≡☆ 庚申信仰 ☆≡
ねえねえ、庚申塔ってなあに?

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庚申塔とは庚申信仰の流行に合わせて造られるようになった石塔のことなの。その庚申信仰は中国の道教の三尸(さんし)説が元になり広まったものだけど、古代中国では人の身体の中に上尸・中尸・下尸の三尸と呼ばれる虫がいて、庚申(かのえさる)の日の夜になると眠る宿主の身体から密かに抜け出して天に昇ると、宿主の罪過を天帝に告げ、天帝はその罪の軽重を計り、悪さするヤツは長生きさせられねえ!−と、残りの寿命を縮めてしまうと信じられていたの。それが日本に伝えられると、徐々に形を変えて庶民の間に定着するようになったの。というよりも、庶民に定着すると徐々に形を変えた−と云う方が正しいかしら。(^^; 日にちの数え方は甲・乙・丙・丁に始まる十干(じっかん)と十二支を組み合わせたものですが、庚申の日は60日毎にやってきますのでその度に寿命が縮められてはたまりませんよね。だったら庚申の日の夜は眠らずに一晩中起きていればいいじゃん!と云うことで始まったのが庚申信仰なの。

当時は医療技術も今みたいに発達してなかったから疫病で死亡する人達も多く、体内に潜む三尸が悪さをすると信じられていたの。庚申塔が建てられるようになるのは室町時代中頃からのことで、庚申の主尊である青面金剛像などを彫りお祀りしたの。最初の頃は宗教的な色彩も多分にあったのですが、そこは庶民信仰、その内儀式を終えた後の飲めや歌えやの方が勝るようになったみたいね。(^^;

01 甲子 02 乙丑 03 丙寅 04 丁卯 05 戊辰 06 己巳 07 庚午 08 辛未 09 壬申 10 癸酉
11 甲戌 12 乙亥 13 丙子 14 丁丑 15 戊寅 16 己卯 17 庚辰 18 辛巳 19 壬午 20 癸未
21 甲申 22 乙酉 23 丙戌 24 丁亥 25 戊子 26 己丑 27 庚寅 28 辛卯 29 壬辰 30 癸巳
31 甲午 32 乙未 33 丙申 34 丁酉 35 戊戌 36 己亥 37 庚子 38 辛丑 39 壬寅 40 癸卯
41 甲辰 42 乙巳 43 丙午 44 丁未 45 戊申 46 己酉 47 庚戌 48 辛亥 49 壬子 50 癸丑
51 甲寅 52 乙卯 53 丙辰 54 丁巳 55 戊午 56 己未 57 庚申 58 辛酉 59 壬戌 60 癸亥

ねえねえ、年の数え方も一緒なんでしょ。
でもそんな年の数え方をしたら60年から先はどうやって数えるの?
60年経ったらまた元に戻るの。暦が元に還るから還暦よ。 エッ?それって60歳になると還暦を迎えた−なんていう時の還暦と同じなの? そうなの、だから皆さん若くなるのよ、これからは第二の人生だってね。

庚申信仰が日本に伝えられたのは平安時代の初期と云われ、天皇家では御庚申とか庚申の御遊びと云って、詩歌管弦の会などを催し、眠ずの一夜を過ごしていたみたいよ。貴族の中には守庚申とか守三尸と呼ぶ人達もいたのですが、その呼び方の方が本来の中国式の呼び方なの。元々は一人静かに夜明けを待つだけだったものが日本に伝えられる頃には仏教と習合し、大勢集まって修法した方が効果が増すと云われるようになったの。一人ジイ〜ッと夜明けを待つよりは誰かと一緒の方が心強いですものね。それにしても庚申の御遊びとはお洒落よね。やんごとなきお方には、やはり気品と優雅さが必要ということね。

専ら貴族など上流階級の人達の間で行われていた庚申行事も、武士階級の台頭と共に、武士の間にも広がっていくの。【吾妻鏡】にも健保元年(1213)3/19の条に「今夜御所に庚申を守り御会有り」と記されているの。源実朝もしっかり守庚申していたのね。室町時代になると庶民の間にも広まり、庚申待と呼ばれるようになっていくの。室町時代中頃には庚申信仰が仏教的な色彩を帯び始め、庚申塔が造られるようになったのもこの頃から。

庚申待は有志などが庚申講と呼ばれる集団を作り執り行なうのですが、3年、5年、13年と一定期間続けて庚申待をした場合には、盛大な行事を行い供養したの。庚申塔は元々その達成記念に建てられたもので、全国に庚申信仰が普及した江戸時代になると庚申の守尊として青面金剛が彫られた庚申塔も数多く造られるようになり、庚申塔そのものが信仰対象にもなっていくの。青面金剛には仏教、とりわけ密教系の色彩が強く感じられますので、修験者達が庚申信仰の広がりにも大いに関わりを持ったみたいね。その青面金剛には伝尸病を治癒する霊験があると信じられていたの。

吐血や胸の痛み、痩身などが伝尸病の仕業と思われていたと云うのですから、今で云う結核ですね。青面金剛はその伝尸病に霊験灼かなんじゃから三尸にも効くべえ−と云うわけ。庚申塔に見られる猿像にしても申=猿という、至って単純明快な理由なの。最初の頃は一匹だけで描かれていたのですが、三尸の三にかけて三猿として描かれるようになったの。三猿と云えば「見ざる・云わざる・聞かざる」ですよね。他人に聞かれたくない話しをする時に「話しは庚申の夜にでも」などと云ういい方はこの三猿に由来するの。と云っても、最近では殆ど死語になってしまったみたいね。因みに、お腹が空いてクウ〜となる時があるわよね。あ、お腹の虫が鳴いたわ−なんて云う時の虫はこの中尸のことで、庚申信仰の名残りね。お腹が空いたらちょっと思い出して下さいね。(^^;

ところで、猿田彦を主尊とする庚申塔を見かけることもありますよね。青面金剛や阿弥陀如来などが彫られた庚申塔を仏教系とするなら、猿田彦を祀る庚申塔は神道系なの。猿田彦と云えば、天孫降臨の際に、高天原と豊葦原の中つ国の岐れ路で瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を出迎えて道案内をしたという神さま。詳しいことは【記紀】に譲るけど、庚申の申と猿田彦の猿が結びつけられて祀られるようになったの。その仕掛人が江戸時代初期に活躍した山崎闇斉という朱子学者なの。異国の神仏に席捲されていく様を嘆いたのかも知れないわね。闇斉の思惑は見事に的中し、庚申塔の主尊として祀られるようになるの。

余談だけど、猿田彦は天狗のルーツとも呼ばれる神さまよ。
同じく山崎闇斉が仕掛人になったとは聞かないけど。(^^;

その他にも北斗尊星なんていう主尊もあるわ。 ねえねえ、それって北斗七星に関係あるの? あるなんてものじゃなくてズバリなの。
身体から抜け出した三尸が向かう先がこの北斗七星なの。

当時、北辰と呼ばれていた北斗七星には罪過を審判する天帝が住むと信じられていたの。それが日本の北斗信仰の総本山とも云うべき日吉神社(滋賀県大津市)と結びつくの。日吉大社は山王二十一社とも呼ばれ、山王権現(帝釈天)の使いがこれまた猿。庚申塔に彫られていた猿が日吉大社の神猿として権威化されるの。まあ次から次へとよく思いつくものね−と感心させられるけど。道教+仏教+神道+修験道+山王信仰 等々が渾然一体の特異な民俗信仰で、宗教に到って寛容な日本人の民族性が成せる技といったところかしら。

時代と共に形を変える庚申信仰ですが、やがて飲めや歌えやの中にも一定のルールが作られるようになったみたいね。肉や魚を食べることが禁じられるようにもなり、そしてもう一つのタブーが庚申の夜にはHしてはいけなかったこと。(^^; 庚申の夜に妊娠するとその子供は盗人になると信じられていたの。かの有名な石川五右衛門はその禁忌を破って身籠ったときの子供−なんていう話しも真しやかに伝えられたみたい。青面金剛に髪を握られた女性が彫られた庚申塔を見掛けることもあるけど、青面金剛がその禁忌を破らぬようにと、女性を取り上げているの。

庚申信仰は時代や地域により様々に形を変えますが、そのことが庚申塔に興味を覚える大きな理由なのかも知れないわね。路傍に佇む石塔に暫し歩みを止めて、あなたも当時の庶民の祈りに思いを馳せてみては?






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