≡☆ 長瀞のお散歩 ☆≡ 月の石もみじ公園紅葉のライトアップ 2010/11/20

どこか近場で紅葉のライトアップが楽しめるところはないかしら−と探していたときに見つけたのが長瀞にある月の石もみじ公園なの。宝登山の臘梅園に出掛けたときには名勝として知られる岩畳も観ずに終えていましたので、この際だからと長瀞の秋を満喫するお散歩に出掛けてみました。補:一部の画像は拡大表示が可能よ。見分け方はカ〜ンタン。クリックして頂いた方には隠し画像をもれなくプレゼント。(^^;

天下の名勝・岩畳と月の石もみじ公園

1.秩父鉄道・長瀞駅 ながとろえき 13:54着 14:04発



観光地・長瀞の玄関口がこの秩父鉄道の長瀞駅。乗り降りしたことはなくても、TVの旅番組などでSLのパレオエクスプレスが停車する映像が流れてすっかりお馴染みの駅よね。その割には乗降客の姿が見えねえじゃねえかよ−と思わないで下さいね。朝夕の通勤電車の乗り降りからすれば較べようもないけど、ξ^_^ξ達がホームで記念写真を撮っていたりしている内に、みなさんはサッサと改札を済ませて目的地に向かい、歩き始めていたの。それでも乗降客の数や車両編成に対してこのホームの長さは異常よね。普通なら不必要なものをお金をかけてまでつくることはしないわよね。実は、この秩父鉄道にも黄金時代 (^^; があったの。何と、当時としては異例ずくめの鉄道電化工事を大正11年(1922)に竣工している位なのですが、その理由が凄いの。

計画立案は更に遡ること3年、大正8年(1919)のことになるの。今では逆に希有の存在となったSLですが、当時としては当たり前よね。それが、忙し過ぎてそのSLではトロくて使い物にならねえ−と云うの。【秩父鉄道五十年史】(と云っても当時は未だ上武鉄道だけど)のことばを借りると、秩父鉱山からの鉱石の搬出、その他砂利・木材・薪炭等の輸送、加えて長瀞・三峰方面への旅客の増加に伴い、蒸気機関車の混合列車の遅々たる輸送体系は誠に不便と不評が高く、経済的見地を加味し、電化することに踏み切った云々−とあり、秩父セメント(現・太平洋セメント)に代表される産業と、長瀞遊覧を始めとした観光事業を支える大動脈として秩父鉄道は大いに活躍したと云うわけ。

因みに、日本初の電化は、明治45年(1912)の国鉄(旧鉄道院)信越線の横川〜軽井沢間だそうよ。



現在は町名にもなる長瀞ですが、嘗ては藤谷渕と呼ばれていたそうなの。長瀞町教育委員会編【ながとろ風土記】に依ると、長瀞の小字名・馬内に農業を営む八木重右ェ門と云う人が長瀞と命名したのだとか。重右ェ門さんはなかなかの文化人だったみたいで、雅号を桜誠と称して、和歌や俳句を嗜む一方で、書道にも秀でていたそうなの。その重右ェ門さん、ある日、藤谷渕を眺めていると、渕を流れゆく川の水がとても美しい上に静かであることから、水に静の字を付けて瀞としたの。加えてその瀞が1kmにわたり続いていることから長瀞と命名したと伝えているの。そうして明治期の中頃から土地の人々の口の端にも長瀞の名がのぼるようになったのだとか。

2.岩畳 いわだたみ 14:11着





ここから先は改めて御案内するまでも無いの。次の目的地・月の石もみじ公園までを荒川沿いに歩いてみましたので、その景観をみなさんにもたっぷりと御紹介してみますね。掲載画像は全部で60枚位ありますので、幾つかのエリア毎に纏めてみました。それでは、ごゆっくりとお楽しみ下さいね。そうそう、幾らお待ち頂いてもスライドは自動で始まる訳ではないの。完璧なまでに (^^; マニュアル操作ですので御協力下さいね。

3.月の石もみじ公園 つきのいしもみじこうえん 15:24着 15:45発

月の石もみじ公園 月の石もみじ公園 月の石もみじ公園

川沿いの道を辿っていると、雑木林とは少し雰囲気が違う木立ちが見えてきたの。
それがこの月の石もみじ公園だったの。ライトップの様子は後ほど改めて御紹介しますね。





因みに、園内の一角に設営された仮設テントでは、フランクフルトやラーメンの露店がライトアップに合わせて開店準備中でした。これならお腹を空かせたままで見に来ても平気ね。それと、このもみじ公園と道を挟んで綺麗なお手洗いがあるの。荒川沿いをお散歩する前には忘れずにお立ち寄り下さいね。



4.埼玉県立自然の博物館 しぜんのはくぶつかん 15:37着 15:43発






5.虎岩 とらいわ 15:47着 15:49発


つくづくと 「粋なもやうの博多帯」 荒川ぎしの片岩のいろ

後で知ったことですが、この虎岩の対岸側には「亀の子岩」があるそうなの。
皆さんは見落とさずに御覧になって下さいね。こちらは姿形が亀さんに似ていることからだそうよ。

6.せいごの瀬 せいごのせ 15:50着 16:06発


7.秩父鉄道・荒川橋梁 あらかわきょうりょう 16:09着 16:20発


この荒川橋梁を渡る列車の姿を運良く写真に収めることが出来たの。撮影しようと待ちかまえていた訳ではないのですが、偶然にも3回もチャンスに巡り会えたの。それぞれ、4コマ漫画のような連続写真に纏めてみましたのでお楽しみ下さいね。(^^;

荒川橋梁
また来てくれたわ。(^^;
脳天気な旅人を楽しませてくれる術を知っているわね。
これがSLならもっとうれしいのだけど。
もう、いっちゃった・・・
荒川橋梁
今度は貨物列車が来たわ。
間をカットしたけど、実際にはすっごく長いの。
貨車にしても小さくて可愛らしいの。


8.月の石もみじ公園 つきのいしもみじこうえん 16:51着 17:19発

歌碑 荒川橋梁に接近遭遇したところで踵を返して月の石もみじ公園へと戻りましたが、有料駐車場脇には宮沢賢治の歌碑が建てられていたの。モミジにもマケズニ (^^; ライトアップされていましたので、先に御紹介してみますね。碑には
つくづくと 「粋なもやうの博多帯」 荒川ぎしの 片岩のいろ
と刻まれているの。


「雨ニモマケズ風ニモマケズ・・・」で有名な宮沢賢治は、明治29年(1896)8月27日、岩手県花巻町(現花巻市)に生まれる。盛岡高等農林学校2年、20歳の時、地質調査研究のため、先生学友と共に秩父地方を訪れ、大正5年(1916)9月3日虎岩を見学。その美しさを歌に詠む。碑の歌は、はがきに9首の歌を書き、無二の親友・保阪嘉内に宛てて小鹿野より送った中の一首である。その後、賢治は農学校教師農民指導等に情熱を傾け、童話や誌など多くの作品を遺した。長瀞町と賢治の貴重な出会いの証を、賢治の故郷の岩手山に似た石に刻み、永く後世に伝え、町の教育文化の向上と観光発展に資するため、町内外有志の浄財と町の協力により、この歌碑を建立する。平成15年(2003)9月 宮沢賢治歌碑建立委員会

お待たせ致しました。最後に紅葉のライトアップの模様(27枚)をお届けしますね。
尚、手持ちの撮影ですので、ぶれまくりもありますが御容赦下さいね。





9.上長瀞駅 かみながとろえき

もみじ公園からは歩いても5分余りの距離にある上長瀞駅に向かいました。ライトアップのイベントが開催されている位だもの、お土産さんも未だ開いているハズよね−と予想したのですが、元々長瀞駅のような賑わいが無いことに加えて、既にどこも店終いしていたの。ならば、駅の売店になら何か−と期待したのですが、上長瀞駅にはその売店もなかったの。なのでお土産は何もナシ。同じコース採りでお出掛けしようと思われた方はご注意下さいね。上長瀞駅から乗車したのはξ^_^ξ達の他には数組だけで、殆どの方は車での来場で、それも地元ナンバーの方が多かったの。これではお土産屋さんに遅くまでお店を開けておいて−と云うのが無理な話よね。お金では買えない素敵な景観をたくさん見せて貰えたことが何よりのお土産ね。


長瀞と云えば最初に思い浮かぶのが岩畳と荒川を滑る川下りの船の情景よね。訪ねた時には平成21年(2009)に放送されたNHK連続テレビ小説「つばさ」のもう一つ舞台として観光協会などでは長瀞を盛んにPRしていたの。そのせいもあったのかも知れないけど、岩畳のとば口 (^^; 辺りは大賑わいでした。ξ^_^ξも今回初めて荒川橋梁までを歩いてみましたが、パンフレットなどでは紹介されない見処や景観を幾つも目にすることが出来たの。長瀞は天下の勝地−と評されてから大分経ちますので、当時から較べるとその装いも姿形を変えたのかも知れませんが、それでも渓流には未だ未だ自然が多く残されているの。岩畳や河原のアップダウンを額に汗して上り下りするのも楽しいもの。是非一度歩かれてみては?あなたの旅も素敵でありますように‥‥‥‥


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