≡☆ 菅谷館跡のヤマユリ ☆≡
2016/07/16

以前、嵐山町を訪ねた際に立ち寄った嵐山史跡の博物館の栞には「菅谷館跡のヤマユリ・7月」の案内と共に、みごとに花を咲かせたヤマユリの写真が添えられていたの。帰宅後に改めて同館のHPを覗いてみたところ、一株に幾つもの花を咲かせるヤマユリが多くあることも記されていたの。それはゼッタイ見なくちゃ!と思いながらも、天候に恵まれなかったり、思うように休みが取れずに機会を逃していたりしたの。それが、今回幸運にも開花時期に合わせて出掛けることが出来たので紹介しますね。補:掲載する画像は一部を除いて幾れも拡大表示が可能よ。気になる画像がありましたらクリックしてみて下さいね。

2016/07/16

1. 武蔵嵐山駅(西口) むさしらんざんえき 9:17着 9:22発

今回のお散策の最寄り駅となるのがこの武蔵嵐山駅ですが、問題は駅から菅谷館跡までをどうするかなの。唯一の公共交通手段を利用してのアクセスが イーグルバス のせせらぎバスセンター行に乗車することなのですが、時刻表を御覧になるとお分かりのように、スケジュールにかなりの難儀を強いられそうなの。なので「歩くなんて、ゼッタイ嫌よ!」と云う方に限り (^^; 「と01系統」の女性会館前&明覚駅経由のせせらぎバスセンター行に乗車して下さいね。念のために申し添えておきますが、同じせせらぎバスセンター行でも「と02系統・休養地入口&十王堂前経由」のバスがありますが、運行経路が異なるので間違っても乗車しちゃダメよ。未知の世界へ連れてかれちゃうわよ。

ちゃんと「と01系統」のバスへ乗車出来た方は、この菅谷学校BSで下車して下さいね。武蔵嵐山駅から二つ目のバス停( 運賃:¥220 乗車時間:たったの2分 )よ。このバス停から菅谷館跡までは徒歩になるけど、途中の信号待ちを含めても約5分程の所要時間よ。何だ、話を聞いてりゃ、いっそのこと駅から菅谷館跡まで歩いてしまった方が早いんじゃねえか−と思われる方もいらっしゃるのではないかしら。そうなの。無理してバスの発車時間に合わせて行動するよりも、さっさと歩いた方が時間的には早いし、スケジュール的にも楽よ。と云うことで、バスへの乗車と云う呪縛から逃れて自由意志の世界へ。(^^;

せせらぎバスセンター行のバスはときがわ町の委託を受けてイーグルバスが運行しているの。なので、本来なら「ときがわ町路線バス」が正しい名称なの。因みに、紹介した「と01系統」のバスを利用すればJR八高線の明覚駅からのアプローチも可能よ。ときがわ町路線バスの詳しいことが知りたい方は ときがわ町 のトップ→観光情報→交通機関時刻表へとリンクを辿ってみて下さいね。至れり尽くせりの情報が載せられているの。これぞ行政サービスの見本よね。

バスへの乗車を諦めて菅谷館跡までを歩くことにしましたが、距離にすると1.1km程の道のりで、ξ^_^ξのノンビリとした足どりでも20分程の所要時間でした。と云うことで、ダラダラと書いてしまいましたが、ξ^_^ξ一押しのアプローチは歩くことよ。参考までに、武蔵嵐山駅の西口ロータリーで見掛けた嵐山町観光案内図を載せておきますね。御覧になりたい方は こちら よ。ヤマユリを観賞した後にでも、気になったところへぶらりと足を延ばしてみては。CMですが、主要な見処を見て廻ったときの散策記を 嵐山町のお散歩 に纏めていますので、宜しければ御笑覧下さいね。(^^;

2. 菅谷館跡 すがややかたあと 9:41着 10:27発

♠ 三の郭跡 ♠

菅谷小中学校の間を抜けると国道(R254)と交差しますが、その信号の先に緑豊かな森があるの。その森を抜けたところに菅谷館跡があり、一角には 埼玉県立嵐山史跡の博物館 が建てられているの。冒頭でも触れましたが、同館ではヤマユリの開花時期になると開花状況がアップされるの。また、ヤマユリのみならず、館跡に咲く草花に関する情報も発信していて、史跡の博物館とあることから歴史に関する事柄のみがテーマかと思いきや、自然博物館的な情報も発信しているの。ξ^_^ξが開花時期に合わせて訪ねることが出来たのも同館の情報提供のおかげなの。同館に依ると、菅谷館跡全域(130,000²!!)で500株以上ものヤマユリが咲くのだとか。

開花時期は7月上旬から7月末にかけてで、例年20日前後に見頃を迎えるそうよ。
勿論、お出掛け前には忘れずに同館の「館跡花だより」で最新の開花情報を Get して下さいね。

三の郭跡を過ぎたところには畠山重忠像が建てられているの。
折角ですので、ここで菅谷館跡と畠山重忠のことを、少しだけ紹介しておきますね。
と云っても、現地案内板の解説を引用&転載するだけですが。(^^;

♠ 畠山重忠像 ♠

〔 国指定史跡 比企城館跡群 菅谷館跡 〕  指定年月日:平成20年(2008)3月28日
菅谷館跡は、鎌倉時代の有力御家人である畠山重忠が文治2年(1187)までには住居していたと云われる中世の重要な遺跡です。元久2年(1205)、武蔵国二俣川の合戦の際、重忠はこの館から出発したことが鎌倉幕府の記録【吾妻鏡】に書かれています。また、室町時代の漢詩文集【梅花無尽蔵】に依ると、長享2年(1488)に山内上杉氏と扇谷上杉氏が須賀谷原で戦い、戦死者七百人、馬は数百匹が倒れたと記され、この菅谷城付近で激しい戦いがあったことを伝えています。

現在の遺構は、本郭・二ノ郭・三ノ郭などと、それらを防御する土塁・空堀などからなり、このような姿になったのは戦国時代のことと考えられます。昭和48年(1973)5月、関東の有力豪族である畠山氏の館に起源を持つ城館跡として国の史跡に指定され、平成20年(2008)3月には比企城館跡群菅谷館跡と名称が変更されました。平成20年(2008)3月 埼玉県教育委員会

〔 畠山重忠と菅谷館跡 〕  畠山重忠は長寛2年(1164)畠山荘司重能を父とし、相模の名族三浦義明の娘を母として、武蔵国畠山(現大里郡川本町畠山)に生まれました。治承4年(1180)源頼朝が伊豆石橋山に挙兵したとき、父の重能が平氏に仕えていたため、若干17歳の重忠も平氏に属し源氏方の三浦氏を攻めました。その後間もなく頼朝に仕え、鎌倉入りや富士川の戦には先陣をつとめ、宇治川や一の谷の合戦では、数々の手柄をたてました。また、児玉党と丹党との争いを調停するなど、武蔵武士の代表的人物として人々の信望を集め、頼朝からも厚く信頼されていました。頼朝の死後も和田義盛らと共に、二代将軍源頼家をたすけて政治に参与しましたが、北条氏に謀殺されました。42歳でした。

鎌倉時代の史書【吾妻鏡】に依ると、元久2年(1205)6月19日「鎌倉に異変あり」との急報に接した重忠は、僅か134騎の部下を率い「小(男)衾郡菅谷館」を出発し、同月22日二俣川(現横浜市)で雲霞の如き北条勢に囲まれ、部下と共に討たれたとあります。嵐山町菅谷にあるこの城郭が、その「菅谷館」ではないかと古くから言われてきました。城郭の西には鎌倉へ通じる街道跡が残されており、この城郭のどこかに重忠の館があったことも充分考えられます。現在この城郭は、縄張りや土塁・空堀の構造から推定して、戦国時代末頃に最終的に改築されたものと考えられています。埼玉県

畠山重忠公に来訪の由を告げて許しを請い (^^; 愈々本郭跡へ。
最初に東側をめぐる土塁を辿りましたが、雑草の隙間からヤマユリが顔を覗かせていたの。

♠ 本郭跡東側 ♠

 

♠ 本郭跡南側 ♠

引き続き、西側の土塁に向かおうとしたのですが、南側にもちらほらと咲くヤマユリを見つけたの。御存知のように、ヤマユリは園芸品種では無くて野生種なの。そのヤマユリが自生するこの館跡の土塁は、今では貴重な環境なの。歴史的な価値を持つ遺産が故に土塁が守られてきたわけで、そうでなければ、ここでこうしてヤマユリを見ることは出来なかったでしょうね、きっと。ヤマユリはその花の姿形から「里山の宝石」とも呼ばれますが、背後に樹叢を控えて、この場所が一番里山に近い雰囲気にあるの。森を抜ける風に乗り渡り来るヤマユリの花の香りは濃厚で、まさしく「里山の宝石」を思わせる香りよ。

♠ 本郭跡西側 ♠

引き続き、本郭西側の土塁に咲くヤマユリを見ながら時計回りに歩いてみたの。御覧頂ければお分かりのように、今回の菅谷館跡地の中では一番の自生地ではないかしら。株数の多さもさることながら、一株につく花数の多さが半端じゃないの。ξ^_^ξはこの菅谷館跡に咲くヤマユリを知る前までは、テッポウユリなどの園芸品種とは違い、一株には一輪しか咲かないものとばかり思っていたの。それと云うのも、多くの花を咲かせるヤマユリを今まで見たことがなかったの。ヤマユリは発芽したからと云って直ぐに開花する訳ではなくて、開花するまでには更に数年を要するそうなの。加えて、多くの花をつけるようになるにはそれなりの年月を経なければならないのだとか。

桃栗三年柿八年と云われますが、一株に10個20個と、多くの花を付けたヤマユリはその比では無さそうね。花数の多さはそのヤマユリが経てきた年月の証しと云うわけよね。残念ながら、一年毎にどの位花数が増えるものなのかは分からないけど。

 

 

 

♠ 本郭空堀跡 ♠

最後に本郭の土塁外側の空堀をめぐりましたが、御覧のように、確かにここにもヤマユリが自生してはいるのですが、空堀に阻まれて接近遭遇が出来ないの。ヤブカンゾウらしき姿も見掛けたのですが、同じ理由から確かめられずに終えているの。史跡の博物館の「館跡花だより」には、ヤマユリの開花に先立ち、一足早くヤブカンゾウの開花も見られることが記されていましたが、遅咲きのヤブカンゾウだったのかも知れないわね。

以上で、ヤマユリの観賞も終了よ。元来た道を辿り、武蔵嵐山駅に戻ることにしたの。
因みに、甲冑姿の武士のイラストは途中にある菅谷小学校の校庭を囲む外壁に描かれていたものよ。

♠ Bye bye ♠

3. 武蔵嵐山駅 むさしらんざんえき 10:47着


嘗てはあちらこちらで普通に見ることが出来たヤマユリも、今では限られた自生地のみでしかお目にかかれないの。聞いたところでは、そこにヤマユリの株があるとは気づかずに、他の雑草と一緒に刈り取られることもあり、多くの花を付けるヤマユリを見ることが出来るのは自生地と雖も珍しいことだそうよ。記述が重複しますが、それはひとえに菅谷館跡の歴史的価値が故に、安易に人手が加えられずに今日まで来たことね。たまたま風に運ばれてこの地に至り来た一粒の種が芽吹いて開花し、偶然にも虫たちの力添えを得て受粉にも成功し、無事に子孫を残すことも出来、現在目にすることが出来る群落がつくられていったのかも知れないわね。それはまさに偶然の積み重ねであり、奇跡とも呼ぶべき世界のお話しね。願わくは、ヤマユリに優しいこの環境が、いつまでも守られ続けていって欲しいものね。ヤマユリに優しい環境は、人間にも優しい環境のハズだもの。それでは、あなたの旅も素敵でありますように ‥‥‥

御感想や記載内容の誤りなど、お気付きの点がありましたら
webmaster@myluxurynight.com まで御連絡下さいね。
















どこにもいけないわ
Copyright by myluxurynight.com 2002-2017 All rights reserved.