のξ^_^ξは将来のことなど何も考えずにボ〜ッとしてたわね。そのお陰で今でも底辺をうごめいているのですが。寄せ書きをした女の子に逢ったわけでは無いけれど、きっと素敵な女の子だと思うの。一つでも多く実現出来るように頑張って欲しいわね。

訪ねたときは梅雨の晴れ間とはいえ、初夏を通り越して盛夏を思わせる陽気だったの。歩き疲れていたこともあり、ラベンダー・アイスを買い求めてラベンダー通りの木陰に腰掛けて暫時の休憩タイム。そのときに耳元に流れて来たのが「ラベンダーの町」だったの。会場に繰り返し流れてはいたのですが、雑踏と喧噪にかき消されて気付かなかったの。聴くとはなしに聞いていたのですが、その内♪菖蒲は ふるさと〜♪のエンディングが流れて来たの。エッ、これってもしかして菖蒲町のご当地ソングじゃないの?

改めて歌詞を追いながら耳を傾けていたのですが、♪初恋の人と一緒に夏祭り 夏の日の遠い思い出♪の歌詞に昔のことが思い出されて思わず目頭が熱くなってしまったの。ご当地ソングと云うと民謡調のイメージが強いのですが、「ラベンダーの町」はポップ調の耳に優しいメロディーで、2,3回聴いただけでも直ぐに覚えられそうよ。キャッチコピーには「今とあの頃の私・時を越えた青春 お祭り・初恋そして故郷への想い」とあるの。MANAさんの声色も曲にマッチしていて素敵な仕上がりよ。残念ながら著作権に触れるのでアップ出来ませんので、お出掛けの際にCDをお求めになるか、PAから流れ来るのを待つかして下さいね。(^^;

「ラベンダーの町」¥800 作詞・作曲:しば ともなり 編曲:南 有二 歌:MANA 発売元:MTR Record Co.,ltd.

But 発売は 2007 とあるので、あるいは廃盤の可能性もありそうね。(未確認モードです)
まして久喜市と合併したとあっては菖蒲町のご当地ソングを流すわけにはいかないかも−ね。

6. ラベンダー苑 らべんだーえん

他愛ない感傷 (^^; にどっぷりとひたったところでラベンダー苑へ向かいましたが、庁舎前のラベンダー通りだけでも1,000株が植えられ、北側のラベンダー苑には8,000株が、それに続くラベンダー堤には何と18,000株ものラベンダーが植樹されているの。ラベンダーと聞くと北海道の富良野をイメージされる方が多いと思いますが、都心から日帰り圏内にある菖蒲町でこれだけの規模の開花が見られると云うのはうれしいことよね。加えて、菖蒲町ならハナショウブも併せて見ることも出来、一度で二度美味しい体験が出来てしまうの。

But 一口にラベンダーと云っても品種が異なると開花時期も微妙に変わってくるの。最初に訪ねたときにはラベンダー苑では見頃を迎えていたものの、ラベンダー堤では開花は未だ先のことだったの。そのために都合3回も足を運ぶことに。(^^; 尚、ラベンダー堤のラベンダーは平成19年(2007)に県内のボランティアの方々の協力により植栽されたものだそうよ。

と云うことで、訪ねた日別に景観写真をアップしてみましたので参考にして下さいね。But その年の気象条件で開花も前後しますのであくまでも参考に留め置き下さいね。久喜市HP では、フェスティバルの開催期間中に開花情報がアップされるので御参照の上でお出掛け下さいね。でも、ラベンダーの開花に併せて花菖蒲も一緒に見ようとすると訪ねるタイミングの見極めはかなり難しいかも知れないわ。出来たら花菖蒲とラベンダーを切り離して訪ねることをお薦めしますね。となると、少なくとも2回は足を運ぶことになってしまうけど。(^^;

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7. しらさぎ公園 しらさぎこうえん

紹介した庁舎前のエリアの他にもラベンダーが咲く公園が近くにあることを知り、訪ねてみたのがこのしらさぎ公園なの。平成3年(1991)に造られた公園で、車道を挟んだ2ブロックからなり、南側に造られている小山がラベンダー山で、7,000株のラベンダーが植栽されているの。数の上では見劣りしてしまうのは否めないけど、地勢に変化があることに加えて密集して植栽されているので結構見応えありよ。何よりもここでは上から目線で全体を見渡せることね。12枚アップしてありますが、いずれも 2009/06/28 に訪ねてみたときのものよ。

このしらさぎ公園まで足を運ぶ方はそう多くはないように見受けられたの。
庁舎前から歩いても10分足らずの距離ですので、訪ねてみてはいかがかしら。

8. 城趾あやめ園前BS じょうしあやめえんまえばすてい

ラベンダー通りで休憩していた時に庁舎前にバス停があるのを見つけて、あるいは−と期待して時刻表を覗き込んではみたのですが、庁舎が閉庁となる土日祝日はこのバス停を経由してくれる桶川駅行のバスが無いの。仕方なく元来た道を戻り、城趾あやめ園臨時バス停から乗車したと云うわけ。改めて調べてみると、蓮田駅行なら土日祝日でも経由してくれるみたいだけど、何と日中は14時と15時台にそれぞれ1本ずつ、都合2本だけの運行( ′11.12現在 )なの。これはちょっとツライわね。成り行き任せのぶらり散策では時間が読めないので、ラベンダーを見終えたところでさっさとあやめ園まで歩いた方が賢明ね。


あやめを見たくてネット検索しているときに知ったのが菖蒲町で行われるあやめ・ラベンダーのブルーフェスティバルだったの。あやめだけでなくラベンダーも一緒に楽しめるのならと喜び勇んで出掛けてみたのですが、いざ訪ねてみると開花時期が異なることから後日再訪することにもなってしまったの。加えて菖蒲城趾を通して他にも見るべきものが多くあることを知り、菖蒲町にすっかりはまってしまったの。それはさておき、ブルーフェスティバルは一年に一度、限られた期間にしか見ることが出来ない一大イベントですので、機を捉えてお出掛けになってみて下さいね。それでは、あなたの旅も素敵でありますように‥‥‥

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〔 参考文献 〕
吉川弘文館社刊 佐和隆研編 仏像案内
掘書店刊 安津素彦 梅田義彦 監修 神道辞典
雄山閣刊 大日本地誌大系 新編武蔵風土記稿
山川出版社刊 井上光貞監修 図説・歴史散歩事典
新紀元社刊 戸部民夫著 日本の神々−多彩な民俗神たち−
新紀元社刊 戸部民夫著 八百万の神々−日本の神霊たちのプロフィール−
角川書店刊 室伏信助・小林祥次郎・武田友宏・鈴木真弓 編 有職故実・日本の古典
雄山閣出版社刊 石田茂作監修 新版仏教考古学講座 第三巻 塔・塔婆
講談社学術文庫 和田英松著 所功校訂 新訂 官職要解
菖蒲町教育委員会編 菖蒲町の歴史と文化財 通史編
菖蒲町教育委員会編 菖蒲町の歴史と文化財 資料編






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