≡☆ 生田緑地ばら苑 ☆≡
2010/05/22

神奈川県川崎市にある生田緑地ばら苑では春バラが見頃を迎えたと知り、出掛けてみたの。補:掲載画像は一部を除いて幾れも拡大表示が可能よ。気になる画像がありましたらクリックしてみて下さいね。クリックして頂いた方には隠し画像をもれなくプレゼント。(^^;

生田緑地ばら苑

1.小田急・向ヶ丘遊園駅 むこうがおかゆうえんえき 10:01発

御存知の方も多くいらっしゃるかと思いますが、嘗てはこれから訪ねる生田緑地の場所に一大レジャーランドの向ヶ丘遊園があり、駅からは専用のモノレールが延びていたの。向ヶ丘遊園は昭和2年(1927)に小田原急行鉄道(現:小田急電鉄)が開業したもので、現在は長尾と地名を変えていますが、当時は向ヶ丘村( or 向丘村 )と呼ばれていたことから向ヶ丘遊園の名称となったの。今では殆どの方が向ヶ丘を「むこうがおか」と普通に読んでしまいますが、それまでは向ヶ丘、向丘のどちらも「むかいがおか」と呼んでいたみたいね。それが向ヶ丘遊園の場合には「むこうがおか」としたことから、地名の方もいつしか「むこうがおか」と呼ばれるようになったのだとか。

》》》 向ヶ丘遊園関連ミニ史 《《《
昭和30年(1955) 稲田登戸駅から向ヶ丘遊園駅に改称
昭和38年(1963) フラワーショーを開始。同園の呼び物の一つになるの。
昭和41年(1966) 向ヶ丘遊園モノレール開業(向ヶ丘遊園駅⇔向ヶ丘遊園正門駅)
平成12年(2000) 車両の老朽化に依り、モノレール運行休止
平成13年(2001) 運休していたモノレールを廃止
平成14年(2002) 向ヶ丘遊園閉園(3/31)75年に及ぶ歴史に幕を閉じた。

左掲は「'80 春のフラワーショー」開催時の入園チケット

2.水と緑のプロムナード みずとみどりのぷろむなーど 10:07着発

駅前で見つけた道標では生田緑地まで800mと案内されていましたが、南口から続くモノレールの廃止跡地には遊歩道が整備され、二ヶ領用水川の稲生橋の脇には、水と緑のプロムナード 五ヶ村堀割地−と記されたモニュメントがありました。続いて五段のピラミッドのようなオブジェもあったのですが、こちらは噴水だとか。残念ながら水の流れはなかったけど。

3.ばら苑アクセスロード ばらえんあくせすろーど 10:11着発

ばら苑アクセスロードは、平成14年(2002)に閉園された向ヶ丘遊園地のモノレール跡地を有効活用したもので、生田緑地へ引き継がれたばら苑へ通ずるシンボルロードとして、平成17年(2005)度から緑の景観づくり推進事業の一環として整備したものです。整備にあたっては、ばら苑を訪れる方々が気持ちよく歩いて頂くことや地域の環境を向上させることなどを目的としました。アクセスロードには、生田緑地のばら苑を多くの方々にPRするため、ツルバラをはじめとした様々なバラを植栽し、彩のある緑の景観づくりを演出しました。また、モノレール在りし日の風景を後世に残そうとモノレール橋脚のミニチュア・レプリカをモニュメントとして配置しました。

今後、このアクセスロードが地域の方々に親しまれ、市民のみなさまと協働のもと、いつまでも美しい景観であることを期待しています。アクセスロードの周辺には、多摩丘陵の一角に位置する川崎市内最大の緑の拠点となる生田緑地があり、その美しい緑を背景に日本民家園や岡本太郎美術館をはじめとした魅力ある施設が数多く存在しております。川崎市

遊歩道の親水エリアを過ぎた辺りからは御覧のばら苑アクセスロードが続くの。植栽された薔薇の艶やかさに目を奪われがちですが、それでも名も知らぬ花卉や草花が春を謳歌する姿がそこにはありました。中でも目を惹いたのがこのカルミア Kalmia latifolia の花。遠目には紫陽花のようにも見えたのですが、調べてみるとツツジ科カルミア属の木で、北米東部原産だとか。アメリカシャクナゲ、ハナガサシャクナゲ(花笠石楠花)とも呼ばれ、先住民がその根で木製のスプーンを作っていたことから海の向こうでは スプーンの木 Spoon Wood とも呼ばれるそうよ。

花の形はシャクナゲにもツツジにも似てないわよね。どちらかと云うと紫陽花プラス石楠花かしら。それはさておき、葉にはグラヤノトキシン grayanotoxin を含み、有毒とされるの。因みに、花言葉は「優美な女性」だそうよ。綺麗な薔薇には棘があるけれど、優美な女性にはそれ以上にお気をつけ下さいね。えッ、その神経毒に痺れてみたい?(^^; ちょっと茶化してしまいましたが、カルミアには 羊殺し Lambkill の異名もあるくらいで、かなり危険な毒だそうよ。

アメリカで桜の開花が伝えられる頃になると、ワシントン市のポトマック河畔に咲く桜を背にして行われる桜まつりの様子がニュースでも伝えられますが、このカルミアもまた明治時代にワシントン市に桜の苗木を寄贈したお返しにハナミズキ(花水木)と共に日本に伝えられたものなの。当時のアメリカ第27代大統領ウイリアム・ハワード・タフト William Howard Taft の夫人、ヘレン・タフト Helen Taft 女史は日本の桜をポトマック河畔に植えて美しい公園を造りたいと思っていたの。それを知った当時の東京市長・尾崎行雄氏は桜の苗木2,000本をワシントン市に贈ったの。But 残念ながら搬送途中で病害虫にやられて苗木は全滅、3年後の明治45年(1912)、改めて育てた苗木3,000本余を送り届けたの。その返礼としてハナミズキが大正4年(1915)に贈られて来たのですが、その2年後にはこのカルミアの木も贈られて来たの。なので、カルミアは桜やハナミズキと共に日米友好の証でもあるの。

ワシントン市に桜の苗木が贈られた経緯が 米国ワシントンD.C.の桜物語 で詳しく紹介されているの。タフト夫人の存在もさることながら、日本と日本の桜をこよなく愛してくれたエリザ・R・シドモア Eliza Ruhamah Scidmore 女史の存在があればこそのポトマック河畔の桜ね。是非、御一読されることをお薦めしますね。

4.生田緑地ばら苑 いくたりょくちばらえん 10:35着 12:33発

階段 府中街道から駐車場入口に立つ係の方の誘導に従い脇道に入りましたが、そこから更に坂道を2-300m程歩くの。沿道には向ヶ丘遊園の遊具施設などが建てられていた痕跡が残る場所もあり、当時の賑わいを知る方には感慨深いものがあるかも知れないわね。嘗て正面玄関にあった大階段とは比べようもないけど、やがて見えて来たのがこの木で造られた階段よ。この階段を登り切ったところにばら苑が広がるの。

元々のばら苑は向ヶ丘遊園開園30周年記念事業として計画されたもので、昭和33年(1958)5/23に開設されたの。当時は植栽されたバラの品種の多さから「東洋一のばら苑」と評されたほど。そのばら苑も向ヶ丘遊園の閉園に合わせて廃園となる運命にあったのですが、存続を求める市民の声が多くあり、その意を受けて川崎市がばら苑の維持管理を引き継いだの。現在は面積1.2haの苑地におよそ530種4,700株余のバラが植えられいて、年2回、春バラ(6月)と秋バラ(10月)の開花時期に合わせて無料開放されているの。苑内のバラにしてもボランティアの方々が管理・育成されているもので、多くの方々の善意で支えられているの。とは云え、バラの育成や維持管理にはやはりお金が必要よね。入苑料は不要ですが、ボランティアの方々の善意を応援するためにも来園の際にはばら苑募金に御協力下さいね。

530種類に及ぶバラを全て紹介することは出来ませんが、その幾つかを写真に収めて来ましたので御案内してみますね。バラの種別や作出年度も併せて載せてみましたが、苑内に案内されていたものと異なるものもありますのでご注意下さいね。と云うのも、苑内には朝日新聞が寄贈したと思われるバラが多くあるのですが、その表示内容が他とは違うことから情報を補完すべく調べ始めたの。ところが同じバラに対して異なる案内がされるなど、ξ^_^ξの頭は混乱して来たの。全てのバラを網羅する書籍にも出会えず、幾れが正しいのかξ^_^ξには分かりませんので、最終的には気分で決めました。御了承下さいね。
Ref: 学習研究社刊 入谷伸一郎著 色分け花図鑑 バラ & 小学館発行 鈴木省三著 ばら花図譜 etc

収録画像が複数ある場合にはその枚数を画像の下に表示しました。
表示があると云うことは隠し画像があると云うことよ。(^^; 先ずは最初のミニバラ苑に咲いていたものから。

スターザン・ストライプス
Stars'n' Stripes
[ Min ] 米:ムーア 1976
2 pic
シンデレラ
Cinderella
[ Min ] 蘭:バンク 1953
スタリナ
Starina
[ Min ] 仏:メイアン 1965
ラベンダー・レース
Lavender Lace
[ Min ] 米:ムーア 1968

コリブリ
Colibri
[ Min ] 仏:メイアン 1958
2 pic
アシュラム
Ashram
[ HT ] 独:タンタウ 1998
クッパーケーニギン
Kupferkönigin
[ HT ] 独:コルデス 1996
2 pic
インカ
Inka
[ HT ] 独:タンタウ 1978
3 pic

ユーレカ
Eureka
[ FL ] 独:コルデス 2003
シュペールバルク
Speelvark
[ HT ] 独:コルデス 1999
アンダルシアン
Andalusien
[ FL ] 独:コルデス 1976
3 pic

ロサバンクシアェ Rosa banksiae モッコウバラ
原産地は中国の中部・南部で、江戸時代に日本に入ったと云われている。薬や防虫に用いられている。木香の香りがあることからその名が付いた。早咲きで5月上旬頃うすいクリーム色の2cm位の小さな花をつける。発育は旺盛で、1m以上の巨大な株になり、トゲも少なく葉も小さいが花つきは良い。ローズガーデンハウスの正面を覆い咲き乱れ、木香の香りがばら苑全体にただよい、みごとである。樹齢は約60年である。

左端に写る芝生広場は嘗ては噴水池だったみたいね。

グリーノールズ・グローリー
Greenall's Glory
[ Patio ] 英:カーカム 1989
2 pic
マチルダ
Matilda
[ FL ] 仏:メイアン 1988
「白鳥と子供」像
多摩美術大学教授
故・早川巍一郎氏作
(1905-1978)
パーゴラ通り

つるマスケラード
Masquerade Climbing
[ CIF ] 英:ディラン 1958
7 pic
メイアンプル
四季咲き大輪種
独 1969
2 pic
ローザムンデ
Rosamunde
[ FL ] 独 1973
オールド・ガーデン・ローズ
Old Garden Rose
Mixed
4 pic

レディー・ペンザンス
Lady Penzance
[ HEg ] 英:ペンザンス
1894
紫玉
Shigyoku
[ G ] 日本
ゴールデン・ウイングス
Golden Wings
[ HT ] 英:シェファード 1956
ピンク・グローテンドルスト
Pink Grootendors
[ HRg ] 蘭:Grootendorst
1923

スキャボロ・フェア
Scarborough Fair
[ ER ] 英:オースチン 2003
2 pic
ザ・ダーク・レディ
The Dark Lady
[ ER ] 英:オースティン 1991
2 pic
ピース
Peace
[ HT ] 仏:メイアン 1945
2 pic
イングリッシュ・ローズ
English Rose Corner
Mixed
4 pic

ピースは20世紀を代表するバラと云われ、数ある品種の中でも「奇跡のバラ」とも形容される程なの。原名はマダム・アントワーヌ・メイアン Mme.Antoine Meilland で、バラの育種家として有名なフランシス・メイアン Francis Meilland (1912-1958) が初めて作出したバラで、母の名をとって命名したの。けれど悲しいかな、当時は第二次世界大戦の激戦下にあり、1940年にはドイツ軍の侵攻を受けてフランスは降伏。ナチスが横行する姿に身の危険を感じた彼はせめて新たに育種したバラだけでもと、本国に逃れるアメリカ領事にその苗木を託したの。

やがてその苗木がフランシスの友人でもあり、育種者としても知られるコナルド・パイル氏( Conard-Pyle社の創業者 )の許に届けられたの。1945年のことで、折しもベルリン陥落を受けてその喜びに世界中が沸き立つ中で、平和への願いを込めて、改めてピースと命名されたの。因みに、日本へは戦後の昭和24年(1949)に横浜で開催されたバラ展の際にアメリカから戦闘機で空輸されて来たのが最初のお披露目になるの。軍用機で運び込まれたと云うのもピースを象徴する逸話よね。

引き続き、世界各国の王室に因むバラを集めたロイヤル・コーナーから幾つか紹介してみますね。