≡☆ 東松山ぼたん園めぐり ☆≡
2010/05/01 & 2010/05/03 & 2010/05/15

埼玉県東松山市にある箭弓稲荷神社のぼたん園でぼたんの花が見頃を迎えたと聞き、出掛けてみたの。加えて、箭弓稲荷神社の他にも東松山ぼたん園があることを知り、連休に助けられてぼたんの花めぐりをしてみましたので御案内しますね。併せて、余り知られない農林公園に咲くポピーも紹介。補:掲載画像は一部を除いて幾れも拡大表示が可能よ。気になる画像がありましたらクリックしてみて下さいね。クリックして頂いた方には隠し画像をもれなくプレゼント(^^;

箭弓稲荷神社〜東松山ぼたん園〜農林公園〜森林公園

1.箭弓稲荷神社 やきゅういなりじんじゃ

東武東上線の東松山駅西口から5分程歩くと大きな鳥居が見えて来ますが、その先に御覧の参道が続くの。実は、この正面玄関からの来社に拘らなければもっと近道があるの。掲載画像では分からないかも知れませんが、参道は車道になっていて、木立の背後を右手に折れるようにして続いているの。つまり、その道を逆方向から進入してくればOKなの。加えて、境内右手の入口から入れば車道を歩かずに済むの。時間的にそう大きく変わる訳では無いのですが、はやる心を少しでも早く落ち着かせたい方にはお勧めよ。拝観料:境内自由 初穂料:志納

先ずはお目当てのぼたん園に直行したい−と思われるかも知れませんが、折角ですから、ぼたん園に向かう前に箭弓稲荷神社のことを紹介してみますね。そんなん、どっちでもえやないかい−と云う方は心おきなく読み飛ばして下さいね。実は、ξ^_^ξも訪ねる前までは馴染みのない社名から差ほど歴史あるお社とは思ってもいなかったのですが、何と、奈良時代初めの和銅5年(712)の創建と伝えられる古社だったと云うわけ。嘗ては近在のみならず、江戸をはじめとした関東一円から参詣客を集める程の賑わいをみせていたそうなの。そうなると由来が気になるわよね。そこで、先ずは二の鳥居脇に掲示されていた説明書きから紹介してみますね。

長元元年(1028)下総国(千葉県)の城主・前上総介平忠常は下総に乱を起こし、安房・上総・下総を手中に収め、大軍を率いて破竹の勢いで武蔵国へ押し寄せた。長元3年(1030)秋、忠常追討を命ぜられた冷泉院の判官代甲斐守源頼信(多田満仲の子、頼光の弟)は、武蔵国比企郡松山野久ヶ原に本陣を張り、一泊した際に当社に詣で、敵退治の願書を呈し、太刀一振、馬一匹を奉納して一夜祈願した。その暁、白羽の矢のような形をした白雲が起って敵陣の方へ飛んだ(一説に白狐に乗った神が弓矢を授けた夢を見た)のを見て神様のお告げと感じ、直ちに兵を起こして敵陣に攻め込んだ。

忠常の兵は不意の攻撃になす術もなく敗れ、三日三晩の戦いで潰滅した。頼信はこれを喜び、凱旋の際、立派な社殿を再建し箭弓稲荷大明神と称えたと伝えられている。現在の社殿は享保3年(1718)領主・島田弾正が社地4町7反余を免除し、四方の信徒と図って建造したと云われている。明治29年(1896)に郷社と定められ、大正12年(1923)には県社に昇格し、衣食住は元より、商売繁昌・開運の神として広く知られている。また、境内にはぼたん園があり、関東随一の名園と云われている。平成10年(1998)3月 東松山市・埼玉県

左掲は三の鳥居ですが、立派よね。大きさこそ小振りですが四脚鳥居で、扁額には唐破風の屋根が付くなど凝った造りになっているの。結わかれた注連縄も負けてはいないわね。これだけ見てもそこらにある神社とはちょっと違うわね。下掲は神社側の由緒書きですが、市側の案内とは違って力が入ってるわよね。(^^;

〔 御由緒 〕 御祭神 宇迦之御魂神(保食神)豊受比売神

当社の御創建は和銅5年(712)と伝えられ、規模の雄大さと御社殿の荘厳さと御霊験の灼かさに於ては、関東に比無き稲荷大社と称せられ、創立の当時は野久または矢久稲荷と称せられ里人の信仰の的となっていた。社記に依れば人皇第68代後一条天皇の御宇長元元年下総国(千葉)の城主前上総介平忠常謀反を企て、安房・上総・下総の三カ国を切従え破竹の如き勢いにて威を八州に震い大軍を起して武蔵国に押出せし時、冷泉院判官代甲斐守源頼信長元3年(1030)忠常追討の倫旨を賜り、当地野久ヶ原に本陣を張りて当社を尊仰し朝敵退治の願書を呈し、一終夜の御祈願ありてその暁白雲俄に起りて白羽の箭の如く型取りたる雲現れると共に一陣の風颯と吹き立ち敵陣の方へ箭を射る如く飛び行けば頼信神明の感応なりと直ちに敵陣に攻め入れば、忠常の陣中麻の如く乱れ三日三夜追討して壊滅せり、頼信御神威を感得、喜悦して直ちに見事なる御社殿を再建建立して箭弓稲荷大明神と称え奉れりと記され亦後に御社名を箭弓稲荷と呼称す。

又、宝徳3年(1451)2月の初午に河肥の左金吾持資主の心願成就の法楽を捧げられ文明年中まで年毎の御祭礼は太田道灌により執行せられ、松山城主上田氏、難波田氏も康正年中より、代々の領主達の尊信最も篤く後川越八代の城主松平大和守は社地を免租して親筆の献額を捧げ、松平家代々の城主当社を崇敬して御分霊を城内及び邸内に奉斎された。当社の最も隆盛を極めたのは特に享保年間で庶民の崇敬も厚く、四方遠近の国々貴賤当社に心願を込めて参籠し、社前市をなし人馬の往来繁く江戸より熊谷西上州、又江戸には「箭弓稲荷江戸講中」日本橋小田原町を中心に江戸市中に及び講中の参拝引きも切らず、桶川・鴻巣・吹上の宿より道中して参拝し「従是箭弓いなり道」の道標50余本ありて当時の隆盛を偲ぶことが出来る。現在も大小百余講社あり。尚、当社は五穀豊穣・商売繁昌・家内安全の守護神であると共に養蚕倍盛・交通安全・厄除・火難除・開運・学業成就・芸能精進等の神社として信仰を集めております。

鳥居を抜けると正面に歴史の重みを感じさせる重厚な趣きの社殿が迫りますが、決して古きのみを重んじている訳でもなさそうよ。社名の箭弓(やきゅう)の音が野球に通じることから「野球がうまくなる神社」として野球関係者が多く参拝することでも知られているの。埼玉県でプロ野球と云えば所沢にある西武ドームをホームグランドにする西武ライオンズよね。運が良ければお気に入りの選手が参詣する姿を目にすることが出来るかも知れないわよ。何でも楽天の野村前監督も常連だったそうよ。神社側でもホームベース型やバットの形をした絵馬まで用意していると云う力の入れようよ。参詣者がないときにはお稲荷さんもおキツネさんを相手にバッティングや投球練習してるかも知れないわね。(^^;

生花 生花 ぼたんの開花期には境内ではぼたんまつりが開催され、各種イベントも行われるの。訪ねた時には拝殿左手に作られた特設会場で生け花の展示が行われていたの。左掲はその中でもξ^_^ξのお気に入りの二作品。生花は遠〜い昔にちょこっとかじったことがあるけど、ここまでの境地にはとても辿り着けなくてあっけなく挫折。美しさの蔭には感性と不断の努力あり−ね。

社殿左手に回り込むと技巧を凝らした重厚な本殿があるの。残念ながら瑞垣に囲まれてあることから接近遭遇出来ないのですが、見事な彫刻の施された社殿は圧巻よ。下世話な話しだけど、これだけの技巧を凝らした社殿を今新たに造営するとしたら一体どの位の費用が掛かるのかしら、億単位、否、10億20億の世界でしょうね、きっと。嘗ては関東一円から崇敬者を集めたと云う箭弓稲荷神社だからこそ、建てることが出来た社殿よね。ここまでくるともはや建築物と云うよりは立派な芸術作品よね。拝観料を払ってでもいいから瑞垣の中に入れるようにしてくれないかしら。その本殿ですが、境内に立てられた案内板には

〔 箭弓神社の本殿と絵馬 〕 市指定文化財
箭弓神社の本殿は正面5.43m、奥行は5.15mあり、屋根は切妻単層三重垂木の銅葺で出来ています。本殿の正面、妻梁上の両破風面は龍・獅子・獏等の彫刻をあしらったものが多くを占めています。本殿裏には、仙人が烏鷺(うろ=囲碁)を戦わせて遊び楽しんでいる彫刻もあり、龍・獅子・獏等力強い彫刻の多い中で興味あるものです。本殿内部の各桝組は、極彩色の花卉模様が散りばめられており、正面の扉、柱及び欄間には極彩色の花鳥の彫刻があります。床面は朱塗りで、全体が日光廟の模様を小さくした感じです。絵馬は、神社に馬を奉納する代わりに、板に馬を描いて奉納したのが始まりで、近世になると馬以外の題材も扱うようになります。「●呉服店」「馬上の中国武人」「関羽と張飛」「俵藤太秀郷」「牛若丸と弁慶」「予譲の仇討」「文人机に寄り」「武人と騎馬武者」の題名で8点の絵馬が指定されています。幾れも1-4mの大型の絵馬で、数多くある箭弓神社の絵馬でも作風保存状況等の優れたものです。箭弓神社の社記によれば、祭神は宇迦御魂命(保食神)で、平安時代(長元元年=1028年)の草創とされています。現在の本殿等は江戸時代(天保年間−1836年頃)に建立され、その後数回改築されています。昭和58年(1983)3月 東松山教育委員会

と、あるの。因みに、●は○の中に=が入った一文字なのですが、表示不能ですので御容赦下さいね。

社殿左手には何やら曰くありげな石が置かれていましたが、むすび石と案内されていたの。

御利益
受け方
納め方
縁結び・子宝 ※お喰初にお使い下さい。
石を選んで受け、社頭にて祈念を込めてからお持ち帰り下さい。
願い事が成就しましたら早速ご返納下さい。
ご返納は倍返しが慣わしですので、似た石を選んでお納め下さい。

本殿左手は神楽殿があり、ぼたんまつりの期間中は神楽や巫女舞の奉納や、プロの歌手やミュージシャンを呼んでのミニ・コンサートなども行われるの。大型バスが10台位押し掛けてきても平気で止められる位広い観客席(と云っても椅子はなくて単なる地べたよ)なので、そんなにお客さんが集まるのかしら−と思いきや、露店の出店で半分以上は埋まっていました。(^^;

本殿の背後に回ると木立の中に小さな社殿が建てられているの。瑞垣の外に鎮座することから境内摂社の類かしらと思ったのですが、実は、この小さな社殿こそが元宮だったの。社殿には覆屋が設けらて風雨避けのガラスで囲まれるなど、小さいながらも鄭重な扱いがされているの。傍らに立つ石柱には平成20年(2008)に改修したことが記されていましたが、野久(矢久)稲荷と呼ばれていた頃は更に簡素な社殿だったのではないかしら。あるいは、単に祠のようなものだったのかも知れないわね。東松山市(教育委員会)が立てた案内板では、源頼信との関わりを以て箭弓稲荷神社の草創とし、平安時代の長元元年(1028)を創建年代に充てているけど、この元宮を見ていると、神社側の、奈良時代の和銅5年(712)とする云い分も満更あり得ない話しではないような気もしてくるわね。

本殿右手には立派な社務所(参集殿)が建ちますが、更にその右手に鎮座するのが通称、穴宮稲荷こと宇迦之魂社。箭弓稲荷神社の主祭神が宇迦之御魂神(倉稲魂命)なら、こちらの穴宮稲荷に祀られている神さまもまた宇迦之御魂神なの。早い話がこちらもお稲荷さんと云うわけ。でも、同じ境内に二つのお稲荷さんが別々にお祀りされると云うのもちょっと変わっているわよね。尤も、普通はお稲荷さんと云えば五穀豊穣を主な御利益とするのですが、こちらのお稲荷さん、何と芸道向上の神さまに変身してしまったみたいなの。本来の五穀豊穣の御利益は箭弓側に任せておけばいいじゃんか−と云うわけ。(^^;

〔 宇迦之魂社御由緒 〕 通称 穴宮稲荷・団十郎稲荷 御祭神:宇迦之御魂神
社記に依れば「穴宮は当社眷属の穴居なるを以て俗に称す」とあります。団十郎稲荷は文政3年(1820)の秋、七代目市川団十郎が特に当社を信仰し芸道精進の大願成就の心願を御祈願し、その当時の江戸の柳盛座の新春歌舞伎興行に於いて「葛の葉」「狐忠信」等の段が素晴らしく演じられ毎日札止めの大盛況で目出度く終演したことは、一重に大神様の御加護のお蔭であるとして、御礼に文政4年(1821)仲秋に石造りの御神祠を建立されました。それ以来、役者衆の参拝や花柳界・水商売・一般の方々の信仰厚く、芸能向上・商売繁昌の守護神として広く崇敬されています。平成2年(1990)4月1日 箭弓稲荷神社社務所

傍らに立つ説明書きを紹介してみましたが、ここでは稲荷神と云うよりも、稲荷神の使い、おキツネさまの御利益の方が勝っているような気がするわね。舞台成功の裏には七代目市川団十郎に乗り移ったおキツネさまの姿があったのかも知れないわね。(^^; ちょっと茶化してしまいましたが、俳優は「わざおき」とも読めるように、神さまの御魂を招き寄せ、自らも神懸かりして舞うなどして神さまを楽しませるのが本来の役割だったのですが、歌舞伎役者も舞台の上では役を演じきるわけですから同じよね。

箭弓稲荷神社の牡丹園は大正12年(1923)に東武東上線坂戸・東松山間の延線竣工を祝し東武鉄道株式会社初代社長根津嘉一郎氏が牡丹並びに藤・松を奉納されたことに始まります。以来、神社では肥培管理・補植等に鋭意力を尽し、毎年4月下旬には牡丹を始め、つつじや藤の花が見事に咲き乱れ、園内は華麗な世界へと一変します。この時期、大神様の御心をお慰めする牡丹祭が執行され、関東一円から大勢の方々の参拝で賑わい、正に関東随一の牡丹園と名声を博しています。この為、牡丹の花はこのまちのシンボルとされ、昭和49年(1974)には東松山市制20周年を祝し、市の花に指定されました。平成12庚辰年(2000)牡丹祭の吉日 東松山市観光協会 箭弓神社

ぼたん ここでは3,500m²の敷地に1,300株余のぼたんが植えられているの。訪ねた時にはまさに見頃を迎え、色とりどりのぼたんが咲き競っていたの。ここでは余計な説明は要らないわよね。撮りためて来たものを纏めてアップしてみましたので、御覧になりたい方は左掲の画像をクリックしてみて下さいね。全部で60枚ありますのでお楽しみ下さいね。ぼたん園の奥には池があり、畔には松やツツジが植栽されているの。因みに、こちらの松は、東武鉄道の初代社長・根津嘉一郎氏が奉納したものだそうよ。訪ねた時にはそのツツジも見頃を迎え、一度で二度おいしい時を過ごすことが出来ました。

天神社

ぼたん園の最奥部にチョコンと鎮座していたのが御覧の天神社。天神さまと云えば菅原道真を祀るお社のことよね。境内末社にしては余りにも離れ小島状態の天神さまですが、何かそれなりの理由があるのかも知れないわね。今でこそ学問の神さまとして受験生には引っ張りだこの天神さまですが、嘗ての天神さまは祟り神として最強のパワーを持っていたの。北野天満宮にしても、元々はその祟りを恐れた朝廷や藤原氏が道真の鎮魂を願い、創建したものなの。ここから先はξ^_^ξの想像でしかないのですが、この地でも道真の祟りとされる事件が相次いだのかも知れないわね。こうして大切にお祀りしておりますだで、どうか悪さしねえでおくんなせえまし−と云うわけ。だからと云って祟り神を境内の中心にお祀りするには抵抗があり、端は端でも、取り敢えずは端の真ん中にお祀りしておりますだで−と云ったところかしら。以上、戯れ言でした。(^^;

そして、ぼたん園の最後を飾るのが藤の花なの。うれしいことにその藤も同じく開花時期を迎えて一度に三度美味しい思いをしてしまいました。東松山市の名木で、御覧のように幹周りが約1mもある立派なものよ。説明には「江戸時代の終りに小金井村(東京都)より武州の人・某が譲り受け、大正12年(1923)当ぼたん園に先代東武鉄道(株)社長根津嘉一郎氏より奉納された由緒ある樹です。藤の樹は一般に寿命も長いとされていますが、特にこの樹は推定250年以上といわれ、延命(ながらへ)の藤と名付けられ、毎年ぼたんと美しい紫の色を競います」とあるの。

250年を経た今もこうして綺麗な花を咲かせるなんて。咲き誇る花には樹齢なんて感じさせない生命の輝きがあるの。皆さんにもその藤のパワーをお裾分けしてみますね。実は、藤は花房が稲穂に似ることから稔りの象徴として女性を連想させるものとなり、藤花の薄紫色には媚薬としての効き目があると信じられていたの。最古の恋愛小説とも云うべき【源氏物語】を書いたのも紫式部なら、紫という色あいは女性の情愛を象徴するものなのかも知れないわね。

花々の競演に酔いしれたところで箭弓稲荷神社を後にしましたが、この東松山にはもう一つ、ぼたん園があるの。それが次に紹介する東松山ぼたん園で、何とその数5,800株余が植栽されて云うのですから訪ねてみないわけにはいかないわよね。普段は車が無ければ行けないようなところにあるのですが、ぼたんの開花期には東松山駅の西口から臨時のシャトルバスが運行されるの。運行間隔にしても20分おきの発車と至って便利よ。おまけに料金は片道たったの ¥100 ( ′10.05 現在 ) なの。

2.東松山ぼたん園 ひがしまつやまぼたんえん

大岡コミュニティーセンター バスを降りると広場があり、ぼたん園を訪ね来た人達のために、普段は集会所として利用されるのでしょうね、大岡コミュニティーセンターが無料の休憩所として解放されていたの。広場ではぼたんを始めとした花木の苗木や地元のとれたて野菜の直売所、おまつりにはつきものの露天なども出店していて、ぼたんの開花時期なら周囲にお店が無くても食事に困ることは無いわね。訪ねた時には地元のパン屋さんまでもが出張販売に来てた位だもの。(^^; その広場を抜けてぼたん園の入口へと向かいましたが、ぼたんの開花期のみ入園料 ¥500 ( ′10.05 現在 ) が必要なの。

東松山ぼたん園のパンフ この公園は市の花・ぼたんの普及活動の一環として平成2年(1990)03月に開園し、その後拡張工事を経て関東有数のぼたん園となりました。ぼたんは昔から花王とか花神等と呼ばれ、その豪華さと気品は他を圧するものがあります。特に淡桃色や藤色の花は、妖気さえ漂わせ、朝露を宿してほころび始めたぼたんの花は一層魅惑的です。原産は中国北西部で、古くから根を薬草として使っていましたが、隋(6世紀)の頃から園芸植物として栽培され始め、唐代(7・8世紀)には大流行しました。日本への渡来は奈良時代と云われ、最初は薬草としてお寺などに植えられていましたが、平安時代に観賞用として栽培されだし、江戸時代には品種も多くなり、一般に広まりました。例年4月下旬頃から色鮮かな花をつけ、現在306種約5,800株となっております。

因みに、頂いてきたパンフに依れば、ぼたん園を称してはいますが、ぼたんの他にもシャクヤクが1,300株程植えられているの。加えて開花時期は異なりますが、スイセンが約13,000株、ロウバイ114株などが植栽されているの。ちょっと変わったところでは十月桜と冬桜を合わせて70本程が植えられているの。なので、冬場の寒い時期でも何かしらの花を見ることが出来ると云うわけ。

東松山ぼたん園 このぼたん園の広さですが、何と約3haもあるそうなの。なので、駆け足で見て歩くにしても30分は掛かりそうね。因みに、ξ^_^ξののんびりとした足取りでは、花々を写真に収めながら歩き回ったこともあり、一時間程の所要時間でした。それにしても一口にぼたんと云っても数多くの品種があるのね。株脇には名札が添えられていましたが、余りにも多すぎてとても覚えきれるものではないわね。その前にξ^_^ξには個々の違いが良く分からない。(^^;

ぼたん ぼたんの画像を纏めてアップしておきましたので、興味のある方は左掲の画像をクリックしてみて下さいね。尚、ドサクサに紛れてシャクヤクなどを織り交ぜての紹介ですが御容赦下さいね。観覧を終えての感想ですが、箭弓稲荷神社のぼたん園では狭いところに密集して植栽されていたせいか、ボリューム感があって観る者を圧倒する艶やかさがありましたが、こちらのぼたん園では余裕ある植栽ゆえに全体として閑散とした印象なの。株の本数から云ったら箭弓稲荷神社の5倍近くあるので決して負けはしないハズなのですが。

この頁を御覧になって出掛けてみようかしら−と思われた方は、先ず最初にこちらのぼたん園を訪ねた後に箭弓稲荷神社に足を運ばれてみてはいかがかしら?お帰りの際にもその方が駅に近いし、バス時間を気にする必要も無いし。

3.東松山農林公園 ひがしまつやまのうりんこうえん

ぼたん園めぐりに出掛けた際に手にしたパンフには農林公園のポピーが紹介されていたの。その景観写真に誘われて日を改めて出掛けてみたの。なのでここからはぼたん園めぐりの番外編になりますが御容赦下さいね。

余り大きく取り上げられることもないみたいで、ちょっとマイナーな存在となっている農林公園のポピーですが、天の邪鬼のξ^_^ξが頑張って紹介してみますね。と云っても画像だけですが。思うに、マイナーな理由の一つが農林公園と云う名称ではないかしら。ξ^_^ξも訪ねる前まではその名から農業・林業に関係した屋外展示を行う施設だと思っていたの。そこでは土や緑に触れて大地の恵みや自然からの恩恵に感謝する云々の類かしら−と想像していたのですが、いざ訪ねて見れば園内は一面、ポピーの花盛りで。

マイナーな理由の二つ目がアプローチの不便さね。東松山市でも殆ど北の外れ (^^; に位置することから、車で移動出来る方ならまだしも、そうでなければバスへの乗車が不可欠なの。北の外れと云っても東松山駅からは20分程の乗車時間よ。道が空いていれば15分程度で着いてしまうわね、きっと。そのバスですが、ご利用になる場合には東松山駅東口2番乗場から 国際十王交通バス の熊谷駅行に御乗車下さいね。神光谷(しんこうやつ)バス停で下車して、そこからは徒歩で10分位よ。

先程紹介した東松山ぼたん園を更に上回る約4.5haもの敷地を持つ公園で、一面のポピーが風に揺れていたの。斜面を利用して造られ、高台には四阿も設けられているのでポピーの絨毯を一望出来るの。訪ねた時には親子連れや、気の合う女の子同士のグループの姿に加え、キャンバスに向かい絵筆を振るう方の姿もありました。園内には人影も少なく、写真を撮るにしても誰に気兼ねすることもないの。確かにマイナーな存在かも知れないけど、ξ^_^ξ一押しのお勧めスポットよ。

農林公園 5月中旬が見頃との情報を得て、ズバリ05/15(2010)を狙って訪ねてみましたが、初夏を思わせる陽気で絶好の行楽日和でした。なのでピーカン照りのポピーですが御容赦頂くとして、華麗なるポピーの競い咲きを御笑覧下さいね。御覧になりたい方は左掲の画像をクリックして下さいね。全部で60枚程アップしてありますので御堪能下さいね。

4.武蔵丘陵森林公園 むさしきゅうりょうしんりんこうえん

こちらも番外編になるの。実は中途半端に時間が余ってしまい、一駅先に足を伸ばして 武蔵丘陵森林公園 、略して森林公園を訪ねたの。国営とあるように敷地面積300ha余は超破格の広さで、東京ドームなら65個分、東京ディズニーランドなら6個分に相当すると云うのですが、余りにも広すぎて感覚が掴めないわね。

ツバメ その森林公園に行くには東武東上線の森林公園駅から出るバスへの乗車が便利なのですが、駅に着いて一番驚いたのがツバメの飛来なの。何も知らないξ^_^ξは改札を抜けるか抜けないかしない内に頭上をかすめ飛ぶ飛行物体 (^^; に思わず首をすくめたのですが、それがツバメだったの。危害を加えられないと知ってか、人が行き来する駅構内を縦横無尽に飛び回っているの。気が付けばあちらこちらで営巣中で、子育ての真っ最中だったの。親ツバメは餌を運ぶのに大忙しだったと云うわけ。ちょっと余談過ぎてしまいましたね。m(_ _)m

森林公園は森林浴を兼ねてお散歩をしただけで終えていますが、全てを見て歩くとなると一日ではとても足りないの。詳しいことは前掲の 武蔵丘陵森林公園 を御参照の上でお出掛け下さいね。ここではお散歩した時の写真を何枚かアップしておきますが、余り参考にはならないかも。だったら載せるな!かしら。(^^; 閉園時にはマスコット・キャラクターのしんくん、りんちゃんがお見送りしてくれましたよ。


実は、箭弓稲荷神社へは幾度か訪ねたのですが、やはり、ぼたん園に咲く花を見てから紹介すべきよね−と心に決めていたの。機会を得て一時は念願がかなったかに思えたのですが、いざ出掛けてみると、今度は東松山ぼたん園と農林公園のポピーがあることを知り、再び先送りになってしまったの。これも訪ねて初めて知ったことなのですが、ぼたんは東松山市の「市の花」にもなっているの。それだけに力が入っていると云うわけ。一年の内の限られた期間でしか目にすることが出来ませんが、「花の女王」とも評されるぼたんの競演を、みなさんも是非一度お出掛けの上で御堪能下さいね。その時のためにこの頁が少しでもお役に立てればうれしいな。それでは、あなたの旅も素敵でありますように‥‥‥‥

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