≡☆ 北陸秋物語U ☆≡
2002/11/09 - 2002/11/11

津軽半島は龍飛岬の歌謡碑の前で石川さゆりさんの津軽海峡冬景色を聞いてからというもの、次なる目的地は能登半島と決めていました。知る人ぞ知る旅情三部作。歳がバレバレ〜(笑)。今回は初日に観光タクシーを利用しましたのでレール&路線バス利用の旅という主旨からは外れてしまいますが御容赦下さいね。理由、感想等は頁末に附記させて頂きました。また、説明に重複もありますが 金沢能登紀行 と相互補完の形になりますので併せて御笑覧下さいね。

一日目:能登半島外浦めぐり

1.JR上野駅 うえのえき 23:03発 2002/11/08

北陸乗車券 上野駅には早めの到着。同じホームで廃止の運命にある寝台特急・はくつるが発車を待っていました。はくつる81号の時のような喧噪はありませんでしたが、マニアの方がレンズを向けているのにつられてξ^_^ξも記念写真。寝台特急・北陸も北陸新幹線が開通したら無くなってしまうのかしら。廃止の前に再び乗車する機会があるといいな。
特急券:¥2,830 B寝台券:¥6,300 乗車券:¥7,980(片道)

2.JR金沢駅 かなざわえき 6:28着 8:30発

寝台特急北陸 左掲は寝台特急「北陸」の牽引機関車ですが、暗闇をついてこだまするヒューッともピィーともつかない独特の音色を持つ警笛に、ξ^_^ξはたまらなく旅情を掻き立てられます。身近な場からSLが消えて久しいのですが、今となっては数少ない旅の音ではないかしら。時間の余裕が充分すぎるほどありましたのでのんびりと下車準備。降りたってみれば隣のホームに何やら疲弊した様子の列車が停車していました。それが急行「能登」でした。

急行能登 調べてみたら上野を一時間遅れで発車しているにも関わらず、金沢着は「北陸」に遅れること数分。急行列車の方が寝台特急よりも早いという摩訶不思議。寝台列車では無いので座席に座ったまま眠ることになるのでちょっと辛そうですが一度乗車してみたいものですね。風雪に鋼板が波打ち、所々に赤錆も目立つその姿に、様々な人間模様を乗せてきたのかと思うと単なる鉄の塊に思えず、何やら感情を持つ生き物のようにも感じられて‥‥‥

出発時間が8:30でしたので余りにも暇なもので、暇潰しに駅構内を探索しましたが、どこも当時放映中のNHK大河ドラマ「利家とまつ」一色でした。コーヒーでも飲もうかしらと喫茶店を探したのですが、どこも早すぎて開いていないの。その内「朝定食」の看板を見つけ、7:00から開店というのでシャッターの前で暫くボ〜っとしていました。で入ったのがGINREIでした。洋食屋さんですが和食の用意もあるの。勿論、洋食屋さんですからサンドイッチ等の軽食もありました。場所は 金沢百番街 内のおみやげ館・ぐるめ小路にありました。朝定食:¥700 コーヒー:¥350 ′02.11現在

観光タクシーの利用でしたので改札口で待つよう云われていたのですが、何々御一行様〜なんてプラカードを持った運転手の方が待っていたら恥ずかしいなあと思っていたのですが、実際に現れた方はプラカードも持たず、さりげない出で立ちで。残念ながら当日は生憎の空模様で、聞けば全国的に荒れ模様とのことで、まあ、こればかりはどうすることも出来ませんね。車は金沢駅を後に能登半島目指して走り出しましたが、千里浜辺りからはたまりかねたように霙が降ってきてしまいました。

3.千里浜なぎさドライブウェイ ちりはまなぎさどらいぶうぇい 9:07着 9:09発

千里浜 最初の観光名所の千里浜なぎさドライブウェイですが、荒波が砂浜に押し寄せて来ていたので砂浜の走行は諦めて舗装道を迂回。波が高かったせいもあるのでしょうが、以前訪れた時と較べて砂浜が痩せたような気がするのですがどうなのかしら。この一週間後に中国製のカラーテレビ約300台余りが周辺5Kmに亙たり漂着した写真が新聞に掲載されていましたが実際に見てみたかったなあ(笑)。コンテナ船の積荷が崩れ落ちたそうですが荒天のせいなのでしょうね。

4.千里浜レストハウス ちりはまれすとはうす 9:13着 9:20発

イカ団子 運転手さんが反対側から渚に出てみようとして下さったのですが、やはり波が押し寄せてきていて止むなく断念。

トイレ休憩を兼ね、車を降りて千里浜レストハウスへ。入口で美味しそうな香りに誘われて名物のいか団子を。美味しさにつられてお土産にも買い求めたのですが、やはりあの味は店先でしか味わえないような気がします。お立ち寄りの際には是非お試し下さいね。傍らには羽咋ロータリークラブ創立15周年記念碑が建てられていますが、その建立記には羽咋と云う地名は開発神の石衡別命(いわつきわけのみこと)が怪鳥を射殺(いころ)した伝説に由来する−と書かれていたのですが、これだけでは何のことだか分からないわよね。そこでちょっと調べてみました。

古くは垂仁天皇治世の頃、千里浜海岸から滝崎辺りには怪鳥が棲みつき領民を苦しめていたの。それを伝え聞いた天皇は、皇子の磐衝別命を使わしたところ、首尾よく怪鳥を射止めることが出来たの。この時、皇子の連れた犬がその怪鳥の羽を喰い千切ったことから〜羽を喰う〜から羽咋の地名となったと云われているの。この怪鳥とは一体どんな鳥だったのかしら。それとも当時の地方豪族を怪鳥と見立てた鬼退治ならぬ征伐記かしら?地名の由来については他にも諸説存在するようですが無責任な旅人としては古えのロマンを感ずるこの説に賛成ですね。

5.気多大社 けたたいしゃ 9:42着 10:03発

創建は何と崇神天皇の時代というのですから紀元前のことよね。祭神は大国主命で奈良平安期より能登国一ノ宮として崇められ、専ら縁結びの社として知られるようになったの。でもどうして大国主命が縁結びの神さまになったの?それは大国主命(おおくにぬしのみこと)が須勢理比売(すせりひめ)と結婚する際に素戔鳴尊(すさのおのみこと)から幾多の試練を課せられ、それを乗り越えて結ばれたことに因むの。素戔鳴尊と須勢理比売のことがもっと知りたいの−と云う方は 出雲紀行 を御笑覧下さいね。CMでした(笑)。

巫女さん 気多大社 は縁結びのお社として有名ですので若い方々の参詣が多いと思いきや、適齢期をとうに過ぎた( ξ^_^ξもその口ですが )一団がむすび所で説明を受けていました。写真は祈祷を終えて社殿から降りて来られた巫女さんですが、参詣客の求めに応じてデジカメを操る姿が堂に入っていたりします。お断りして何枚か写真を撮らせて頂きましたが、撮り終えると袂を翻しながら社務所に駆けて行かれました。拝観料:¥100(志納)

石川県内の神社仏閣等については 石川県HP を、観光情報なら ほっと石川旅ネット がお薦め。貴重な歴史遺産など数多く残る石川県ですが、それらを御案内するには余りにも知識不足ですので、これらのサイトを御参照下さいね。

6.妙成寺 みょうじょうじ 10:07着 10:42発

さざれ石

山門に向かう途中の左手には浄行堂が建ち、池の畔には御覧の「さざれ石」が置かれていたの。これがあの「君が代」に詠われるさざれ石なの?と思いきや、さざれ石に違いは無かったのですが、立看板を読むと元は岐阜県揖斐郡春日村にあったもの。石灰石が長い年月を経て二酸化炭素を含んだ雨水で溶解される際に稀に強い乳状液を生成し、周囲の小石を凝結して巨岩化するそうな。石灰質角礫岩という難しい学名が付けられ、岐阜県の天然記念物。でも、元々は国歌発祥の地と云われる春日村にあるものが何でまたここに?どうせなら由来なども併記して欲しいものですよね。拝観料:¥500 所要時間:35分

五重塔 釈迦牟尼仏 左側の写真は木造建築の粋を集めたと云う五重塔ですが、変わらぬ美しさがありました。北陸唯一の木造五重塔で、細部に亙り技巧が凝らされていますが、華美な装飾が無く質実剛健の趣ね。代わって右側は丈六堂に安置されていた釈迦牟尼仏立像よ。運転手さんの案内に依ると観音さまと呼ぶか、大仏さまと呼ぶかの違いはその大きさで、これより小さいものが観音さまで、これより大きいと大仏さま扱いになるそうな。丈六というと約5m。造立当時は纏う衣も眩しいほどの黄金色に輝いていたのでしょうが、能登の厳しい自然環境の中で大分おいたわしいお姿となってしまわれているの。(拝)

ホントは大きさじゃないのよ。観音さまと大仏さまは別物なの。因みに、釈迦牟尼は釈迦族の聖者の意で釈迦の梵名なの。早い話が釈迦牟尼仏はお釈迦さまのことね。運転手さんとしては大きさをアピールしたかったのね。

庭園 書院庭園から五重塔を仰ぎ見たところですが、まさに絵葉書を見ているような景観ね。歴代の前田家藩主が参詣時に御座所として利用したという書院ですが、木戸に閉ざされ、中を窺うことは出来ませんでした。藩主も臨んだであろう書院の縁台に腰掛けて五重塔を眺めて見ましたが、聞くところによると庭園越しに五重塔が一番良く見えるようにと建物が配置されたそうよ。

7.福浦灯台 ふくうらとうだい

福浦灯台

巌門に向かう途中で教えて頂いた福浦灯台。殆ど入り江と云ってもよい程の小さな港が見えましたがそれが福浦港で、奈良・平安期より海外交易に利用されたという古い港。小さ過ぎて分からないかも知れませんが、今から400年も昔に建てられたという、日本最古の木造灯台が建てられているの。最初は右端の灯台をそれかと思い撮したのですが−それじゃあ無くてもっと左手の方だよ−と教えて下さいました。教えて貰わなければ分からなかった(笑)。福浦港は昔より風待ちやシケ時の避難港として、江戸時代には北前船の寄港地として隆盛を極めたの。当時は多くの遊郭もあり、遊女が腰巻を掛けて願を賭けたと云う腰巻地蔵が近くにあるの。

今ではすっかり寂しくなってしもうたが、昔から福浦の湊は風を待つ船やら、海が時化た時に立ち寄る船やらが数多く出入りしておってのお、それはそれは賑やかな湊じゃった。何でも一時は船乗り達を遊ばせる遊郭が30軒以上もあったそうじゃが、遊女の一人が馴染み客の船乗りと懇ろになってしまってのお。船乗りといやあ風任せの旅じゃけん、一度船出してしもうたら次はいつまた逢えるかもわからんけえのお。

女はその船乗りが乗り込む船を少しでも長く湊に引き留める術はなかろうかと思案しとったんじゃが、近くにあったお地蔵さんに願うも一向に良策を思いつかん。お地蔵さんの力もここまでかと不浄であるという己の腰巻をそのお地蔵さんに打ち掛けてしまったのじゃ。すると忽ち雷雲沸き起こり強風吹き荒れる荒天となり、船は仲々出港することが出来なくなったそうじゃ。これを伝え聞いた他の遊女達もこれを真似るようになり、いつしかそのお地蔵さんは腰巻地蔵と呼ばれるようになったそうじゃ。

8.巌門 がんもん 11:10着 11:30発

巌門 能登金剛の名勝・巌門ですが、御覧のように波が荒く、遊覧船も欠航中でした。以前訪れた際にも乗船出来ずにいましたので、此度の旅では密かに期待してはいたのですが、残念ながら今回も乗船出来ずに終えてしまいました。写真では分からないかも知れませんが、束の間の晴れ間が覗いて巌門を覆うようにして空には虹が架かっています。高さ15m幅6m奥行60mもあるという洞門ですが、さすがは日本海、波頭が天井に届かんばかりの怒濤が押し寄せていました。遊覧船については 能登金剛遊覧船 を御参照下さいね。

9.機具岩 はたごいわ 11:39着 11:41発

機具岩

注連縄を張り渡した大小二つの岩からなる機具岩は、三重県の二見ケ浦の夫婦岩に倣い、能登二見と呼ばれているの。写真を撮っていたらいきなり雹が降って来て、慌てて車に逃げ込みましたので、全景を収める余裕も無く、合成写真と相成ってしまいました。この注連縄ですが、長さは80m、重さは何と2t近くあるとのこと。夫婦の契りはさぞかし頑丈よね。エッ、腑甲斐無い夫の許から逃げ出そうとする妻を必死に引き留める夫の姿に見える?それって誰のことかしらね(笑)

10.増穂浦海岸 ますほうらかいがん 11:48着 11:54発

奇岩景勝の断崖が続く外浦にあり、綺麗な砂浜が広がる増穂浦海岸。鎌倉の由比浜海岸、紀伊の和歌浦と並ぶ日本三名所の一つで、サクラ貝などの小貝が採れることで有名な浜。その昔、鎌倉の鶴岡八幡宮より八幡大明神がこの地に上陸され、美しい小貝はその時に打ち寄せられたものだそうよ。11月から3月にかけては〜貝寄せの風〜が吹き、きょうあたりは波に打ち上げられて採れるかも知れないので行ってみますか−との誘いを受けて砂浜に出てみました。傘をさしての散策でしたので左程時間を掛けて探した訳ではありませんが、生憎サクラ貝は見つかりませんでした。代わりに大きなクラゲが浜に打ち上げられていて。

近くにはギネス・ブックにも登録され、1,340人も座れると云う世界最長460mのベンチがあるの。カップルなら670組。西向きに設置されていますので、綺麗な砂浜を前に肩を寄せ合い、日本海に沈む夕陽を眺める−なんて素敵かも知れませんね。

11.ヤセの断崖 やせのだんがい 12:02着 12:16発

ヤセの断崖 左掲は「ヤセの断崖」に立ち、関野鼻方面を望んだ景観ですが、海に迫り出すようにして立つ断崖絶壁。足元の岩にも亀裂が入り、今にも崩れ落ちそうな予感。松本清張の小説・ゼロの焦点が映画化され、一躍有名になった景勝地ですが、砕け散る荒波を見ていると確かにここから転落したら‥‥‥。風も強くて曇天の空模様に加え、眼下には荒れ狂う日本海。こんな暗〜いうら寂しい場所から身投げなんて嫌よお〜とは能天気なξ^_^ξの感想よ。

思い出せあの日あの時親のこと
遊歩道引返す事も又人生
自殺する勇気があるなら生きてみろ!
死神を切れぬあなたに父母の声
道すがら、自殺を思い留まらせるための標語があちらこちらにありました。個人的には3番目が一番説得力があるわね。死ぬ気になれば何でも出来ると思うのですが。偉そうなことを云える身ではありませんが、生きていればこその人生よ。

ヤセの断崖の手前、歩いて5分程の所にはあの源義経が平泉へ逃れる際に舟を隠したと云われる「義経の舟隠」と呼ばれる景勝地もあるの。僅か2m程の幅の入り江ながら奥行きは100m近くあるそうよ。未体験で終えていますが、義経ファンならずとも時間が許せば見ておきたい景勝地ね。

12.関野鼻 せきのはな 12:24着 13:30発

関野鼻は能登金剛の北側玄関口にあたる景勝地。雨もあがり、薄日も射し込んで来たので岬の突端へ足を延ばしてみました。途中、裸弁財天の案内がありますが、足許が危険なため、立入禁止でした。案内板に依ると、こちらの弁天さまは琵琶湖は竹生島の弁天さまの分身をお祀りしているそうで、洞窟内に二体を安置すると云うの。

竹生島弁財天と云えば神奈川県の江ノ島弁財天、宮島の厳島弁財天と共に日本三大弁天の一つ。弁天さまは商売繁盛、豊穣、芸術、学問、病気平癒、財宝等を司る女神さま。以前は拝観料を払えば参詣出来たようで、受付の建物がありましたが荒廃に任せ放置されていました。ふと見れば、その傍らには男性のシンボルを模した御神体が。写真を披露するのは憚られるので止めておきますが(笑)、能登の神々は大らかな上に官能的でもあらせられるようで‥‥‥

兜岩 兜岩 岬には武者の兜に形が似ていることから命名されたという奇岩「かぶと岩」がありますが、姿を現したかと思うと次の瞬間には岩を隠してしまうほどの荒波なの。磯伝いには遊歩道が設けられていますが、身の危険を感じて散策は断念。けれども波穏やかな日には絶好の磯遊びの場になってくれそうね。

こちらの関野鼻パークハウスで昼食です。海側の椅子席は全面ガラスの採用で、食事しながら刻々と移り変わる空模様と、どす黒い日本海を眺めていました。晴れた青空の下で見る日本海も素敵でしょうが、この季節の変わりやすい空模様の下でみる日本海には厳しい能登の自然が感じられるの。いしる貝焼定食:¥1,500 コーヒー:¥450 ′02.11 現在

関野鼻から総持寺に向かう途中には「泣き砂の浜」として有名な琴ヶ浜海岸があり、「お小夜の悲恋伝説」が残されているの。残念ながら今回は素通りでしたので、能登を再訪する機会がありましたら琴ヶ浜海岸に立ってみた体験記と併せて御案内しますね。と云ってみたところでいつのことになるやら‥‥‥

13.総持寺祖院 そうじじそいん

山門 左掲は能登の観光ガイドブックには必ず出て来る山門ですが、正面上部に掲げられた扁額は畳一枚程の大きさですので、如何に大きな山門かがお分かりよね。嘗ては永平寺と並び称されたほどの大伽藍を有する大寺でしたが、明治の大火で焼失してしまい、その後、総本山を神奈川県の鶴見に移したことから祖院として区別しているの。現存する堂宇は再建されたものが多いのですが、禅寺の厳しさ故なのでしょうね、そうとは思えぬ重みの堂宇が建ち並ぶの。拝観料:¥400

伝燈院 伝燈院は総持寺開祖・榮山禅師の御霊を祀るという宗門最高崇敬の中心建物。小振りながらその景観に見とれてズカズカと入って撮影させて頂きましたが運転手さん曰く、長年お客さんを連れて来たけれど中に入ったのはあなたが初めてだと(笑)。禅師の威徳を畏れぬ無神経なξ^_^ξでした。

謎の石 帰りがけに見つけた参道脇の石。何か云われのあるものと推察されるのですが、説明板も無くて一切不詳なのす。道祖神のような趣でもあるのですが、風雪で表面が削られてしまったようで、元の表情も分からないの。どなたか御存知の方がいらっしゃいましたら御教示下さいね。

これは個人的な興味で恐縮ですが、総持寺にあると云う「みそすり地蔵」を見たいと密かに探したのですが見つかりませんでした。やはり昔話だけの世界かと思っていたのですが、帰宅してから総持寺のパンフレットを見ていたらチャンとあるじゃん。え〜ん、素直に運転手さんに聞いてみれば良かった。位置的には参道を挟んで経蔵の反対側にあったみたい。この目で見たかったなあ〜。ところで、みそすり地蔵ってなあに?という方に。

むか〜し、能登は総持寺という寺に了念という小僧がおってのお。禅宗の寺じゃったので年嵩のいかぬ小僧とて修行の身なれば、庭掃除と味噌摺りが幼い了念に与えられたお勤めじゃった。当時は総持寺にも沢山の修行僧がおってのお、味噌汁に使う味噌も大変な量じゃ。了念は朝早う起きては味噌蔵に入って味噌を摺っておったそうな。味噌を摺り終えると今度は庭掃除じゃ。庭といっても広〜い境内じゃ。幼い了念にとってみりゃあ、そりゃあ一日がかりじゃった。そんな了念の夢は人から伝え聞いた善光寺参りじゃった。境内の隅っこにお地蔵さんが祀られておったのじゃが、そのお地蔵さんを磨きながら了念は自分の夢を語っておったそうじゃ。

そんなある日のことじゃった。了念の姿がどこにも見えんようになってのお、代わりに味噌蔵では見たことも無い小僧が慣れぬ手つきで味噌を摺っておったそうじゃ。不思議に思うた坊さんが幾ら話しかけても味噌まみれになった顔を向けてニコニコ笑うだけじゃったそうな。そんな日がしばらく続いておったのじゃが、その内了念がひょっこりと寺に戻って来てのお。入れ替わるようにしてそれまで味噌摺りをしておった小僧がいなくなってしもうたそうじゃ。これ、了念や。大事な勤めの掃除も味噌摺りもせずにどこに行っておったのじゃ。お前のいない間味噌摺りをしていたあの小僧はお前の知り合いか?とお坊さんが訊ねてみたんじゃが、了念はただ笑っているだけじゃったそうな。

ところがあくる朝になってお地蔵さんが身体中味噌まみれになっておるのが見つかってのお。これは他ならぬ了念の仕業に違いないと、寺の者達が了念を捕まえて問いただしたんじゃが、幼い了念はいたたまれなくなってとうとう本当のことを話したんじゃと。そなたは幼いのに健気なことよのお、修行に良く励み、我が身をも毎日よう磨いてくれた。そんなに善光寺に行ってみたいと思っておるのなら、どうじゃ、わしが代わりに味噌摺りをしておくから行ってまいれ。お地蔵さんにそうおっしゃって頂いたので善光寺参りに行って参りました−と。それからというもの、このお地蔵さんはみそすり地蔵と呼ばれて親しまれたそうじゃ。とんとむか〜し昔のお話しじゃけんども。

14.白米の千枚田 しらよねのせんまいだ 14:50着 14:55発

千枚田 白米の千枚田ですが、白米と書いて「しらよね」と訓むの。どなたですか、はくまいと訓んでいらっしゃる方は(笑)。この景観は能登を訪れた際には是非見ておきたかった景観の一つでした。何かの折りにこの千枚田を背景にして近在の農家の方が地べたに茣蓙を敷き、手作りの品を売る写真を見て憧れていたのですが、生憎とその姿を拝見することは出来ませんでした。もうやめてしまったのかしら?

ところでこの千枚田ですが、実際に数えてみると1,004枚あるそうよ。普通、百とか千と云うと大きさや広さを漠然と表したもので、実際には満たないことが多いのですが、ここでは4枚も多いの。傍らの説明板には「蓑隠れの話」が紹介されていました。それによると、田植えを終えた百姓夫婦が念のために植え終えた田圃の数を数えてみたところ、千枚あるはずが何度数え直してみても2枚足りず、陽も暮れて諦めて帰ろうと蓑を取り上げてみればその下に2枚の田圃が隠れていたと云うの。

見ると満更誇張でも無さそうな小さな水田が波打ち際まで迫り出すようにして並んでいるの。潮風を浴びても平気なのかしらと思いきや、良質の米が穫れると聞きました。現在13戸程の農家の方が米作りをされているそうですが、機械など入らぬ狭さに全ては人手によるのでしょうね、御苦労の程が偲ばれるの。稲穂が頭を垂れて黄金色に輝く季節に再び訪れてみたいものですね。現在は農業を営む13戸ですが、半数近くは嘗ては塩士(しおじ)と呼ばれ、この地で製塩を営んでいたのだそうで、今ではその名残りを留めていた製塩跡も波打ち際に消えてしまいました。塩士については 金沢能登紀行 の喜兵衛どんの項で説明していますので御笑覧下さいね。

15.名舟港 なふねこう

波の華

曽々木海岸に向かう途中に名舟港という小さな漁港があり、波の華が大挙して押し寄せていました。強風に煽られて舞う姿に思わずシャッターを切りましたが、車に戻り、走り出した途端に一段と激しい乱舞が。んも〜、どうせならレンズを向けていた時に舞ってくれたらいいのに〜。けれども見たくとも仲々見られない光景に満足しました。路面にも舞い降りていて踏みつけて走るのですが、ちょっと勿体無いような気もしますね。オイオイ、じゃあ、どうすんの?この波の花の景観ですが、運転手さんが見つけて車を止めて下さいました。観光バスではそうも行かず、貴重な映像を収めることが出来ました。感謝、感謝。

16.窓岩 まどいわ 15:06着 15:11発

窓岩 左掲は曽々木海岸のシンボル的存在の窓岩よ。時折、薄日が射すのですが、全体的には相変わらず、どんよりと薄暗い日本海。写真は波が引いた一瞬なので左程感じられないかと思いますが、次の瞬間には辺り一面が打ち寄せる白波で真っ白になるの。お蔭でその時の写真では窓岩が露出アンダーで真っ黒。窓岩を背景に連れの二人を記念撮影。暗かったのでストロボを焚いたのですが白波で背景が白く埋まり、曇天の空模様の割りには自然な仕上がりで。

17.垂水の滝 たるみのたき 15:14着 15:16発

垂水の滝 こちらもξ^_^ξには想定外の見学場所でした。斜面より下る水が直接海に注ぎ込むという珍しい滝で、強風吹き荒れる時には竜が舞うが如く滝の水が逆流するの。きょうあたり見られるかも知れないと、車を止めて下さいました。車を降りた途端に写真のような逆流する滝を見ることが出来ました。近付いて真下から逆流の瞬間を捉えようとしたのですが、待つと一向に強風が吹かず(笑)。巌門から車で5分程の所にも、同じように強風が吹くと滝の水が吹き上げられて霧になることから「吹上げの滝」と呼ばれる滝があり、周囲の木や岩に霧が凍りついて氷の花が見られるとのこと。今回は未体験でしたが、垂水の滝と併せて吹上の滝も御覧になってみては?

18.奥能登塩田村 おくのとえんでんむら

塩田村 仁江海岸にある奥能登塩田村ですが、季節も冬に向かおうとしているこの時期では製塩作業の姿を見ることも無くひっそりとしていました。5月から9月にかけては昔ながらの揚げ浜式と呼ばれる塩作り体験教室も開かれているの。傍らには資料館が併設されていますが、こちらの方は通年営業ですので興味のある方は立ち寄られてみては。実際の作業風景を見られぬとあってはさしたる興味も湧かず、ξ^_^ξは車窓より見学して終えました。

この揚げ浜式と呼ばれる製塩作業ですが、二斗入というので36Lは入る荒塩桶と呼ばれる桶を二つ担いで海水を汲み上げるという重労働。72L ( =72Kg ) を担ぐと聞いただけで眩暈がしそうね。頂いたパンフに揚げ浜式の製塩行程が作業風景と共に詳説されていますが、いずれの行程も炎天下の作業に、それこそ体中から塩が吹き出しそうな重労働。貴重な文化遺産として後世に残して欲しいものとξ^_^ξのような無責任な旅人は思ってしまいますが、それを支えていくには余りにも過酷な作業。各地で後継者不足で廃れゆく文化遺産ですが、易きことばかりに走る我が身を思うとことばもありませんね。

下の写真は禄剛崎灯台に向かう途中で運転手さんが教えて下さった名所です。知る人ぞ知る−という感じで気が付かなければ通り過ぎてしまう程小さな説明板が道路脇に立てられていたの。この平時忠と時国家に纏わる話しは 金沢能登紀行 の頁に、ほんの少しですが説明してありますので、御笑覧下さいね。

19.卿の澗 ごうのま

卿の澗 からす川 曽々木海岸に上時国家と下時国家がありますが、この時国家は平時忠の子孫に当たるの。能登に配流された時忠が最初に上陸した場所がこの「卿の澗」で、今では波打ち際近くまで水田が耕作されていますが、澗とは山間を流れる小川と云うか、せせらぎを意味するもので、ここでは「からす川」のこと。そのからす川が気になる方は下記を御読み下さいね。

檀ノ浦の合戦で平家が源氏に滅ぼされた話しは有名だで聞いたこともあるじゃろう。平家には平時忠という偉いお方がおってのお、一時は平家に非ずんば人に非ずと豪語するほどのお人じゃった。けんども戦さに敗れてからは捕らわれの身となってのお、やがてこの能登に流されてきたんじゃ。そうして都から配流された時忠公が最初に舟寄せしたんがこの卿の澗じゃ。

な〜んにも無い所じゃったでのお、時忠公は東へ向かおうか、西に向かおうかと案じておった。ちょんどそこへ一羽のカラスが飛んで来て傍らの木に止まるとカア〜と一声鳴いたそうじゃ。それを聞いた時忠公はふと自分の刀に手をかけて閃いたのじゃ。〜吾が携えたるは名刀からす丸。よもやこの刀の魂がカラスを呼び寄せたもうたのじゃ。然らばカラスよ、吾が住むべき地へとあない致せ〜と。するとどうじゃ、カラスは時忠公のことばがわかったようにカア〜と鳴いて飛び立ったそうじゃ。時忠公と従者の者どもは道無き道を伝い、必死でカラスを追いかけたそうな。

やがてカラスは小さな川畔の立木に留まって待っておったそうじゃ。時忠公がやっとの思いで辿り着いてみると、側には小さな炭焼き小屋があってのお。天は此の地が吾が住み処たらんと思し召されるか−と得心した時忠公はそうしてそこへ住むことになったそうじゃ。その川じゃが案内してくれたカラスにちなんで時忠公がからす川と名付けたそうじゃ。曽々木に時国家があるんじゃが名前が変わってしもうたがその時忠公の子孫という話じゃ。

時忠が最初に住んだのは大谷だと云われているので、大谷川がからす川なのでしょうね。五男の時国が跡目を継いだ折、姓を時国と改めたのを機に現在地に移り住んでいるの。R249号線を大谷峠に向かう途中には、平時忠の墓も残されているの。

20.椿の展望台 つばきのてんぼうだい 15:43着 15:48発

椿の展望台 海べりを走っている時には灰色の海原だったのですが、この展望台から見ると青い海原に見える不思議。曇天にも関わらずこの景色。晴れた日には見事な景観を見せてくれるものと思います。運転手さんのお話しに依ると12月から4月頃にかけて群生するヤブツバキが真紅の花を咲かせて見事だそうよ。ここから狼煙まで「禄剛崎をめぐるみち」として遊歩道が整備されていますので、時間を見つけて奥能登の海岸美を堪能するのも良いかも知れませんね。

21.禄剛崎灯台 ろっこうざきとうだい 15:53着 16:12発

禄剛崎灯台 荒波 日本列島ここが中心

雨雲が近付いて来ているのでその内ザ〜ッと来るよ−と脅されながら撮った写真よ。以前、訪れた際に見た説明板には灯台はフランス人技師の設計と書かれていたのですが、新しくなった案内板ではイギリス人技師になっていました。近くには「日本列島ここが中心」の碑も建てられていたの。海上には黒々とした雨雲がこちらに向かって来ているようで、早く戻らないとずぶ濡れになっちゃうよ〜と運転手さんに云われて慌てて下山。さすがは地元の方だけあってこの時期の変わりやすい空模様を良く御存知で、車が走り出して間もなく容赦無い雨が‥‥‥

22.珠洲ビーチホテル すずびーちほてる 16:42着

珠洲ビーチホテル 一日御案内頂いた運転手さんともここでお別れです。新しく出来た「すずの湯」に入ってみたことが無いので浸かって帰ろうかと思っているのですが−と仰っていましたが、その後は再び150Km程走り、金沢まで帰るとのこと。さぞかし我儘な我が一行を案内してお疲れでしたでしょうね。ありがとうございました。湯に浸かって疲れを癒し、お気をつけてお帰り下さい。

宿泊客であれば入湯税¥150のみを払えば無料で入浴可能というので、運転手さんに見習ってすずの湯に行ってみようと思ったのですが、生憎と外はみぞれが降っていてメチャクチャ寒そうでしたので諦めました。仕方なくホテル内の大浴場へ向かいましたが皆さん、すずの湯へ行かれるようで貸し切り状態でした。外は生憎と暗闇の世界でしたが大きな浴槽を独り占め。

そして何よりも気に入ったのが檜泥炭石石鹸でした。湯上がりでもヒノキの香りが前身を纏い、ヒノキの成分には殺菌成分も含まれると聞いたことがあるけど、雑菌も死んで身体が清潔になったような気がするの。ホテルの売店でも売られていましたのでここでしか入手出来ない逸品かと思い、お土産にも買い求めて来たのですが、帰京後に改めて包装紙の裏を見てみたら、静岡県は熱海市の東京宝という会社が総発売元−と書いてあるの(笑)。どんな石鹸なの?と云う方は ひのき泥炭石.com を御覧下さいね。尚、ξ^_^ξは同社とは如何なる関係も御座いませんので念のため。

夕食 夕食はレストラン「カメリア」が会場になっていましたが、庭側が全面ガラスで篝火が焚かれていたりと情緒ある趣。食事も和食党には嬉しい会席風の和食。そして何よりのお気に入りがその味付け。折角の素材が活かしきれていない料理が目立つ昨今ですが、口にするどれもが美味でした。演出の利いた飾りつけも、使われている器も嫌味の無いもの。料理は目で楽しみ舌で味わうもの。地酒を所望したのは云う迄も無く(笑)。詳しい宿泊情報は 珠洲ビーチホテル を御参照下さいね。前掲のすずの湯の情報もこちらのページから。



で、お約束の観光タクシーの乗車体験の経緯などを‥‥‥

以前、能登半島を一周した際には恋路海岸と見附島は車窓から眺めて終えていましたので、恋路海岸と見附島をメインに据えたものの、やはり能登を旅する以上は最北端の禄剛崎にも立ち寄りたいし。ところが、調べて見ると、以前訪れた際には運行されていた定期観光バスも廃止。路線バスを使い移動することも試行錯誤してみたのですが、余りにも連絡が不便で。連れの一人は能登を旅したことが無いというので一通りの見処へは連れて行かなければいけないし。

免許証を持ってはいても単なる身分証明書(笑)。レンタカーを借りて−とも行かず。ならば−とこの際、初日の観光に観光タクシーを使うことに決めました。気になるお値段ですが、モデルコースでは無いのでチョット割高かも知れません。金沢→千里浜→気多大社→妙成寺→巌門→ヤセの断崖→関野鼻→総持寺→白米の千枚田→曽々木海岸→禄剛崎灯台→珠洲といった8時間コースで¥44,800でした。3人旅でしたので一人当たり約¥15,000の計算ね。

観光タクシーへの乗車は初めてだったもので、乗り合わせた運転手の方が観光ガイドよろしく喋りまくられても−と些か気掛かりでした。旅先で観光タクシーの運転手の方が盛んに乗客に話しかけている光景を目にしていましたので。ξ^_^ξは何代目の某がどうのこうの−と云われても、得てしてその場限りで終わってしまうのが常で。だとしたらその分建物の美しさや自然の見事さを愛でていた方が。自分の見たものと食べたものは自分のものだもの。

さて、実際に案内して頂いた運転手さんは朴訥とした方で、決して多弁ではありませんでしたが、要所要所ではチャンとした説明もありましたし、想定外の場所にも多々立ち寄って下さいました。オマケに、全体的な時間の制限はあるものの、訪れた場所では見学時間の制限も無く、能登の名所めぐりを充分に堪能することが出来ました。能登はやさしや土までも‥‥‥


お世話になった観光タクシーは 山藤タクシー金沢 を御参照下さいね。
同サイトは運転手さん自らの手になるもので、旅の途中でもデジカメで写真を撮していらっしゃいました。

残念ながらHPの方は閉鎖されてしまったみたいだけど
旅人を乗せてきょうも奥能登辺りを走っているのではないかしら。

二日目:恋路海岸と見附島

二日目のきょうは念願の恋路海岸と見附島を訪ねます。
もう一つの楽しみがのと鉄道の終着駅、蛸島駅のホームに立つことと、のと恋路号への乗車だったのですが。

23.のと鉄道・蛸島駅 たこじまえき 10:08発

蛸島駅 ホテルからは送迎バスで送って頂きました。チェック・アウトを済ませて送迎バスはありますか?と訊ねてみたところ、わざわざξ^_^ξ達一行のために送迎バスを出して下さいました。いざ、着いてみると駅前には御覧のようにタクシーはおろか人影も無くて。駅舎の待合室には旅ノートがポツンと置かれ、頁には訪れた方々の思いがしたためられていたの。ξ^_^ξもと思ってはみたのですが、長くなりそう(笑)なので止めておきました。

蛸島駅 のと鉄道 のと鉄道 のと鉄道

左端はホームからの景観ですが、線路は確かにここで終わっているの。これが一人旅でしたら限りない絶望感に浸れてしまうような、そんなうら寂しい景観ね。そんな情景を半ば期待して、蛸島駅からのと鉄道に乗車しようと思っていたのですが、終着駅の景観というか、終着駅ということばから来るイメージに憧れてしまうなんて、ちょっと疲れて来ているのかしら(笑)。

厳しい経営環境に喘いでいると聞いてはいたのですが、やって来た下り列車には乗客も無く。運行本数が多い訳ではありませんので、多少の乗降客はあるかと思ってはいたのですが。蛸島駅では駅員はおろか、切符の自販機も無く、乗務員の方に一日乗車券を買い求めたいのですが−と訊ねてみたところ、車内では販売していなくて珠洲駅まで赴かないと入手出来ないとのこと。

思案していたら乗務員の方が業務電話でどこかへ連絡して下さっている様子。そのまま待っていると珠洲駅の到着ホームで受け取れるよう手配して下さった由。このまま、この列車に乗るように仰って下さいました。なので蛸島駅から珠洲駅までは無賃乗車。能天気な旅人に、優しい能登の方々がここにもいらっしゃいました。バラしちゃったらマズかったかしら(笑)。

24.のと鉄道・珠洲駅 すずえき 10:16着&発

のんびりきっぷ 乗車した列車は珠洲駅が終点で、乗車時間は僅か8分。珠洲駅のホームでは駅員の方が待っていて下さって。料金を払い、最敬礼をして隣りで発車を待つ穴水行に乗車しました。聞けばこの一日乗車券は珠洲・鵜飼・穴水駅など有人の限られた駅でしか発売していないそうで、当時はそれを知らずにどの駅でも買い求めることが出来ると思っていました。通信販売もされていますのでお出掛け前に のと鉄道 を御覧になり、事前購入するのも良いかも知れませんね。一日乗車券:¥1,700 土日&祝日のみ利用可

25.のと鉄道・恋路駅 こいじえき 10:31着

恋路駅 恋路駅 恋路駅

恋路駅行の切符が脚光を浴びたのはあれはいつのことだったかしら?。無人駅と聞いてはいたのですが、小さな待合室があるだけで、ホームには周囲の情景を蹴散らすほどの大きな駅標が。ホーム端から続く小さな坂道を下りますが、登り口には通学用らしき自転車が一台ポツンと置かれていて。盗難の心配は無いのかしら?と世知辛い旅人は思いましたが、ここではそんな下衆な心配は無用のようですね。傍らを流れるせせらぎも湧水のように透き通る清らかな流れ。季節柄、群生する千両が赤い実を稔らせていました。

26.恋路海岸 こいじかいがん 10:35着

入場券 恋路駅発行とありますが、実際には無人駅ですので、これは珠洲駅で買い求めたものです。右手に弁天島、奥には見附島を望む美しい景観が広がる恋路海岸。岸辺には肩を寄せ合いながら語らう男女の銅像が建てられていますが、ここには哀しい恋物語が伝えられているの。

むか〜し昔のお話しじゃが、この辺りの村に鍋乃という美しい娘がおってのお。気立ても良くて働き者じゃったでのう、その日も岩場で海藻を採っておったんじゃが、波にさらわれて海に落ちてしまったんじゃ。波の荒い日じゃったでのお、必死で岩場に泳ぎ着こうとしたんじゃが、岸から離されていくばかりでのお。鍋乃は大声で「誰かあ〜」と叫んで助けを求めたんじゃ。その叫び声を聞きつけて駆けつけたんがちょんど近くを通り掛かった隣村の助三郎という若者じゃった。

助三郎は直ぐさま海に飛び込んで今にも溺ぼれ死にそうな鍋乃を救い揚げたのじゃ。その縁でやがて二人は好き合うようになってのお、毎晩のようにこの浜辺で逢うようになったんじゃ。けんども助三郎の通って来る道は磯伝いの険しい道でのお、月明かりの無い日などは足許はおろか目指す方角もわからん。そんな晩には鍋乃は篝火を焚いて助三郎の夜道の目印にしておったそうじゃ。

そんな二人じゃったが鍋乃に横恋慕したやつがおってのお。鍋乃と同じ村に住む源次という男でのお、前々から鍋乃に気を寄せておったのじゃが、助三郎と仲睦まじくあるを忌々しく思っておったのじゃ。ある日のことじゃ、源次は磯で篝火を焚いて助三郎を待つ鍋乃を捕まえて縛りあげてしまったのじゃ。そうして目印の篝火を周囲が深くて険しい岩場に移してしまったんじゃ。そうとは知らぬ助三郎は心躍らせながら篝火を頼りに磯伝いの険しい道を歩いておったのじゃが、とうとう足を踏み外してしまってのお、深い海に転がり堕ちて溺ぼれ死んでしまったんじゃ。

源次は助三郎が溺ぼれ死ぬのを見届けると縛りあげておった鍋乃のもとへ駆け寄って「お前が好きな助三郎は溺ぼれ死におったわい。どうじゃ、今度はわしとつきおうてはくれぬか」と云うたそうな。ところが源次が云うや否や鍋乃は涙を浮かべて突然走り出したかと思うと、そのまま海に身を投げてしまったそうじゃ。それからというもの、助三郎と鍋乃の二人を偲んで誰云うとなく、この浜を恋路が浜と呼ぶようになったそうじゃ。

幸せの鐘 この日は生憎の曇り空でしたが、晴れた日には朱塗りの鳥居に弁天島の樹々の緑が映えて、波静かな美しい景観を目にすることが出来そうね。鍋乃と助三郎の二人に思いを馳せて、あなたも「幸せの鐘」で永遠の愛を誓ってみては?

道無き道 恋路海岸の散策を終えて見附島まで歩いてみました。ネットで見つけた−ここから見附島までは歩いていけるようです−のことばを信じて歩いたのですが、写真のように堤防伝いを歩くの。これが道があって無いようなもので、途中には川が流れていたり、どぶ川には利便のために近在の方が設置された、ξ^_^ξのような重量級が渡ると折れてしまいそうな安直な架け橋。途中、4回以上も迂回させられ、その度に民家の庭先を失礼して歩くはめになり、飼い犬にけたたましく吼えられたり−と散々な目に合いました。

見附島側は海岸侵食対策工事により整備されていましたが、一方の恋路海岸側は道無き道を行く感じでした。行程約一時間半の貴重な体験でしたが、確かに−歩けます−とは書かれてはいませんね。歩けなかった訳ではありませんが、遊歩道のようなものを勝手に想像していたξ^_^ξが愚かでした。奇岩景勝がある訳でもありませんので、恋路海岸と見附島間の移動には素直にのと鉄道に乗車しましょうね。

27.見附島 みつけじま 11:53着 12:22発

見附島

歩き疲れた頃にようやく辿り着いた見附島。恋路海岸と共にこの景観が見たくて今回は能登内浦めぐりに一日を割いたの。眼前に立ちはだかる姿はやはり感動ものですね。恋路海岸から歩いて来た際に見続けた見附島ですが、横から見ると普通の島にしか見えないの。やはり岸辺からの姿を見ないことには雰囲気が出ないわね。別名・軍艦島とも呼ばれていますが、ξ^_^ξにはカツラを冠る「で〜だらぼっち」ならぬ大男の顔にしか見えませんでした。干潮時には島の直ぐ傍まで歩いて行けるというのですが、訪れた時には潮の加減が中途半端で、無理して足を滑らせてこの薄ら寒い中で水浴びしても−と諦めました。島の頂上には社が建てられているそうですが、奉祭の日には断崖絶壁をどうやって登るのかしら。

見附島

岸辺には「えんむすビーチ」の鐘のモニュメントがあり、絶好の記念撮影のポイントになっているの。そのモニュメントに刻まれた一文に依ると、このえんむすビーチ、ここ見附島から恋路までの海岸を指すようで、ξ^_^ξ達一行はえんむすビーチの端から端までを歩いたことになるのですが、ロマンチックな呼称の割りにはちょっとお粗末よね。もう少し整備して欲しいな−と思うわ。少なくとも途中に流れる川を迂回せずに済むように。余談ですが、見附島を目の前にして国民宿舎の 能登路荘 が建つの。同館に宿泊してトコトン見附島を愛でる−ということも出来ますね。

28.のと鉄道・鵜飼駅 うかいえき 12:46着 12:52発

駅に向かう途中、鵜飼川を渡る港橋近くで部活帰りらしき女子中学生に出会いましたが「こんにちは〜」の挨拶を受けました。どこからみても旅人にしか見えなかったはずのξ^_^ξ達に声を掛けてくれました。駅の近くに宝立中学校がありましたが、そちらの在校生でしょうか?彼女の通り過ぎた後には爽やかな風が吹いていたような気がします。

駅に辿り着いてみれば日曜日にも関わらず、部活の帰りなのか学生達が多くて、下りも上りの列車も盛況で。多くのローカル線が学生達でもっているという話を聞いたことがありますが、のと鉄道も御多分に洩れず−といったところでしょうか。鵜飼駅からは次の目的地・九十九湾に向かうべく七尾行きの上り列車に乗車。

29.のと鉄道・九十九湾小木駅 つくもわんおぎえき 13:11着 13:13発

小木駅 九十九湾小木駅の駅舎は時計台を模した瀟洒な造りでメルヘンチックな趣き。駅舎は内浦町の観光案内物産センターも兼ねており、待合室には内浦町の物産や観光パンフレットなどが置かれているの。木の温もりと共に近在の方の手に依るものなのでしょうね、手作りのお座布が温い雰囲気を醸していました。

30a.遊覧船乗場 ゆうらんせんのりば 13:13着 13:15発

乗船券

乗船場に辿り着いてみると人影もなく閑散とした様子で、思わず休航中かと思ってしまいました。ここまで来て乗船出来ないとはと思いつつ、待合室らしき扉に向かうと運航スケジュールの張紙が。休業中とは書かれていなかったのでドアを開けて入室すると、いらっしゃ〜いの掛け声。ちゃんと運航してるじゃないの、良かったあ〜と一安心の瞬間でした。オマケに他に乗船客もいないのにわざわざ出港して下さって。HPがあれば良いのですが 04.10 現在未開設のようですので下記を御参照下さいね。乗船券:¥1,500 所要時間:約40分
船の旅情報 −株式会社 日刊海事通信社

海底透視船 乗船したのは白い船体に可愛らしいキャラクーの描かれたティアラですが、船底が御覧のようなガラス張りで魚が泳ぐ姿を楽しめる造りになっているの。最初は甲板から周囲の景観を眺めていたのですが、スピードを緩めたところで「は〜い、船底に行ってえ〜魚が見えるよお〜」と船長の掛け声。前日の雨のせいで水が濁り残念でしたが、それでも時折名も知らぬ魚が横切ったりすると、いたあ〜!どこよお〜?そこお、そこだってばあ〜。

九十九湾 九十九湾 九十九湾 九十九湾

残念ながら曇天下の船上ということで手ブレが多く、観賞に耐える写真が手許に少なくて。晴れていたらもっと素敵な景観を目にすることが出来ると思うわ。湾外に出ると若干のうねりはありますが、湾内は至って平穏な船旅よ。九十九湾のシンボル的な存在の蓬莱島の近くでは船を留めて船長が撒き餌をして下さいましたが、どこに潜んでいたかと思うほど魚が寄って来るの。餌付けを知っているようで真鯛などの大型魚もやって来て、深くを魚影が盛んに横切るのですが、さすがに海面近くまでは上がって来てはくれませんね。今思うと船底から覗いていれば良かったかも知れないわね。

30b.遊覧船乗場 ゆうらんせんのりば 14:08着&発

乗船の余韻を後に小木駅に向かいましたが、何分の発車だったかしら?と手許のスケジュール表を見たらあと2分しか無くて。ヤバイ、乗り遅れるう〜。走るよお〜!!と連れの二人をけしかけて。列車の警笛が聞こえて来たかと思ったら、いきなり山陰から黄色の車体が現れて。いやあ〜久し振りに走ったなんの。先に行って電車止めててよお〜(笑)のキツ〜イひとことに、勢いに任せてそのままホームへ駆け登り、連れの二人が走り込んで来るのを待ちました。今思えば改札があったような気がするのですが。

31.のと鉄道・九十九湾小木駅 つくもわんおぎえき 14:10着&発

時間があれば何処かで遅い昼食を−と考えていた九十九湾でしたが、そんな余裕は全く無くて。というのも、のと鉄道に乗車する以上は急行・のと恋路号に是非乗車してみたいし、どうせ乗車するなら始発駅の珠洲駅から乗車を−と勝手に決めていました。そんな訳でダイヤの接続からこの列車にどうしても乗車する必要があり。ところがこの後とんでも無い顛末を迎えることになろうとは当時のξ^_^ξは知る由も無く。写真は一日乗車券を購入した際に入れて下さったチケット入からのものよ。

のと恋路号

で、乗車した車両は何か今までの車両とどこか違うの。空席を見つけようと後の車両に移ってみると一角が海側を向いたボックス・シートになっていて。能登路に似合わぬ(失礼)、渋谷・原宿辺りから抜け出して来たような装いの女性がコロンの香りを辺り一面に振り撒きながら端の方に座っていらっしゃいました。お邪魔にならぬよう反対側に着座させて頂きましたが、迫り出した山を削り造ったような、周囲には何も無い寂しい駅で下車されていかれましたが、そのギャップが何とも形容し難く。スミマセン、旅とはあまり関係が無かったわね。

32.のと鉄道・珠洲駅 すずえき 14:42着 16:20発

入場券 左掲は珠洲駅で買い求めた記念入場券ですが、見附島なら鵜飼駅のイメージかな−と思うのですが、見附島も珠洲市ということで大目に見ましょうね。珠洲駅からは15:07発の急行・のと恋路号に乗車予定でした。ホームでは駅員の方が植栽の手入れをされていましたが、そのうち向こうから声を掛けて来られて‥‥‥

お客さん、当分来ないけど何時の列車に乗る積もりかねえ?
のと恋路号に乗ろうと思ってるんですけど‥‥‥
ありゃあ、恋路号は無くなってしまったよお〜
エ〜〜ッ、うっそおお〜。

聞けば 2002/10/21 までは運行していたそうで、11月中は「のと恋路号」の車両を使い、普通列車として走らせるけど、その後はどうなるか分からない−と仰っていました。ξ^_^ξの目論見は見事に当てが外れた訳で、乗車することも無く廃止されていたとは。でも既にお気付きのように、九十九湾小木駅から乗車したボックスシート付の車両こそが「のと恋路号」の車両だったのですね。それに乗車出来たのがせめてもの救いですね。

駅員の方が仰るには「のと恋路号」が無くなった今は16:20まで待たないと次の上り列車は無いとのこと。今宵の宿泊は和倉温泉でしたので何が何でも和倉温泉まで行かねばならず。時計を見るとあと一時間半は悠に時間があり、ホームに佇んでいても仕方ないと改札を出て暇潰し出来るようなところを探してみることにしました。ですが、駅前に降りたってみたもののそれらしき建物も見当たらず、タクシー乗場では運転手さんが暇そうに新聞を読みながら客待ちをしていました。そっか!タクシーって手があるじゃん!。ですが、列車でも結構時間が掛かるので、どの位の料金になるのか大いに不安を感じ、恐る恐るタクシーに近付いて訊ねてみました。和倉温泉?ここからだったら¥25,000位は掛かるよ。それを聞き、即、やめました。(笑)

タクシーにも見放され、歩いてみたら何かあるかも知れないと、駅前の道を渡ろうとした時にふと目に留まったのが「Coffee ぐらん・ま CHIYO」でした。店内は可愛らしい装飾で、ママの手作りの品々がそこかしこに飾られていたの。お化粧室に至っては殆どメルヘンの世界。座ったテーブルからはガラス越しに駅前に大きく掲げられた−お母さん、ぼくやっぱり汽車で行く−の標語が泣かせてくれました。店内には落書きノートが置かれていて、暇なものでつい悪文をしたためてしまいました。この頁を御覧の皆様であればξ^_^ξが書いたものだと直ぐにお分かりになるかと思います。読まれた暁にはバカなヤツ−とお笑い下さいね。今ここでお腹いっぱいにしたら夕食時に困るなあと思いつつも、空腹の誘惑には打ち勝てず。ピザ:¥760 サラダ:¥390 コーヒー:¥340

珠洲駅にお越しの節はどうぞ御立ち寄り下さいね。
看板犬のアールちゃん、元気にしてるかな?

乗車券 時間も近付き、駅に戻りましたが、記念に入場券を三種類購入しました。二つは既に紹介済みですが、残る一枚が左の松波駅から恋路駅までの記念乗車券。駅員の方がチケット入の封筒に入れて下さったのですが、封筒には乗車しない内に廃止されてしまった急行・能登こいじ号の写真が。車両には体験乗車出来ましたがやはり看板を掲げて走るこいじ号に乗車してみたかったですね。

乗車した時間も遅く、曇天の空模様でしたので大分暗く感じ、辺りにはいつの間にか記念乗車券にあるような暗闇が広がっていて。本当なら車窓からは能登の海をバックに、夕景色を楽しみながら和倉温泉に向かう筈だったのですが‥‥‥

33.のと鉄道・和倉温泉駅 わくらおんせんえき 18:25着

和倉温泉は一大温泉地と聞いていましたので、駅の周辺には多少の賑やかさはあるのかなと思っていたのですが、こじんまりとした駅舎で、観光客もとうに宿へ入ってしまったようで、客待ちするタクシーの数が異様に多かったことだけが記憶に残っています。時間も遅かったので、そのまま素直に今宵の宿に向かいました。タクシー料金:¥720

34.ホテル海望 かいぼう 18:28着

ホテル海望 当日は一切が闇の中で、周囲の景観など見えずにいたのですが、朝起きてみると眼前には七尾湾が広がり、何も遮るものが無いので180度のオーシャンビュー。目を落とすと間近で何やら漁をしている船。暫く眺めてはいたのですが、何を採っているのか結局分かりませんでした。ナマコ好きな連れが冗談半分にナマコじゃないの?と云ってましたが、こんな所で採れるのかしら?御存知の方、いらっしゃいます?

宿への到着が遅れましたので食事時間が遅くなっても申し訳ないと思い、食事前の入浴も駆け足。浴槽からは漆黒の闇が広がるばかりで、パンフにあるような風情を楽しむ余裕も無くて。そんな訳でのんびりとした宿泊が出来ず、おまけに和倉温泉を見て歩いた訳でもありませんので感想は憚られます。同館の詳しい宿泊情報は ホテル海望 を。その他の宿泊施設や観光情報は観光協会の 和倉づくし を御参照下さいね。

三日目:那谷寺と兼六園

最終日のきょうは旅の締め括りに美しい紅葉で知られる那谷寺を訪ねてみました。

35.のと鉄道・和倉温泉駅 わくらおんせんえき 9:51発

サンダーバード 和倉温泉駅からは御覧の「サンダーバード20号」に乗車して小松駅に向かいました。聞くところによると在来線初の160Km走行を実現したそうで、確かに速いような気がするのですが、振動も少なく静かで想像していた程の体感スピードは得られず、慣れてしまうと当たり前になってしまうわね。特急券:¥1,460 乗車券:¥1,890

36.JR小松駅 こまつえき 11:10着 11:40発

改札を出て、手荷物を預けようとコインロッカーを探したのですが、悲しいことに皆んな塞がっていて。駅員に訊ねてみても一ヶ所にしか無いとのことで。荷物を抱えて観光というのも辛いのでどうしようかと思案していたのですが、コンビニで宅配便を扱っていることを思いだし、先ずはそのコンビニ探しをしました。今思うと灯台下暗しだったようで、直ぐ近くにローソンがありました。思えば便利な時代になったものですよね。ここからはバスが出てはいるのですが、生憎と本数が少なく仕方無くタクシーを利用しました。
タクシー:¥9,190 往復&拝観待時間含

37.那谷寺 なたでら 11:55着 12:50発

車両番号

さすがはタクシーですね、バスなら30分は掛かるところを半分の時間で着いてしまいました。降車時にこの辺りでタクシーは拾えますか?と訊ねてみると−あんまり走っていないので仲々拾えないかも知れないですねえ、何でしたらここで待ってましょうか?−と空かさず誘惑の手を差し延べてきて。帰りの列車の時間も決めてありましたので乗り遅れても困るし乗った序でと、この際帰りもお願いすることにしました。無愛想な運転手の方でしたら先ず断ったでしょうが、車中では退屈しない程度に地元の話も聞けましたし、都心を走るタクシーの運転手の方と違い、何処か朴訥としているところもあり、つい旅人の財布も緩んでしまいました。そうして渡されたのが御覧の車両番号を記載した紙片。気が付けば駐車場には同じ会社のタクシーが何台か停車していました。帰りは道が混んでいるようなので来た時よりは時間が掛かるかも知れませんが、折角ここまで来て頂いたのでゆっくり参拝なさって下さい。帰りは裏道を通って帰りますから一時頃までに戻れば大丈夫でしょう−と仰って下さいました。

那谷寺 那谷寺 那谷寺 那谷寺
左の写真は那谷寺の象徴的な景観ね。
右はこれまた有名な奇岩遊仙境

右端はξ^_^ξの個人的な趣味。護美小僧と名が付けられていましたが、自らのゴミは自らの手で云々−の標語が掲げられ、木陰にひっそりと佇んでいました。那谷寺の詳細は 金沢能登紀行 を御笑覧下さいね。入山料:¥500 約1H所要

38.JR小松駅 こまつえき 13:04着 13:24発

帰りの道は運転手さんが空いている道を選んで走って下さったようで余裕の小松駅到着でした。乗車した北陸本線ですが意外に運行本数が少なくて、一本乗り遅れると次の列車が来るまで一時間近くも待たされてしまいます。タクシー料金は待ち時間も含めて往復¥9,190はちょっと高く感じてしまいますが、バスは極めて不便なので仕方の無いことかと。ここからは帰京するには早過ぎてその前にちょっと散策をということで金沢に戻ってみました。

39.JR金沢駅 かなざわえき 13:54着 14:02発

一日乗車券 金沢市内の見処を廻る周遊バスの城下町金沢周遊号に乗車してみました。金沢駅東口0番乗場から15分間隔で運行しています。バス停前に案内所がありましたのでそちらで一日フリー乗車券を購入しましたが、窓口の方も丁寧な応対をして下さいました。運行経路などの詳しい情報は 北陸鉄道 を御参照下さいね。一日フリー乗車券:¥500 一回の乗車運賃:¥200(一律)

ボンネットバス 左掲は兼六園下で降車した際に写したものですが、このボンネットバス、見かけによらず力持ちで。運転手さんが女性の方でしたので優しい運転をされるのかなと思いきや、走行時にはしっかり掴まっていないと大変。もっとも車の交通量が多い市内なので、機敏な動きをしないと流れに乗れなくなってしまうからかもしれませんね。

40.兼六園下バス停 けんろくえんした

バスを降りて兼六園に向かいましたが、昼食もとらずに歩き廻っていました。ここを過ぎてはお昼御飯にありつけそうもなく、兼六園入口の茶屋「見城亭」で遅い昼食を。1Fはお土産屋として賑わい、2Fが食事処になっているの。時間も遅く、広い店内を貸し切り状態。広く採られたガラス窓からは金沢城の石川門の眺望が素敵でした。お店の方も仰っていましたが、季節毎に趣が異なり見飽きることが無いとのことでした。因みに、加賀料理を堪能したいの!−と云うリッチなあなたは 兼見御亭 を御覧下さいね。同サイトには兼六園の園内ガイドもありますよ。茶屋弁当:¥1,500

41.兼六園 けんろくえん

徽軫灯籠 雪吊り 霞ケ池 霞ケ池

左端は兼六園の有名な徽軫灯籠ですが、灯籠の脚が琴の糸を支える琴柱(ことじ)に似ることから呼ばれているの。じゃあ、何で琴柱灯籠と書かないの?徽軫ってなあに?ということで、辞書を紐解いてみました。徽は「弾く・奏でる・かきならす」とあり、軫は「琴の弦を締めるもの」とあるの。徽軫と琴柱は同じものを指すことばなんですね。どちらにしても容易には読めませんよね。兼六園の名の由来などは 金沢能登紀行 を御笑覧下さいね。入園料:¥300

団子 園内を散策していると「出世茶屋」がありましたのでこちらでちょっと休憩タイム。近所のおばちゃんよろしく切り盛りされているようでしたが、お金を出すのにまごついていると早く寄越しなさいよ−とばかりにずっと手を差し出しているの。古都金沢のイメージが脆くも崩れ落ちる瞬間でした(笑)。和傘を広げた縁台に緋い毛氈を敷き、お店の方も和服姿で応対してくれたら絵になるんだけど−とは身勝手な旅人の我儘ですね。名物・兼六だんご ¥400

42.金沢城・石川門 かなざわじょう・いしかわもん

石川門 金沢城跡は公園として整備され、訪時には加賀百万石博が開かれていましたが、辿り着いたのが閉園時間の4時近く。係員の方に博覧会会場へは入園出来ませんが会場以外の園内ならOKですよ−と告げられて入園してみました。普通、城跡には天守閣が残されていることが多いのですが、ここ、金沢城では築城時の天守閣もその後の災禍で焼失、御上の威光を恐れた加賀藩は天守閣を再興しなかったの。入園料:園内自由

広い園内には芝生が養生され、係りの方が数人で掃除をされていましたが、枯葉の舞い散るこの時期の掃除は大変のようですね。ここではカラスが異様に多く、数十羽が群れ留まる木があり、傍を通るのが怖い位でした。枝を揺らしながらガアガアと鳴き喚く様は殆どヒッチコックの世界ね。夕暮れを迎えて街に散っていた烏が大挙して戻って来たのかしら。夕暮れ時の園内散策は気を付けた方が良さそうよ。

43.尾山神社 おやまじんじゃ

神門 陽も翳りはじめましたので急ぎ足で尾山神社に。同社は加賀藩の藩祖・前田利家を祀る卯辰神社が明治6年(1873)にこの地に移されて改称されたものなの。有名な神門は明治8年(1875)に建てられたものですが、嘗ては灯台の役目も兼ねていたの。今となっては近代的なビルが建ち並び、海を望むことは出来ませんが、当時の海側から見る、ステンドガラス越しの灯りはさぞカラフルで綺麗だったでしょうね。拝観料:境内自由

金鯰尾兜 訪時には神門の修復工事がされていましたので、今ではお化粧直しをした神門が見られますね。境内には利家公の銅像やお松の方の像があり、傍らには何やら云われのあるらん利家公金鯰尾兜のモニュメント。金ピカの兜に下衆なξ^_^ξは純金製かしら?と勘ぐってみたり。

44.南町バス停 みなみちょう 16:47発

陽も暮れて金沢散策も尾山神社で終了です。訪ねる度に異なる印象を与えてくれる金沢ですので、時間をかけてゆっくりと散策をしてみたいものですね。南町バス停からは再びボンネットバスに乗り、金沢駅へ戻りました。

45.JR金沢駅 かなざわえき 16:54着 17:41発

金沢駅からは特急「はくたか19号」に乗車、乗り継ぎ駅の越後湯沢に向かいました。途中、暗闇の向こうにはうっすらとした雪景色が列車の灯りに照らし出されて。兼六園の雪吊りを見て、ちょっと未だ早いんじゃないの?と思っていたのですが、厳しい季節が直ぐそこまで来ているのですね。特急券:¥1,810 乗車券:¥7,780(小松〜東京)

46.JR越後湯沢駅 えちごゆざわえき 20:22着 20:35発

越後湯沢でMaxあさひ334号・東京行に乗換。遅い昼食が尾を引いて仲々お腹も空かず、やっと金沢駅で買い求めておいたお弁当を広げました。お腹の皮が突っ張れば瞼は緩み、歩き疲れたこともあり、車中では爆睡状態。
特急券:¥3,030 但し、新幹線乗継割引料金適用

47.JR東京駅 とうきょうえき 21:56着


天候には恵まれずに終えた旅でしたが、強風吹き荒れる日本海を見るにつけ、これから迎える厳しい季節を垣間見たような気がします。能登の冬はこんなもんじゃ無いよ−と笑われてしまいそうですが、そうした厳しい自然環境が能登の方々の優しい心根を育むようですね。多くの方にお会い出来た訳ではありませんが、折りに触れ、能天気な旅人に優しく接して下さいました。能登には曽々木の岩倉山遊歩道、木の浦から狼煙に至る岬自然遊歩道、九十九湾の景観を愛でながら巡る九十九湾遊歩道など、歩いてみたいなと思う場所が数多くあります。季節を違え、奇岩景勝を楽しみながら歩いてみたいものですね、地元の方々の温かさに触れながら。能登はやさしや土までも。それでは、あなたの旅も素敵でありますように‥‥‥






どこにもいけないわ