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腰越は七里ヶ浜と江ノ島に挟まれた地の利を得ながら訪ね来る方も少ないような気がしますが、鎌倉幕府が開かれていた頃は鎌倉の西端と見做されていた腰越にも歴史を物語る史蹟が残されているの。 補:一部の画像は拡大表示が可能よ。見分け方はカ〜ンタン。
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大船駅〜湘南江ノ島駅〜龍ノ口刑場跡〜瀧口寺 |
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1.大船駅
おおふなえき
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今回の散策では大船駅から 湘南モノレール に乗車してみました。藤沢駅で江ノ電に乗り換える方法もありますが、この日乗車した湘南新宿ライナーの終点が大船駅でしたので、そのまま湘南モノレールに乗り換えました。休日の小田急線やJRの横須賀線では行楽客の方の姿が多く見受けられるのですが、湘南モノレールはどちらかと云えば地元の方々が多く利用されているみたいね。乗車券:¥300 所要時間:約15分
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昨年(03)沖縄県初の鉄道・ゆいレールが開業して話題になりましたが、ゆいレールは跨座式に対して湘南モノレールは懸垂式で1971年に三菱重工業・三菱電機・京浜急行等が合弁で設立・開業したもので、当初は懸垂式モノレールの導入・拡販が主目的。実験線の性格が強かったのですが今ではすっかり地元の方々の足となっているの。跨座式と違い、側壁に視界を遮られることもありませんので空中遊覧しているような感覚で車窓からの景観を楽しむことが出来ますね。大船〜湘南江の島間の大部分を一般道の上空を走りますが、その道路も嘗ては京急バスの専用道路だったの。
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ところで懸垂式ってどうなってるの?と気になり、降車時に覗いてみたのが御覧の写真です。何だ、タイヤじゃん。でも不思議ねえ、タイヤが水平に取り付けられてる〜と瞬間的には事情を呑み込めず、横ブレ防止の補助的なものと理解するには暫時の時間が。それにしてもどうやってこれだけの重量を支えながら走るのかしら?知ろうとして余計分からなくなってしまった愚かなξ^_^ξでした。補:04/07に新型車両が投入されました。
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2.湘南江ノ島駅
しょうなんえのしま
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湘南江ノ島駅前は同じ江ノ島の玄関口でもある小田急線片瀬江ノ島駅を見慣れた方には些か殺風景に映るかも知れませんね。気が付けば他の乗客の方々はいつの間にか街の中に消えていました。江ノ島へ向かうには大通りを越えて直進すれば良いのですが、今回の散策は腰越界隈でしたので大通りを東に向かって歩き始めました。
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3.龍ノ口刑場跡
たつのくちけいじょうあと
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湘南江ノ島駅から由比ヶ浜方面に歩くと龍口寺の仁王門が見えてきますが、その手前には龍ノ口刑場跡の史蹟が残されています。法華経のみを唯一無二の正法として掲げ、念仏宗などの他宗を徹底して排斥した日蓮上人は幕府に捕らえられて密かにこの刑場で斬首されるところだったの。ところがいざ刀を振り下ろそうとすると突然江ノ島方面から光り物が電光石火の如く飛来してきて、その刀が折れてしまったというの。
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お話しが前後して恐縮ですが、日蓮上人は他の宗派を念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊と排斥したことから、とりわけ念仏宗檀信徒等から迫害を受けるの。前執権・北条時頼には【立正安国論】を献じて政を諫め、名のある高僧には悉く挑戦状を送りつけているの。当時は幕府要人にも禅宗や念仏宗の帰依者が多く、当然彼等からも誹謗を受けますが、中でも急先鋒だったのが侍所の所司(長官)平頼綱なの。その頼綱は文永8年(1271)遂に日蓮上人の松葉ガ谷草庵を襲い、上人を捕らえてしまうの。そうして佐渡流罪の決定が下されるのですがそれは表向きで、本当は密かに斬首してしまう計画だったの。如何なる場合でも僧侶の死刑は御法度だったのに、それを敢えて挙行しようとしたのですから余程疎ましかったのでしょうね。
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腰を抜かす者や馬に飛び乗り逃げようとして投げ出され、馬と共にどうと倒れる者など、その場に居合わせた武士達は皆一様に光り物の怪異に恐れをなし、処刑は中止になったの。そうして直ちに執権・北条時宗のところへ急使が出されて断を仰ぐことに。一方、将軍御座所上空でも巨星が閃光を発して雷鳴轟かせ夜空を駆け抜けていったからさあ大変。日蓮の処刑を知った月天子がその救済に現れたのじゃ、仏罰が下ったのじゃ。ええい、処刑は止めじゃ、止めじゃ!直ちに馬を引けい!頼綱を引き留めよ!!
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そうして日蓮上人は流星の怪異現象に命を救われ佐渡流罪となるのですが、実際には時宗の御台所懐妊に伴う恩赦だったみたいですね。自界叛逆と他国侵逼の国難を説き、蒙古襲来や二月騒動などの事件を機に帰依する者も現れ、元寇の危機が迫った文永11年(1274)2月、時宗は流罪を放免して日蓮上人の主張に耳を傾けようとするのですが、相変わらず他宗を排斥して憚らず、これには流石の時宗も閉口してしまいます。補:自界叛逆=内乱 他国侵逼=侵略
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やがてその日蓮上人も「三度諫めて聴かれずは則ち之を去る」と鎌倉を離れ、身延山に入山しているの。元寇襲来と云う未曾有の国難に際して全ての御家人や神社仏閣の合力を以て事に当ろうとした時宗にしてみれば日蓮上人のみを厚遇する訳にもいかず、日蓮上人が希有の実践宗教家なら時宗もまたバランス感覚を備える傑出した政治家だったの。
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4.龍口寺
りゅうこうじ
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龍ノ口刑場跡の史蹟に続いて建つのがこの龍口寺の仁王門ですが、右手の仁王像の下で何やら怪しげな(^^;風体の方が昼寝をしていましたのでそう〜と門を潜り抜けました。右の写真は通り抜けざまに写した天井画。本当は仁王像を写したかったのですが。ところで皆さん、天井に龍が描かれる理由を御存知?
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昔話にも頻繁に登場するように龍は沼や湖に潜み大切な水を司る神として古来より崇められ、雷鳴と共に天に昇り、人々に恵みの雨を齎すと信じられていたの。そんなことから法話を聞きに集まった聴衆に法(仏の教え)の雨を降らせようと本堂や講堂などの天井に描かれるようになったの。龍神が右手に握る玉は云わば法のエキスが入った宝珠で、不信心な方には集中豪雨が襲うかも。エッ?龍神からつぶてをくらうかも知れないって?(^^;
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法のシャワーを浴びたところで石段を登りますが、山門の左手には菩提樹が、右手には第64代横綱・曙関の手植えの曼陀羅華が植樹されているの。写真は曼陀羅華ですが菩提樹の方はどうしても樹勢が見劣りして。釈迦が悟りを開いたときのような大樹となるのは当分先のことのようですね。
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山門には御覧のような見事な透し彫りが施されています。極楽浄土と云うよりも何やら仙人達が仙郷の地に遊んでいるようにも見え、中国故事を題材としているのでしょうが、その道に詳しくありませんので御紹介が出来ません。どなたか御存知の方がいらっしゃいましたら御教示下さいね。
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山門を潜ると最初にあるのが妙見堂で鋪皮石堂の石碑が建ちます。縁起に依れば龍口寺は法難跡地に日蓮上人の直弟子・日法上人が延元2年(1337)に小堂を建て、日蓮上人像と頚座の敷皮石を安置したのが始まり。後に六老僧と呼ばれるようになった高弟、日昭・日朗・日興・日向・日頂・日持上人らの支援もあり、勧行寺や東漸寺など近隣八ケ寺が輪番で住持を務めたと云います。建物こそ新しいものですが最初に草堂が建てられた場所なのでしょうね。龍口寺の詳しい情報は 寂光山龍口寺WEB-SITE を御参照下さいね。
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山門前からの参道の先には御覧の本堂が建ちますが右手奥にはこの辺りでは珍しい五重塔が建てられています。それもそのはずで神奈川県内唯一の本式五重塔の由。明治45年(1912)の創建と比較的新しいものなのですが、重厚な佇まいが趣を添えています。
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本堂への石段を登ると左手に手水舎がありますが浄行菩薩が祀られています。浄行菩薩は水徳を顕す仏様で煩悩や罪障を洗い清めてくれるの。この手水舎の背後には日蓮上人が閉じ込めれたと云う御霊窟があるのですが、気付かずに終えてしまいました。苦難の跡を興味本位で見るべからずとの浄行菩薩のお導きかしら?(^^;
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後日記:見忘れたとあっては武士の名折れ(笑)とばかりに機会を見つけて後日訪ねた際に写したのがこの写真です。もう少し大きな洞窟を想像していたのですが間口も狭く、中も腰を屈めなければ立てない位の高さしかないの。いかにも土牢の趣きですが入口に立てば岩窟の中央に座して獅子吼が如く題目を唱える日蓮上人の後姿が暗がりの中に浮かんで来るようで・・・
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本堂左手には緋い鳥居が数多く建ち並び、最奥部には経八稲荷大明神が祀られています。あれえ〜、日蓮上人は他宗を徹底して排斥したのにお稲荷さんは良かったのかしら?龍口寺の守護神として祀られているのでしょうが、経八稲荷大明神とは聞き慣れないお稲荷さんですよね。同寺のサイトに依ればこの祠堂は平成11年(1999)に建てられたものだそうですが、鎮座するようになったのはいつ頃のことなのかしら。ちょっと気になりますね。
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経八稲荷堂の左手に続く石段を登ると正面に七面堂が見えて来ます。こんな云い方をしては失礼かも知れませんが、龍口寺は日蓮上人が鎌倉を離れて入山した身延山久遠寺の云わばサブセット版。その身延山の七面大明神を勧請して祀ったのがこの七面堂なの。その七面大明神には面白い逸話がありますのでちょっと紹介してみますね。身延山で聴衆を前に日蓮上人が説法をしていると見目麗しい美女が耳を傾けていたと云うの。
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山深い身延の地にあって凡そ不釣り合いな出で立ちに弟子や檀信徒達が訝しく思っていると、上人はそれを慮り妙麗の女性に「集まれり我が弟子達が汝の姿異樣に見受けなばその正體を披露すべきか」と告げ、求めに応じて花瓶の水をかけてやったところ、忽ちその姿を龍に変じて居並ぶ信者達を恐ろしい形相で見下ろしたの。そして「吾は七面山に住す七面天女なり 人皆法華經を讀誦し 吾を祀らば吾身延と法華經を堅護せん」と告げて七面山に飛び去ったというの。そうして上人の入滅後、直弟子の日朗上人と信徒の南部(波木井)実長が七面山々頂に七面大明神を祀ったと云われているの。因みに南部実長は古くから日蓮上人に帰依した信者で身延山一帯に多くの所領を有していたの。日蓮上人が鎌倉を離れたのも実長の招きがあればこそ。
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七面堂から左手に続く山道を上ると広場に出ますが仏舎利塔が建てられています。舎利はサンスクリット語の Sarisa が音訳されたもので、元々は身体を表すことばなの。釈迦の入滅後、残された弟子達は荼毘に附された釈迦の遺骨を八ケ国に分骨して塔を建てて祀ったの。仏教の流布と共に各地に寺院が建てられ、舎利塔も多く建てられるようになると、釈迦が生前愛用した身廻品なども舎利に見立てて安置されるようになったの。
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ねえねえ、そんなにお釈迦さまの遺品て多いの? |
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幾ら何でもそんなには無いわね。 |
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じゃあ、みんなどうしたの? |
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牛玉とかお米の種籾を代用品として納めたの。 |
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ねえねえ、牛玉ってなあに? |
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牛のお腹に出来る結石のことなの。昔は今みたいな医学知識も無かったから結石は貴重品で薬としても使用されていたの。それを一切の願いをかなえてくれると云う如意宝珠に見立てて舎利塔に納めたの。
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ふう〜ん。じゃあお米の種籾にはどんな意味があるの? |
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稲穂は見たことあるわよね?最初は一握りの籾でも田圃に植えるとやがて沢山のお米が出来るでしょう。お釈迦さまの教えもお米と同じように最初は少なくてもやがて皆んなを救ってくれるようにとの願いを込めて納められるようになったの。
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そうなんだ。じゃあ龍口寺の舎利塔には何が納められているの? |
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ごめんなさいね、本当は知らないの。最近では経典を納めることも多いから経典かしら?経典はお釈迦様の教えを凝縮したものよね。そこにはお釈迦様の魂が宿っている−と云うことからお釈迦様の分身として納められるようにもなったの。
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俗に寿司御飯のことをシャリとも云うけど本来は別物なの。舎利 Sarira がお米を指す同じサンスクリット語の Sali に発音が似ていることからお米=仏舎利として同一視されるようになったの。
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仏舎利塔が建つ広場からは御覧の眺望が開けます。嘗ては洋上に浮かぶ江ノ島を望むことも出来たのでしょうが、今は建ち並ぶマンション群の向こうに少しだけ頭を覗かせてくれるだけになってしまったの。そのせいか鉄製の小さな櫓が組まれていて上ることが出来るようになっていますが、その内、仏舎利塔のテッペンにでも登らなければ江ノ島を見ることが出来なくなってしまうかも知れませんね。
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広場を後に再び七面堂迄戻り、今度は右方向に歩くと木立の中から五重塔が見えて来ます。建物自体は明治45年(1912)の創建と比較的新しいものですが、威風堂々とした造りには他を圧倒する迫力がありますね。ところで五重塔もそのルーツはお釈迦さまが葬られた墳墓なの。陽射しを浴びてはお釈迦さまが暑かろうと墳墓の上には幾重にも日傘が立てられ、周囲にも基壇が何段も造られたの。中国に仏教が伝えられると楼閣建築と結び付いて墳墓の基壇は多層屋根に、日傘は相輪に転じたの。
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御紹介しましたように最初の頃は塔には仏舎利を納めていたのですが、後には仏像などが安置されるようになったの。サンスクリット語では墳墓を「高く現れる」の意味のステューパ stupa と呼んでいたのですが卒都婆と音訳されたの。今でもお彼岸などの際には題目が書かれたお塔婆をお墓に添えますが、五重塔もお塔婆も実は皆同じルーツなの。元々のお塔婆は「ここに仏さまが眠っていらっしゃいますよ」と云う目印だったの。
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五重塔からは本堂の右手に降りてくることが出来ます。境内の一角には鐘楼が建てられ、延寿の鐘が釣り下げられています。誰でも衝くことが出来ますのでお試し下さいね。ですが延命長寿を願うあまり欲をかいて二突き三突きするのは止めましょうね。貴女のそんな煩悩が逆に寿命を縮めてしまうかも知れなくてよ。エッ?煩悩の数だけ衝く?それでは除夜の鐘になってしまうわ。清廉にして無欲故の延命長寿と云うことで・・・(拝)
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5.昼食
於:かきや
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龍口寺の拝観を終えて江ノ電の線路が併設された道を腰越駅方面に歩いて満福寺へ向かいました。その途中にあるのが かきや さん。腰越名物のしらす丼や新鮮な地魚が低料金が食べられる−と云うのでこちらで昼食を。店内は地元の方や行楽客で空席の順番待ち。美味しいものは皆さん御存知ですね。お薦めはやはりしらす丼をメインにした『しらす三昧セット』¥1,250 ね。
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