|
 |
| ≡☆ 初夏の佐渡紀行 ☆≡ |
|
95.06.10 - 95.06.12 [ 1/3 ] |
|
|
|
ちょっと出処が古くて恐縮ですが、佐渡の大野亀に咲くハナカンゾウの景観写真に魅せられて訪ねたときのメモリアルページです。せめてもの罪滅ぼしのために料金などは努めて現在の情報に置き換えてみましたが、当時乗車した定期観光バスなどはコース内容が変更されていたりして単純な置き換えが出来ませんので、訪時のままになっていますので予め御了承下さいね。
|
|
 |
|
古くて役立たねえ情報なんか載せんじゃねえよ−とお怒りの貴兄には 佐渡なび をお薦めします。 佐渡の情報を扱うサイトが殆ど網羅されているのではないかしら。
|
|
|
一日目:佐渡史蹟めぐり |
|
1.JR上野駅
うえのえき
8:15発
22番線 あさひ301号
|
|
|
列車利用なら上越新幹線の【とき】への乗車が定番ね。約2時間程で新潟駅に到着です。ダメよ〜、そんなにノンビリしてちゃあ〜、佐渡に着く頃には半日が過ぎてしまうじゃないの!と云う貴女には、池袋のサンシャインプリンスホテル前から出発する高速バスがお薦めよ。越後交通・西武バス・新潟交通の西武グループ三社の共同運行の高速バスですが、最終便の23:30発に御乗車下さいね。これなら新潟駅到着が早朝の5:07ですから一日が有効活用出来るわね。
|
|
|
■プリンスホテル前が始発と御案内しましたが池袋駅東口からも勿論乗車出来ますよ。手荷物を抱えてホテル前迄歩くのはイヤよね。ところで嬉しいニュースがあるの。06/04/21のダイヤ改正に伴い、最終便に限り、女性専用車が併せて運行されるの。彼と離れ離れになるのはイヤ!と云う貴女は別ですが(笑)女性同志のグループにはお薦めね。
|
|
そんなに早く着いてもジェットフォイルが運航されていないわ、おまけにお店なんかも開いてないんじゃないの−と云う貴女は終点の万代シティーバスセンター迄乗車してしまいましょう。近くにはモスを始め、マックやKFCもあるのでコーヒーでも飲みながらおツムが起きてくれるのを待ちましょうね。上越新幹線運賃:¥5,460 指定席特急券:¥4,610 因みに高速バスなら¥5,250とお得よ。
|
|
|
2.JR新潟駅
にいがたえき
10:14着
13番線
|
|
|
佐渡汽船の乗船場迄はバスで向かう積もりでいたのですが事前にバス時刻を調べていたわけでも無くて、バス停に向かうとほんの少し前に出てしまったばかりでした。トイレ休憩している内に発車してしまったみたい。この時間帯では3便/Hの運行ですので次のバスは20分も待たなければならないの。バス停でボ〜ッと待つのも何だし、バス代三人分でタクシー代が出るんじゃないの?と思いきってタクシーに乗車しちゃいました。結局、バス代三人分と云うわけにはいかず、当時でも¥1,090でしたが今なら幾らかしら?因みにバスなら一人¥180と、とってもお得よ。新潟交通 で時刻表を確認の上で乗り遅れないようにして下さいね。
|
|
|
3.新潟港
にいがたこう
10:30着 11:00発
|
|
|
一口に新潟港と云っても東西に分かれ、旅客ターミナルのあるのは新潟西港の方ね。その万代島埠頭にあるフェリーターミナルから出港するのが 佐渡汽船 のジェットフォイル。因みにジェットフォイルとはアメリカ・ボーイング社によって開発された旅客用水中翼船の愛称なの。差し詰め、海面を走るジェット旅客機と云うところかしら。スピードをあげたらそのまま空へ飛び立つような気がするのはξ^_^ξだけ?
|
|
|
このジェットフォイルを日本で最初に定期航路に就航させたのがこの佐渡汽船なの。投入当時はボーイング社の製造でしたが現在は川崎重工がライセンス生産をしているの。フロント・フェースの Boeing929 の文字に Kawasaki の名が冠されているのはそんな理由に依るの。旅客定員は250名を越え、3800馬力のガス・タービン・エンジンに支えられて越佐海峡の大海原を時速80km余りで疾走するの。
|
|
|
|
海上では佐渡の両津港側から疾駆してきたジェットフォイルに出会いましたが、難しい話しはさておき、力には美しさがあるわね。けれど感動も束の間のことで、あれよあれよと云う間に後方に姿を消してしまいました。ジェットフォイルのことが気になる方は KAWASAKI JETFOIL を御参照下さいね。乗船券(全席指定):¥5,460
|
|
|
|
4.両津港フェリーターミナル
りょうつこう
12:00着 12:30発
|
|
|
佐渡は島と云っても日本最大の島。ですが島内には鉄道が無く、公共の交通手段となると専ら路線バスの利用にならざるを得ません。そのバスもアクセスの利便性からこの両津港に到着する船便に合わせた運行になってはいるのですが、決して運行本数が多いわけではありません。ガイドブックなど多くの観光案内ではレンタカーの利用を薦めています。けれど情けないことにξ^_^ξの持つ免許証は身分証明書代わり。路線バスもレンタカーもダメと云うことで、残された選択肢が定観バスなの。
|
|
|
なのでこの日に限らず佐渡の滞在期間中は全て 新潟交通佐渡 の定期観光バスの利用です。従って旅行記と云うよりも体験乗車レポートになってしまいますがお許し下さいね。また、訪時に運行していた観光コースも今は無くなり、現在は行程も見処なども変えて新たな名称で運行されていますので、併せて御了承下さいね。以後は当時運行していた【史蹟Dコース】の乗車体験記。 料金:¥3,870(当時)
|
|
|
ここでちょっと佐渡の歴史についてお勉強しましょうね(笑)。これから訪ねる名所旧蹟の他にも佐渡には多くの歴史遺産が残されているのですが、その背景にはこの佐渡ケ島が古くから流刑の地とされて来たことがあげられるの。平安期には国府も置かれ、国分寺が創建されるなど早くから一国の扱いを得てはいたのですが、一方で貴人達の流刑の地にも指定されていたの。今でこそ交通手段の発達で難なく訪ねることが出来るようになりましたが、当時の感覚では都から遠く離れ、絶海の孤島に暮らすことは死罪に次ぐ重刑と見做されたの。
|
|
|
けれど配流されて来たのは専ら上皇や知識階級にある人々だったことから都の文化がこの地に根づくことになったの。現在は両津を表玄関として栄える佐渡ですが、当時の中心地は真野にあり、都を模した文化が国仲平野を中心に花開いたの。鎌倉時代になると地頭が小木に置かれるなど、専ら日本海側に重きがあったみたいね。その鎌倉室町期には後程御紹介する順徳上皇や日蓮上人、世阿弥等が配流させられて来ますが、金山が発見された江戸時代になると流刑の地から幕府直轄の天領となり、産出する金は幕府の財政を支え、人・物・金の動きも大きく変わり、それまでの文化も江戸から伝えられた文化と融合し、大きく姿を変えていったの。
|
|
|
5.根本寺
こんぽんじ
12:45着 13:10発
|
|
|
最初に訪ねたのが新穂地区にある塚原山根本寺。当寺は佐渡に配流された日蓮聖人が生活したと云われる三昧堂跡に建てられたお寺で、日蓮宗十大霊蹟の一つに数えられているの。当時のこの辺りは死人の捨場で、配流された日蓮上人はその草堂で起居すると共に他宗の僧侶と【塚原問答】を行う一方、我日本の眼目とならん−と誓願をたてて【開目抄】を著した霊蹟とされているの。現在は29棟にも及ぶ諸堂を有する 根本寺 ですが、その伽藍は佐渡金山の山師だった備前遊白が慶長12年(1607)に日蓮上人の遺徳を偲び、祖師堂を建てたことに始まるの。その後、同じく金山の山師・味方但馬の寄進を得て大伽藍となったの。拝観料:¥300
|
|
|
因みに三昧堂の三昧はサンスクリット語の Samaya の音訳で、心に乱れが無い状態を指すの。なので三昧堂は仏道修行する精神修養のための堂宇のことね。そうは云っても死人の捨て場に当初からそのような建物があったわけではなく、藁葺屋根の草庵が朽ち行くままに捨て置かれていたのかも知れませんね。尚、右掲は鐘楼ですので誤解の無いようにお願いしますね。三昧堂を掲載したいところですが撮り忘れてしまったの。(笑)
|
|
|
 |
|
ねえねえ、日蓮上人はどうしてこの佐渡に流罪にさせられたの? |
 |
|
それはね、他宗を排撃する一方で、それに与する幕府側の人達にも批判を加えたからなの。
法華経に帰依せぬ輩が政まつりごととは笑止千万。万よろずの国難は全てその因に依るわ!と喝破していたの。
なので為政者側からすれば、じゃかあしい〜坊主め!うぜ〜んだよ−と云うことね。
|
|
|
|
その日蓮上人にしても本当は斬罪に処されるハズだったの。僧籍にある者を死罪とするのは当時でも御法度だったのですが、その禁を破ってまでも斬罪にしようとしたのですから余程疎まれていたのね。それが月天子の加護を得て死罪を免れ、佐渡流罪になったわけ。その月天子の加護とやらが気になった方は鎌倉歴史散策の腰越編を御笑覧下さいね。CMでした。(笑)
|
|
|
6.妙宣寺
みょうせんじ
13:20着 13:35発
|
|
|
阿仏房妙宣寺と呼ばれるように、阿仏房こと、日得上人が弘安元年(1278)に自邸を元に開創したのがこの妙宣寺なの。日得上人は元々は遠藤為盛と名乗る北面の武士で、佐渡配流となった順徳上皇に供奉してこの佐渡にやって来たの。流人と云ってもそこは元上皇と云う高貴な方の側用人なのですから為盛もそれなりの待遇で迎えられたのでしょうね、上皇の亡き後もこの地に踏み止まっていたの。そうして年月を経た文永8年(1271)に日蓮上人がこの佐渡に流されて来るの。拝観料:境内自由
|
|
|
|
当初は為盛もまた日蓮上人を不穏な坊主と嫌悪したみたいですが【塚原問答】に接したことから帰依するようになったと云われているの。そうして為盛は夫人と共に配流の日蓮上人の身辺に仕えると熱心な信者となり、剃髪出家した為盛は阿仏房日得の法号を得て、夫人もまた千日尼と呼ばれるようになったの。そんな二人が自邸を元に開基したのがこの妙宣寺。ですが当初のそれは別な場所にあり、現在地に移されて来たのは後世のことなの。
|
|
|
境内には新潟県内で唯一の五重塔があり、優美な姿を見せてくれました。聞けば文政8年(1825)に建立に着手したものの、その後30年間と云う年月を経てようやく完成されたものとのこと。時間の制約から見学出来ずに終えていますが、境内には【正中の変】で捕らえられ、流罪にさせられた日野資朝の墓所もあるの。その資朝にしても本当は斬首されるはずでしたが、ある理由から罪一等を減じて佐渡流罪になったの。【正中の変】や日野資朝が配流されて来た理由が気になる方は鎌倉歴史散策の源氏山公園編を御笑覧下さいね。
|
|
|
|
7.真野御陵
まのごりょう
13:45着 14:00発
|
|
|
御陵とありますが、御遺骨は現・京都市左京区にある大原陵に移され、正式には順徳上皇御火葬塚と呼ばれているの。順徳上皇は後鳥羽上皇の第三皇子にあたり、後鳥羽上皇と共に鎌倉幕府の倒幕に立ち上がるの。それが承久の変(1221)ですが、幕府側の功が奏して上皇側は敗れ、後鳥羽上皇は隠岐に、順徳上皇はこの佐渡に流されて来たの。
|
|
|
そうして順徳上皇は21年間の長きにわたる配流生活の後、46歳で崩御されたの。荼毘にふされた上皇の御遺骨はその翌年には京都へと移されたのですが、火葬塚は延宝6年(1678)に修復の手を経て、現在は御陵と同格の扱いを以て宮内庁の管理下にあるの。 拝観料:拝陵自由
|
|
|
|
御陵への参道入口脇では御覧のような緋い大きな石が展示されていました。と云っても実は売り物だったりしますが。この赤玉石は錦紅石、碧石と共に佐渡の三大銘石とされ、中でも両津赤玉地区から産出するものが良質とされているの。赤は焔に通じることから島内では古来から魔除け石として玄関や床の間に飾られたと云います。その価値を知らずに連れがその内の一つに腰掛けていますが、背後の大きなものではン百万円から1千万円位するみたい。
|
|
|
|
8.佐渡歴史伝説館
さどれきしでんせつかん
14:02着 14:40発
|
|
|
回遊式の日本庭園を模して造られた池の中央に建つ同館には佐渡の歴史や伝説の語り部達が集まっているの。と云ってもハイテクに身を固めた等身大ロボット達ですが、当時を思わせる装束を纏い、語り掛けてくる物語に耳を傾ければ遠い昔にタイムスリップ出来るの。1Fでは配流されて来た順徳上皇や日蓮上人を始め、世阿弥など歴史に翻弄された古人いにしえびとの物語を、2Fでは森鴎外の『山椒太夫』で知られる安寿と厨子王の物語や、木下順二の『夕鶴』の元となった夕鶴伝説など、佐渡の民話が紹介されているの。入館料:¥700
|
|
|
|
詳細は 佐渡歴史伝説館 を参照願いますが、第1景の『順徳天皇第一皇女慶子女王』に始まり、第12景の『おけさ伝説』迄、照明と音響に依る相乗効果は抜群で、気が付くと思わず物語の中に引き込まれているの。余談ですが『おけさ伝説』は佐渡の伝統芸能として知られる『佐渡おけさ』の由来に因む物語ですが、この「おけさ」が実は猫の名前だったとは。物語の全貌は同館を訪ねられた際に聞こし召されませ。
|
|
|
9.佐渡博物館
さどはくぶつかん
14:50着 15:20発
|
|
|
次に訪ねたのがこの佐渡博物館。豊かな自然や民俗・芸能などの資料を幅広く収蔵・展示する一方、館名の英訳 The Art & Natural History Museum of SADO が語るように、佐渡が生んだ日本画壇の巨匠・土田麦僊つちだばくせんの素猫展示室も設けられているの。開館時に遺族の方から寄贈された、約500点にも及ぶ作品を収蔵するそうで、その全てが常設展示されているわけではありませんが、麦僊ファンには見逃せない博物館ね。入館料:¥700
|
|
|
館内に足を踏み入れると最初に出迎えてくれるのが朱鷺の二羽の剥製(複製)なの。ガラスケースの中で照明を受けて子育てするツガイの姿は神々しくもあるのですが、今となっては哀しくもあり。今更御紹介するまでも無く、朱鷺は学名のニッポニア・ニッポンに象徴されるように日本の固有種で、風切羽と尾羽がピンクともオレンジともつかぬ色をしていることから朱鷺色と形容されるほど、美しい翼を持つ鳥とされて来たの。その朱鷺も平成7年(1995)には雄のミドリが死亡し、日本産最後の朱鷺でもある雌のキンも平成15年(2003)には死亡し、絶滅してしまったの。
|
|
|
|
今でも国境を越えて種の存続が諮られてはいますが、徒らに批判する積もりは勿論ありませんが、一度絶えてしまった種は再び甦るハズも無く、虚しい作業に思えてしまうのはξ^_^ξだけかしら。自然保護の重要性を充分認識しながら、一方で我が身の生存そのものが則ち自然破壊に繋がると云う連鎖に、保護の難しさを改めて感じてしまいますね。掲載写真は二羽の内の一羽をアップで撮影したものですが、今改めて見ると絶滅に追い遣った人間達への恨みつらみの視線に見えなくもないわね。
|
|
|
|
自然・考古・歴史展示室には佐渡島の太古から近世までの自然や歴史を物語る貴重な資料が展示され、豊かな文化遺産が残る背景を知ることが出来ます。残念ながら時間の関係で見学せずに終えていますが、同館では弥生時代の復元住居や佐渡の代表的な茅葺屋根の民家や、赤玉石などの銘石を集めたロックガーデンの屋外展示もされているの。見終えた後にはすっかり佐渡通になっているかも知れませんね。
|
|
|
10.両津フェリーターミナル
りょうつ
16:10着 16:15発
|
|
|
島の中央に広がる国仲平野は奈良時代には国分寺が建てられるなど、佐渡でも古くから開かれた土地なの。中でも真野地区には配流された順徳上皇や日蓮上人所縁の史跡などが散在し、佐渡の飛鳥路とも形容されているの。乗車した史跡Dコースではその主だった名所を巡りましたが、限られた時間の中ではその魅力に充分触れることが出来ないの。歴史好きな方には初日にこの史跡コースに乗車してポイントを掴み、その日は一先ず佐和田地区にある八幡温泉辺りに宿泊し、翌日は改めて真野地区をゆっくりと散策されてみてはいかがかしら。そんな贅沢な旅がξ^_^ξもしてみたいな。
|
|
|
話しを元に戻しましょうね。この日予約していた宿泊先は次に御紹介する佐渡パークホテル。両津温泉郷とあるのですがフェリーターミナルからはかなりの距離があり、とても歩けそうにもなく、ここからはタクシーを利用しました。同館のある椎崎温泉までは当時の料金で¥970でした。
|
|
|
11.椎崎温泉・佐渡パークホテル
しいざきおんせん
|
|
|
[ お詫び ] 掲載に先立ち、改めて佐渡パークホテルの情報を得ようとしたのですが、平成14年(2002)に倒産してしまったみたいなの。現在でも一部の宿泊情報提供サイトに紹介記事が掲載されていますが更新されずにいるだけみたいね。因みに 両津観光協会 では名称さえ記載されていないの。再建に向けた活動が行われているのか、はたまた形を変えて営業しているのかはξ^_^ξには分かりませんが、以後の記述は訪時のものとして御理解下さいね。
|
|
|
加茂湖を見下ろす高台に位置する椎崎温泉。ホテルの客室からは勿論、その加茂湖が一望出来、背後に連なる山並みを見ていると今いるのが島だとはとても思えないほど。加茂湖にしても周囲が約17Kmに、水深は平均6mと、新潟県では一番大きな湖なの。画像では分かりにくいのですが湖面に浮かぶのが牡蠣の養殖筏なの。海水と淡水が混じり合う鹹水湖の加茂湖では牡蠣の養殖が盛んで、水揚げされる牡蠣は佐渡を代表する味覚の一つになっているの。
|
|
|
|
ところでこの佐渡パークホテルへの宿泊を決めたのがガイドブックに載せられていた【銀河】と名付けられた露天風呂の写真なの。残念ながら訪ねた時には満天の星空が見られた訳ではありませんが、パンフには「お湯に浸かって天の川を眺めながら明日の旅路に想いを馳せて下さい」とありました。因みにこの椎崎温泉は、傷付いた朱鷺がその湯に浸かり、傷を癒したことから【朱鷺の傷湯】とも呼ばれていたの。と云うことで羽ばたき疲れた我が身にも束の間の休息を。
|
|
|
|
そしてお待ちかねの夕食よ。残念ながら加茂湖産の牡蠣は季節外れの理由から並びませんでしたが、新鮮な海の幸に、佐渡牛も味わうことが出来たの。その食事も終えてほろ酔い気分で館内の散策に向かいましたが、ラウンジで寛いでいると、暗闇に何か光るものが見えたの。目を凝らして見ているとそれも一つだけではなくて複数の光が辺りを動き回っているの。何か動物の目が館内からの照明に反応して光っているとは分かったのですが、まさかタヌキだとは思ってもみませんでした。
|
|
|
|
聞けばタヌキはタヌキでも野性のタヌキだそうで、暗くなると宿泊客がくれる食べ物を目当てにこうして庭に現れるのだそうな。最初は鬼火(笑)かしら?と思えたタヌキですが、食べ物に手繰り寄せられて明かりの中に現れた姿はモッコリしていてかわいいの。野性と云ってもこうして宿泊客から貰う食べ物のお蔭で若干カロリー・オーバーみたい。なので野性と云うよりも餌付けされたタヌキに近いかも。それでも至近距離で野性のタヌキに出会えたのは感激ものでした。
|
|
|
|
ところでこの佐渡では古くからムジナ信仰があるの。このムジナと云うのがこのタヌキのことで、土地の人はトンチボとも呼ぶの。そんなことからタヌキに因む昔話が多く語り継がれ、普通は神社と云えばキツネですが、タヌキが祀られる祠やお社が多いの。嘗ては100を超す穴ぐらにムジナが棲みつき、東西に別れたムジナ番付もなされていたそうな。中でも西の穴の横綱が相川に棲む二ツ岩の団三郎でムジナ達の棟梁とされていたの。
|
|
|
|
御多分に洩れず木の葉に化けて人間を騙すムジナもいたけど、その多くはどんな病も治す霊力の持ち主だったことから島の人々の信仰を集めたの。中でも最強のパワーの持ち主とされたのが二ツ岩の団三郎で、今でも二ツ岩神社に祀られて人々に崇められているそうな。一方で、尖閣湾にはその昔、旅人を騙したトンチボ達が喜んで踊ったと云うトンチボの踊場があるの。早い話しがタヌキ達のお立ち台と云うわけね。
|
|
|
|
何でそんなに佐渡ではタヌキが多いのかと云うと、金採掘後の精錬作業で使用する「ふいご」にはタヌキの皮が最適とされ、生きたまま佐渡に連れて来られたタヌキが野生化して繁殖地を広げていったとする説があるの。佐渡の野山はタヌキにも優しかったのね。一方で、この佐渡でも多くの修験者達が山中で修行していたこともあり、山神さま達の御神託を伝える際にタヌキをその使いと見做すようになり、いつしか山神=山伏=ムジナとして同一視されるようにもなったみたいね。残念ながら佐渡パークホテルへの宿泊は出来なくなりましたが、同じく椎崎温泉にある ホテルニュー桂 が【タヌキのお宿】として野性のタヌキに接近遭遇出来るみたい。ひょっとしたら二ツ岩の団三郎の末裔のタヌキに出会えるかも・・・
|
|
|
|
 |
|
(C)opyright by myluxurynight.com 2002-2007
|