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桜の名所でもある源氏山公園では家族連れやグループの方が思い思いの花見を楽しまれていました。 補:一部の画像は拡大表示が可能よ。見分け方はカ〜ンタン。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
葛原ケ岡〜葛原岡神社〜日野俊基墓〜源氏山公園 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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くずはらがおか 4.葛原ケ岡ハイキングコース | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 浄智寺の拝観受付脇の出口から谷やつ奥を目指して道なりに歩くと、やがて細い石段の坂道が見えてきます。周囲の岩盤からは清水が湧き出し、路面が泥濘るんでいますので転ばないようにして下さいね。葛原ケ岡への道程の中で一番難所と云えばこの坂道位で、その後多少の高低差はありますが歩き易い道が続きます。ですが足許には気をつけて歩いて下さいね。露出した木の根が地表を這い、他所見をしていると躓いて思わぬ怪我をするかも知れませんよ。何を隠そうξ^_^ξもタイワンリスの鳴き声につられてその姿を追い求めつつ、脇見しながら歩いていたために足元を取られ、危うく転倒するところでした。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 嘗ては金宝松(金峰松)と呼ばれる老松が天柱峰に風情を添えていたと伝えます。和賀江島(材木座海岸)を出入りする漁師もその姿に頭を垂れて大漁と航海の安全を祈るなど、当時は視界も開けていたのでしょうが、今となっては周囲の木立ちに阻まれて何も見えないの。ですが天柱峰の地に立てば、そこには黙して座す禅師の姿も浮かび、遙かなる祖国を思慕する禅師の温かな人間性も見えてくるような気がします。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 5.葛原岡神社 くずはらおかじんじゃ | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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日野俊基は後醍醐天皇の下で日野資朝らと共に倒幕計画に加わり、無礼講に事寄せて謀議を企ります。 【太平記】の無礼講事付玄恵文談事の段にはその時の様子が描かれていますので御紹介してみますね。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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獻盃の次第上下を云はず 男は烏帽子を脱ぎて髻を放ち 法師は衣を着せずして白衣となる けんぱいのしだいじょうげをいはず おのこはえぼしをぬぎてもとどりをはなち ほうしはころもをきせずしてびゃくえとなる 年十七八なる女の盻形優に 膚殊に清らかなるを二十餘人 としじゅうしちはちなるむすめのみめかたちゆうに はだへことにきよらかなるをにじゅうよひと 褊の單へ計りを着せて酌を取らせければ 雪の膚すき通りて太掖の芙蓉新たに水を出たるに異ならず すずしのひとへばかりをきせてしゃくをとらせければ ゆきのはだへすきとほりてだへきのふようあらたにみずをいでたるにことならず 山海の珍物を盡し 旨酒泉の如くに湛えて 遊び戲れ舞い歌ふ さんかいのちんぶつをつくし ししゅいずみのごとくにたたえて あそびたはぶれまいうたふ 其の間には只東夷を亡ぼす可き企ての外他事なし そのまにはただとういをほろぼすべきくわだてのほかたじなし | |||||||||||||||||||||||||||||||||
| う〜ん、仲々艶なる宴で出席者は皆忠臣蔵の大石内蔵助状態だったみたいですね。ところが正中元年(1324)その謀議が露顕して俊基は資朝と共に捕えられ、鎌倉に送られてくるの。そうして資朝は佐渡配流となるのですが俊基は赦免されているの。本当は二人とも斬首のはずでしたが、斉藤利行なる人物が後醍醐天皇の告文を読み上げようとしたところ、突然吐血して一週間もしない内に死んでしまったからさあ大変。それまで天皇自らが臣下たる武士に告文を出すことなど有り得ず「天慮、其の憚り有りけるにや」と罪一等を減じた処分となったの。【正中の変】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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なんだ、斬首になってねえじゃんかよお〜、嘘書くんじゃねえぞ−とお怒りの貴方、 事件には続きがあるの。だったら早く話せよ〜ですね。(^^; | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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| そうして捕えられた俊基ですが今度ばかりは許されず「俊基朝臣は殊更謀叛の張本なれば遠国に流すまでも有るべからず」と元弘2年(1332)6月、この葛原ケ岡で斬首されたの。【太平記】は俊基被誅事並助光事の段にその時の情景を記します。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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俊基疊紙を取出し頚の回りを押し拭ひ 其の紙を推し開きて辭世の頌を書き給ふ としもとたたうがみをとりいだしくびのまはりをおしのごひ そのかみをおしひらきてじせいのじゅをかきたまふ 古來一句 無死無生 萬里雲盡 長江水清 こらいのいっく しもなくせいもなし ばんりくもつきて ちょうこうみずきよし 筆を擱て鬢の髮を摩で給ふ程こそあれ 太刀かげ後に光れば頚は前に落けるを自ら抱て伏し給ふ ふでをさしおきてびんのかみをなでたまふほどこそあれ たちかげうしろにひかればくびはまへにおちけるをみずからかかへてふしたまふ | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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その葛原岡神社の社務所には御覧の案内図が掲げられていました。 主な見処までの所要時間が記載されていますのでお出掛け時の御参考にして下さいね。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 6.日野俊基墓 ひのとしもとのはか | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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その日野俊基墓の麓には御覧のように海棠が見事な花を咲かせていました。 今を盛りにと咲き誇る桜も、この海棠の艶やかな色彩の前では霞んでしまいそうね。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 7.源氏山公園 げんじやまこうえん | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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そしてその、今を盛りにと咲き誇る桜を皆様にもお届けしましょうね。 ですが見れば見るほど桜餅を連想してしまうのはやはり花より団子かしら。(^^; | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 像の傍らにはタイムカプセルが埋められているの。2000年の源頼朝没後八百年記念事業として行われた小中学生作文コンクールの入選作15作品と市民からのメッセージが収められ、2050年に開封の上公開されると云うの。メッセージのテーマは「21世紀の鎌倉のまち/鎌倉への想い」と題されているようですが、小中学生もその頃には立派なおじいちゃんやおばあちゃんになっている訳で、是非その想いが結実していて欲しいものですね。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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な〜んて会話にならないように。(^^; 下に掲載する写真は青空に映える海棠の花。 桜の花見のはずが海棠ばかりになってしまいましたね。ゴメンナサイ。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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| ここで源氏山公園から途中下車する形で銭洗弁天を訪ね、佐助稲荷に脚を延ばしてみましたので引き続きお付き合い下さいね。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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