≡☆ 山吹の里歴史公園のヤマブキ ☆≡
2019/04/28

越生町にある山吹の里歴史公園は太田道灌に因む「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」の古歌の逸話の舞台とされ、開花期には植えられた約3,000株ものヤマブキが競い合うようにして咲き乱れるの。

山吹の里歴史公園

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〔 伝山吹の里 〕  埼玉県指定旧跡  越生町西和田
「鷹狩りの途中、にわか雨に遭った若き日の太田道灌は、蓑を借りに貧しい民家を訪ねた。すると、出てきた少女が何も言わずに一枝の山吹を差し出した。道灌は少女の謎掛けが解けなかったが、後に山吹の花に因んだ古歌「七重八重花は咲けども山吹の実の(蓑)一つだになきぞ悲しき」を教えられた。蓑がない悲しさを歌に託した少女の想いを知り、自分を恥じた道灌は、歌道を志し、文武両道の名将となった」という逸話の故地である。歌は勅撰和歌集【後拾遺和歌集】に載る、醍醐天皇の皇子・中務兼明親王の作である。付近一帯には古くから山吹が自生し、嘗ては地名も山吹であった。また、越生駅前にある古刹・法恩寺の寺伝【法恩寺年譜】や【熊野那智大社米良文書】の記述から、太田道灌の時代、この辺りに山吹姓を名乗る一族がいたことも知れる。公園内には町内外の文人達の数多くの文学碑がある。数多くの民謡や童謡を遺した詩人・野口雨情の詩碑もその一つである。昭和8年(1933)、町から八高線開通記念の新民謡創作を請われた雨情は、来町して『越生小唄』と『山吹の里』を創った。碑表には『越生小唄』の一節「歌に床しきあの山吹の 里よ武蔵の越生町」の雨情直筆が刻まれている。平成25年(2013)3月 越生町教育委員会

太田道灌に纏わる山吹の逸話が気になる方は
越生の散策・山吹の里 を御笑覧下さいね。CMでした。
























ヤマブキ 越生町は歴史の表舞台に大きく名を残している訳ではないのですが、それでも町中を歩けばそこかしこに人々の生きた証しが遺されているの。歴史を秘めて落ち着いた佇まいを見せる一方で、季節になると色々な花々が咲いて華やぐなど、惹かれて訪れる回数を重ねていますが、その切っ掛けとなったのがこの山吹の里歴史公園のヤマブキだったの。最初に訪ねてから大分年月を経てしまいましたが、今回改めて訪ねてみたの。以前は斜面に植えられていたヤマブキも元気があったのですが、他の草木の勢いに負けてしまい、花数も少なく残念でしたが、反対に芝生広場周辺に咲くヤマブキの方は以前にも増して元気いっぱいでした。風情を添えてくれている水車小屋もリニューアル。中に入ることも出来るようになったので覗いてみて下さいね。それでは、あなたの旅も素敵でありますように‥‥‥

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