≡☆ 御岳渓谷は秋の彩り ☆≡
2013/11/27

都心からなら僅か2時間余で行ける御岳渓谷には遊歩道が整備され、秋の紅葉期には周りの木々が渓流を色鮮やかに染め上げると知り、季節が訪ねくるのを待って出掛けてみたの。補:掲載する画像は一部を除いて拡大表示が可能よ。クリックして頂いた方には、隠し画像をもれなくプレゼント。どこに隠されているかはクリックしてからのお楽しみよ。(^^;

小澤酒造〜清流ガーデン澤乃井園〜楓橋〜寒山寺〜御岳渓谷遊歩道〜御岳橋〜御嶽駅

1. JR沢井駅 さわいえき 10:07着 10:11発

左掲は沢井駅のホームで発車を待つ奥多摩行の下り列車ですが、通勤電車として見慣れたはずの中央線の車両も、きょうばかりは見知らぬ土地へと誘う旅のエスコート役を務めてくれたの。と云っても、実際には青梅線なので中央線ではないのですが、同じ塗装の車両と云うことで、余り深く追究しないで下さいね。ところで、この沢井駅、駅舎もなければ駅員もいない無人駅なのですが、駅前に降り立ったら路跨橋に御注目下さいね。堂塔を模した屋根に加え、その上に法輪が立てられているの。何でも、この後訪ねる寒山寺のそれに倣い、建てられたものだとか。地元の方々の後押しもあってのものだとは思うのですが、小さな駅なのに、JR東日本も仲々粋な計らいをするわね。

実は 青梅市観光協会 の紅葉情報では、御岳渓谷の紅葉は11月中旬が見頃と案内されていたのですが、休みがとれずにタイミングを逃してしまったの。それでも、散り際の一歩手前に何とか間に合わないかしら、折角待ったんだもの−と出掛けてみたのが今回の散策なの。なので、時機を逸した感は拭えないのですが、御容赦の上で、お付き合い下さいね。

2. 小澤酒造 おざわしゅぞう 10:23着 10:36発

駅前から続く板塀の坂道を下ると青梅街道に突き当たるのですが、その出入口の角地に建つのが左掲の 小澤酒造 の建物なの。写真は正面から写したもので、実際には建物の左手が沢井駅への出入口になるの。日本酒を嗜む方なら小澤酒造の名は知らなくても「澤乃井」の銘は見聞きしたことがあるのではないかしら。勿論、辛党のあなたなら小澤酒造と聞いただけでピンときたはずよね。ξ^_^ξはと云えば、その銘を知りこそすれ、その蔵元が今回の散策コース上にあるとは夢にも思っていなかったの。気がつけば、立派な茅葺き屋根の母屋に、白壁の建物群が連なり、老舗の蔵元であることを知らしめるに充分な趣きと佇まいなの。

隧道

残念ながら未体験ですが、小澤酒造では酒蔵を見学させて頂くことも出来るの。勿論、詳しい案内付きよ(参加費無料!)。案内時間は 11:00 13:00 14:00 15:00 の4回で、所要時間は45分余だそうよ。但し、事前の予約が必要なの。各回定員が30名で、1グループ10名以内と云うことなので早めの予約が良さそうね。WEBやTELでの予約をお勧めしますが、当日受付枠10名に限り、この後に立ち寄る澤乃井園内の蔵元直営売店でも申し込みが可能よ。その澤乃井園へは左掲の専用の連絡通路があるの。実は、目の前を走る青梅街道は車の往来が多く、仲々渡ることが出来ずに横断待ちをしていたξ^_^ξ達の姿を見掛けた駐車場の係員の方が大声で教えて下さったの。

3. 清流ガーデン澤乃井園 せいりゅうがーでんさわのいえん 10:37着 10:48発

地下通路を抜けると目の前に清流ガーデン澤乃井園の庭園が広がるのですが、既にお分かりのように、この施設もまた小澤酒造の運営なの。辺りには他にもお豆腐や湯葉をメインにした懐石料理が頂ける「ままごと屋」を始めとして、この後訪ねる寒山寺や櫛かんざし美術館などが点在し、その幾れもがみな小澤酒造の関連会社や関係の深い施設ばかりなの。なので、辺り一帯が殆ど小澤酒造の城下町、あるいは門前町の趣きなの。逆を云えば、それだけ地域経済活性化の責務を負っているわけで、単に醸造元の肩書きだけでは済まされなくなってしまったと云うことよね。

清流ガーデンとあるように、澤乃井園では庭園の傍らを流れる多摩川を眺めながら、軽めの食事やコーヒー・ブレイクなど、くつろぎのひとときを過ごすことが出来るの。辛党の方には、建物の2Fにある唎酒処(ききざけどころ)(有料)がお勧めよ。ここでは、常時10種類ほどのお酒の利き酒が楽しめるの。訪ねた時には、季節限定の「しぼりたて−旬の味をご賞味ください」の案内に心動かされたのですが、後のことを考えて踏みとどまったの。(^^; 土産は「澤乃井」以外には考えられねえ!と云う貴男なら迷いは禁物ね。是非、こちらの唎酒処で試飲、御納得の上で園内にある直営売店に駆け込んで下さいね。

園内をぶらついているときに木陰に石碑の立つのが見えて、何かしら−と気になり近づいてみると、「西多摩の山の酒屋の鉾杉は 三もと五もと青き鉾杉」と刻まれた北原白秋の句碑だったの。昭和42年(1967)に建立されたものですが、白秋は大正12年(1923)3月、歌人仲間の前田夕暮や大木惇夫らと共に、この奥多摩に訪ね来て御岳山にも登っているの。白秋は、そのときの情景を歌にして残しているのですが、その中に、小澤酒造を見学した際の体験を踏まえて詠んだ歌があるの。それが【多摩の浅春・造り酒屋の歌】( 歌集『篁(たかむら)』所収 )で、実際には長歌と反歌からなり、碑に刻まれる句は反歌の一部になるの。折角ですので、全文を掲載しておきますね。

水きよき多摩のみなかみ 南むく山のなぞへ 老杉の三鉾五鉾 常寂びて立てらくがもと 古りし世の家居さながら 大うから今も居りけり。西多摩や造酒屋は門櫓いかしく高く 棟さはに倉建て竝め 殿づくり 朝日夕日の押し照るや 八隅かがやく。八尺なす桶のここだく 新しぼりしたたる袋 庭廣に干しも列ぬと 咽喉太の老いしかけろも かうかうとうちふる鶏冠 尾長鳥埀り尾のおごり 七妻の雌をし引き聯れ 七十羽の雛を引き具し 春浅く閑かなる陽に うち羽ぶき しじに呼ばひぬ。ゆゆしくもゆかしきかをり 内外にも滿ち溢るれば ここ過ぐと人は仰ぎ見 道行くと人はかへりみ むらぎもの心もしぬに 踏む足のたどきも知らず 草まくら 旅のありきのたまたまや 我も見ほけて 見も飽かず眺め入りけり。過ぎがてにいたも酔ひけり。酒の香の世世に幸はふ うまし國うましこの家ぞ うべも富みたる。

大御代の多摩の酒屋の門櫓 酒の香さびて名も古りにけり 西多摩の山の酒屋の鉾杉は三もと五もと青き鉾杉

実は、白秋の生家も造り酒屋を営んでいたの。父親の猛反対をよそに文学に傾倒してゆく若き日の白秋でしたが、それでも生家からの金銭的な援助があればこその文学活動だったみたいね。ところが、明治34年(1901)、その生家のある柳川を大火が襲い、北原酒造も類焼を免れず、醸造中のお酒と共に多くの酒蔵が灰となって消えてしまったの。その後、父親・長太郎は借財して家業の復興に努めるも思うように進まず、遂には破産してしまうの。生活の糧を得る術を失った一家は在京の白秋を頼り、上京するのですが、若くして詩壇の寵児と持て囃されていた白秋も、桐の花事件を機に奈落の底へと突き落とされてしまい、再び詩壇に戻り来るまでには多くの紆余曲折を経ねばならなかったの。また、白秋の実姉・加代さんは同じく造り酒屋の江崎酒造( 現:菊美人酒造 )に嫁いでいたりするなど、その関係ゆえに造り酒屋に対する思いには特別なものがあったのではないかしら。

白秋が死を意識するまでに至ったと云う桐の花事件ですが、実は人妻との恋愛事件なの。
あらましが気になった方は 三浦半島・城ヶ島めぐり の白秋碑の項を御笑覧下さいね。CMでした。(^^;

小径を挟んで白秋句碑と隣り合わせに御覧の小さな池が作られていましたが、「めだかのお宿−この池にはメダカが住んでいます」と案内されていたの。「♪そぉーっとのぞいて見てごらん♪」とも書かれていたので、抜き足忍び足 (^^; で近づいてみると、確かに小さな魚影が走るのが見えたの。嘗てはどこにでも泳ぐ姿を見掛けることが出来たメダカも、今では絶滅危惧種に指定され、極めて限られた場所でしか見ることが出来なくなってしまったわね。お出掛けの際にはあなたも「そっとのぞいて」みてくださいね。

4. 楓橋 かえでばし 10:49着 10:52発

澤乃井園の出入口から多摩川の対岸に延びる吊り橋がこの楓橋で、橋の名はこの後訪ねる寒山寺とも深〜い関係があるの。その寒山寺にしても、お隣は中国・蘇州にある寒山寺が御本家で、対岸にある寒山寺は、云うなればサブセット版になるの。楓江と運河を控えて古くから風光明媚な景勝地として知られた中国の楓橋ですが、その情景を詠んだ漢詩の中でも、殊に有名なのが【唐詩選】に収められる張継の『楓橋夜泊』なの。と云うことで、その詩を紹介してみますが、意訳は脚色(デッチ上げとも云う)を加えていますので、余り深く追究しないで下さいね。(^^;


月落烏啼霜満天
月落ち烏啼いて 霜天に満つ
つきおちからすないて しもてんにみつ
江楓漁火対愁眠
江楓の漁火 愁眠に対す
こうふうのぎょか しゅうみんにたいす
姑蘇城外寒山寺
姑蘇城外寒山寺
こそじょうがいかんざんじ
夜半鐘声到客船
夜半の鐘声 客船に到る
やはんのしょうせい かくせんにいたる

気がつけば月も既に稜線に傾き落ちてしまったようだ
闇の中からは時折カラスの啼声だけが聞こえてくるのだが
どうやら天空には降霜の気配が充ち満ちているようだ
運河沿いに植えられた楓の木々の佇まいと、川面に点々と灯る僅かな漁り火が
旅愁がゆえに眠れずにいる私の視界をかすめゆく
時あたかも、姑蘇城外にある寒山寺の鐘楼からは
夜半の時を知らせる鐘の音が、私が乗る船のところにまで響き渡ってきたところだ

これで、寒山寺と楓橋の切っても切れない関係がお分かり頂けたと思うわ。But 同じ名を冠するとは云え、御本家側のそれとは情景も環境も大きく異なるのは否めないのですが、多摩川の清流に架かる吊り橋の楓橋も、これはこれで絵になる情景よ。ここで橋上からの景観を幾つかアップしておきましたのでお楽しみ下さいね。

5. 寒山寺 かんざんじ 10:53着 11:04発

楓橋を渡りきると、対岸の斜面を巧みに利用して建てられていたのが、これから御案内する寒山寺なの。頂いてきた栞に依ると、明治18年(1885)、時の書家・田口米舫氏が中国に遊学、姑蘇城外の寒山寺を訪れた際に、主僧の祖信師より日本寒山寺の建立を願い、釈迦仏木造一体を託されたことに始まるのだとか。帰国後、氏は適地を求めて日本各地を遍歴、この沢井の地に至り来てようやく錫杖を置いたと云うわけ。そうして、小澤酒造元当主で、当時、青梅鉄道(株)の社長でもあった小澤太平氏の尽力・支援を得て、昭和5年(1930)に創建されたものだそうよ。その後、青梅線の開発に合わせて文人墨客等が訪ね来るようになり、旅館や料亭なども建ち並び、現在の元となる街並みが出来上がったみたいね。

坂道の参道を登り始めて直ぐにあるのがこの鐘楼で、嘗て懸けられていた初代の梵鐘は戦時供出の憂き目に遭い、現在架かる釣鐘は、昭和40年(1965)に小澤酒造三代目当主・小澤恒夫氏を始めとした有志の浄財を得て新たに鋳造されたものなの。鐘楼の格天井には、昭和45年(1970)に川合玉堂門下24名の揮毫を得て復元されたと云う天井画が描かれているので、お出掛けの際にはお見逃しの無いようにして下さいね。余談ですが、鐘の音には、悩みを減らし、知恵や菩提を増やす力があるのだそうよ。それでは、御一緒に。瞑想&合掌。ゴォ〜〜ン。

6. 櫛かんざし美術館 くしかんざしびじゅつかん 11:21着発

美術館 この澤乃井櫛かんざし美術館には、収集家として知られた岡崎智予さんが生前の40年余にわたり蒐集されてきた櫛やかんざしを始めとした装飾工芸品が数多く収蔵され、常時400点ほどが展示されていると案内されていたので訪ねてみたの。But この時はバッグに入れてはいたものの、愛犬を連れていたのでダメ元で入館の可否を確認してみたのですが、やはりNGと断られてしまったの。なので、入館は素直に諦め、散策に戻ることにしたので、展示内容などの詳しいことは分からず終いなの。気になる方は、櫛かんざし美術館の HP を御参照の上でお出掛け下さいね。

7. 御岳渓谷遊歩道 みたけけいこくゆうほどう 11:42着発

御岳渓谷遊歩道は多摩川の渓流に沿うようにして整備された遊歩道で、楓橋のある辺りから上流は御岳美術館が建つ辺りまでの4km余にわたり続いているの。正式には、あと1km程下流(軍畑駅寄り)に御岳渓谷遊歩道入口があるのですが、実質的にはこの楓橋がスタート・ラインになるの。その御岳渓谷遊歩道を途中の御岳橋付近まで歩いてみたので紹介しますね。因みに、遊歩道は両岸に整備されているのですが、今回は専ら左岸側(北側)を歩いていますので御了承下さいね。尤も、ξ^_^ξが訪ねたとき ( ′13.11 ) には台風に依る暴風雨の影響で倒木多数のために鵜の瀬橋付近では右岸側(南側)は通行不可になっていたの。

8. 青年の像 せいねんのぞう 11:48着 11:55発

歩き始めて程なくして木々の間に人影が、それも全裸の男性がすっくと立つ姿が目に留まったの。瞬間、痴漢よ、痴漢!−と、全身が金縛り状態。(^^; But よくよく見れば、視線は遙か遠くを見つめたままで、一向に動く気配もなく、彫像であることが知れたの。像の建つ位置から少し離れて手前に石碑が立てられていたのですが、単独のもので、像を案内するものだとは思わなかったの。改めて背後に回り込んでみると、その由来記が誌されていたので転載しておきますね。それにしても、このリアルさはちょっと恥ずかしくて赤面ものね。芸術作品と云うと多少デフォルメされるケースが多いのですが、この「青年の像」に関する限りはリアリズムで、ルックスもかなりのイケメンよ。(^^;

〔 青年の像碑 〕  故朝倉先生はわが國彫塑界の最高峰であって、多くの傑作を遺されたばかりでなく、大朝倉山脈の主峰として後輩の育成指導に力をいたされ、幾多俊秀の輩出を見せ、斯界に盡くされた先生の偉業はわが國文化史上に燦然と輝いている。今は亡き川合玉堂、吉川英治及び朝倉文夫の三先生の御指導により大多摩観光協会が生れ、秩父多摩国立公園の指定がみられた。先生逝いて一年、御遺族から先生の遺作「青年の像」の寄贈を受け、有志相諮かり先生ゆかりの地、ここ大多摩の御岳渓谷楓橋畔の巌頭を選んでこの像を建設したものである。時恰も東京オリンピックの年、情熱と勇気そして希望の象徴である「青年の像」を建立し、朝倉文夫先生の偉業を永く記念すると共に、文化の向上、平和の確保を期し、日本民族永遠の発展を祈念する次第である。昭和39年(1964)11月吉日 文 木村青山

9. 山崎正雄句碑 やまざきまさおくひ 11:59着発

径の傍らに佇む石碑を見掛けて写真に収めて来たのがこの句碑で、昭和50年(1975)から昭和62年(1987)にかけて青梅市長を務められた山崎正雄氏の詠歌が刻まれていたの。

さしのぼる 朝日の光 へだてなく 世を照らさむぞ 我がねがひなる

ここで、次の鵜の瀬橋までの途中の景観を幾つか収めて来たので紹介しますね。

鵜の瀬橋の少し手前で河原に下りる径が設けられていたのでその小径を辿って川原に下りてみたの。楓橋辺りでは穏やかだった川の流れも、この辺りからは大きな岩が流れに逆らうようにして点在するようになり、徐々に渓谷の趣きを見せ始めるの。

引き続き、遊歩道から目にした鵜の瀬橋までの景観を紹介しますね。

10. 鵜の瀬橋 うのせばし 12:32着 12:33発

楓橋から600m程上流に歩くと鵜の瀬橋があるの。But 訪ねたとき ( ′13.11 ) には、通行禁止の貼紙がされていたの。併せて「この先、倒木多数のため通行できません。鵜の瀬橋は破損のため渡れません」とも案内されていたの。′13.10 に発生した大型の台風26号は日本各地に河川の氾濫や土砂崩れなどの多くの災害をもたらしましたが、とりわけ伊豆大島では大規模な土石流が発生して多くの人命が失われたことは記憶に新しいところよね。この鵜の瀬橋の損壊や、対岸の倒木もそのときのものみたいね。楓橋から御岳小橋にかけての右岸側遊歩道は現在 ( ′14.04 ) も通行止になっているので、前述の 青梅市観光協会 などで最新情報をご確認の上でお出掛け下さいね。

鵜の瀬橋から先の行く手には鮮やかな紅葉のトンネルが出迎えてくれたの。多少遅きに失した感は否めないのですが、それでもξ^_^ξのような、脳天気な旅人の目を楽しませてくれるには充分な艶やかさ。ベンチもあるので、秋の蒼空の下で紅葉を愛でながらここでお弁当を広げるのも良さそうね。

紅葉のトンネルを抜けて少し歩くと東屋があるの。

11. お山の杉の子記念碑 おやまのすぎのこきねんひ 12:47着 12:49発

東屋を過ぎて建物傍らに石碑が二基並び建てられているのに目が留まり、何かしら−と近づいてみたのが、この「お山の杉の子記念碑」なの。何でこんなもの (^^; が、ここにあるのかしら?と思えば、童謡「お山の杉の子」は当地で作曲されたものと案内されていたの。その「お山の杉の子」ですが、碑には一番の歌詞が刻まれ、冒頭の部分だけはどこかで聞いたことがあるような気もするのですが、後半となると歌詞・メロディー共に思い浮かばなくて。調べてみると、歌詞は六番まであり、童謡とあるものの、普通の童謡とはかなり趣を異にするの。その歌詞とやらを紹介したいところですが、著作権に触れそうなので、ここでは現地案内板の説明を転載するに留めおきますね。

〔 お山の杉の子歌碑 〕  童謡「お山の杉の子」は、「月の沙漠」や「京人形」など数々の名曲を世に出した佐々木すぐる先生(1892-1966)の作曲で、吉田テフ子先生が作詞しました。佐々木先生は、たびたび御岳渓谷を訪れており、特に昭和12年(1937)に都心の自宅を改築中、また戦時中には疎開してこの地に居住されていました。この間、地元の小学校の校歌を進んで作曲されるなど、地域の人々と心のこもった交流を深められるとともに、御岳の緑豊かな自然をこよなく愛されました。昭和19年(1944)に作曲された「お山の杉の子」は、この土地の美しい杉木立ちの山々によって誕生したものです。歌碑は、佐々木先生の生誕百年を機に、先生の功績と歌の心を後世に伝えたいと云う地元有志によって平成9年(1997)3月に建立されました。碑の歌詞は発表当初からこの曲を歌われた安西愛子先生が書かれ、楽譜は佐々木先生直筆の原稿です。

12. 喫茶&手打蕎麦・笑 きっさ&てうちそば・えみ 12:54着 13:45発

お腹もすっかり空いたところで道の傍らに可愛らしいお店の看板を見つけたの。見ると「喫茶」と併せて「手打蕎麦」の案内が。その意外な組み合わせもさることながら、「野菜とヤマメの天ぷら」のメニューに目が留まったの。実は、直ぐ手前の岩場では渓流釣りをする方の姿があり、何が釣れるのか気になっていたの。その答えがこちらのお店のメニューにあったと云うわけ。(^^; 加えて、本格的な手打蕎麦が味わえるのなら願ってもないわね−と思っていたの。そして、何よりも嬉しかったのがテラス席が設けられていたことなの。愛犬を連れていたので、あるいはテラス席と雖も同伴はダメかも知れないわ−と、一抹の不安はあったのですが、訊ねてみたところ、快諾して下さったの。

目の前を流れる多摩川の清流と色づいた木々を眺めながらのテラス席での食事はやはり格別よね。物珍しさも手伝ってオーダーしてみた「野菜とヤマメの天ぷら」ですが、ヤマメは肉質の甘みを残した絶妙な火加減に加え、野菜の天ぷらにしても衣に一工夫があって、手打蕎麦と比べても遜色のないものでした。残念ながらこのときは空腹を満たすことに専念 (^^; していたもので、写真に収めるのをすっかり忘れてしまいましたが、代わりに庭先で目にした景観を幾つか紹介しておきますね。お品書きなど、お店の詳しいことは 喫茶・笑 を御参照の上でお出掛け下さいね。

遅めの昼食を終えて再び散策へと戻りましたが、次の目的地・御岳園地までの景観を紹介しますね。途中に人だかりのする岩場がありましたが、「忍者返しの岩」を始めとしてロック・クライミングの練習場所になっているみたいね。

13. 御岳小橋 みたけこばし 14:06着 14:07発

御岳小橋の袂に広がる御岳園地は紅葉の絶景ポイントの一つなのですが、残念ながら訪ねたときには既に見頃を過ぎていたの。因みに、御岳小橋を渡った対岸には玉堂美術館があるので、興味のある方は足を伸ばしてみて下さいね。その玉堂美術館の前には大きな銀杏の木があり、御岳渓谷のシンボル的な存在になっているの。ξ^_^ξは未体験ですが、紅葉の時期には夜間のライトアップもされるみたいよ。

14. 御岳橋 みたけばし 14:15着 14:16発

15. 御岳万年橋跡 みたけまんねんばしあと 14:20着発

〔 旧御岳万年橋跡 〕  御岳万年橋は、多摩川上流域に三つある万年橋の一つで、江戸から青梅街道を経て御岳山へ参拝した竹村立義の「御嶽山一石山紀行」でも「左右、岩のさし出、もっとも狭き所に架けたり」とあります。沢井村横尾と御岳村払沢の間に架橋した高橋で、御岳山参詣者には大事な橋でした。また、中里介山作「大菩薩峠」の物語の中で、剣鬼机龍之介と侠盗裏宿七兵衛の初の出会いや、橋の下流の水車小屋の与八が、宇津木文之丞の許婚者お浜をさらった橋上場面の舞台となった橋としても有名です。

御岳橋を潜り抜けてしばらく歩いていると径の傍らに紹介した案内板が立てられていたの。橋跡と云っても遺構があるわけでもなく、場所が特定できるような棒標が立てられているわけでもないので不確かなのですが、左掲の岩場がそれだと思うの。その御岳万年橋ですが、幾度かの架け替えを経ながらも、大正8年(1919)頃まではこの場所に架設されていたみたいね。余談ですが、橋跡の岩場は川幅を狭められた流れが瀬となって白波を立てているのですが、両岸からは数本のケーブルが張られていたの。そのケーブルからは釣りの浮きに似た形の「なにか」が幾つもつり下げられていたの。これはな〜に?水位センサー?それとも・・・

16. 杣の小橋 そまのこばし 14:22着 14:23発

時間的には今少し上流を目指して歩く余裕もあったのですが、秋の陽射しは落ちるのが早くて、とりわけ渓谷は山の端に囲まれていることから陽が傾き始めると急に日陰が多くなるの。なので、早めに切り上げて帰途につくことにしたの。左掲はカヤックやカヌーの練習風景が良く見られる場所だそうよ。画面奥に見える白い建物が多摩川発電所で、その手前に杣の小橋があるの。その杣の小橋を折り返し地点としましたが、ホントは杣の小橋までは行ってないの。(^^; 見えたところで折り返しよ。最後に、今回の散策での見納めの紅葉を紹介しておきますね。

17. 御岳橋 みたけばし 14:38着14:40発

帰り際に御岳橋を渡ってみたの。こうして橋の上から渓谷を見下ろしてみると、下から橋脚を見上げたとき以上に橋梁の高さが実感出来るわね。景観を写真に収めようとして欄干に身を寄せただけでも怖いくらいなの。並び立つ建物にしても、みな一様に断崖絶壁にそそり立つかのように建てられているのがよく分かるわね。

18. JR御嶽駅 みたけえき 14:53着 14:55発

御嶽駅

御岳橋と御嶽駅は青梅街道を隔ててあるだけなので赤信号に捕まらなければ数十秒の距離よ。なのに、駅に辿り着くのに10分以上掛かっているのは駅前のお土産屋さんに立ち寄っていたからなの。詳しいことは みたけ歩楽里道・ちとべ を御参照頂くとして、こちらのお店では地元産の柚子を使用したオリジナル商品の他にも、地元・青梅に縁ある物品が並べられているの。店構えとしては決して大きくはないのですが、店内には茶房も併設されているので、時間の待ち合わせなどにも便利ね。お土産を買い込んだところで駅のホームへ滑り込みましたが、気がつけば陽射しがつくる影も御覧のようにすっかり長くなっていたの。


今回の散策では沢井駅を起点として御嶽渓谷遊歩道を上流に向かい歩いてみましたが、逆に御嶽駅から下流を目指して歩いてみても良かったかしら。勿論、時間帯にも依るけど今回は写真を撮ろうとすると逆光となる場合が多くて。それに、清流澤乃井ガーデンで利き酒の誘惑に負けて、その後の散策を赤ら顔で続けるわけにも行かないわよね。逆コースを採れば、それが出来ちゃう−と云うわけ。勿論、お土産は「澤乃井」よね。小澤酒造さんに云わせると、奥多摩を知るなら奥多摩の酒を飲むことである−そうよ。(^^; 辛党のあなたならコース採りはもう決まりよね。それでは、あなたの旅も素敵でありますように・・・・・

御感想や記載内容の誤りなど、お気付きの点がありましたら
webmaster@myluxurynight.com まで御連絡下さいね。

〔 参考文献 〕
岩波書店刊 北原白秋著 白秋全歌集
青梅市史編纂委員会編 青梅市史 上・下巻
その他、現地にて頂いて来た栞・パンフなど






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