≡☆ 神々のふるさと・出雲紀行 ☆≡
やおよろずの神々の故郷・出雲を訪ねる旅

ちょっと出処が古くて恐縮ですが、歴史と神々のふるさと・出雲地方を旅したときのメモリアルページなの。神無月には萬(よろず)の神々が帰省すると云う、神々の故郷・出雲大社。一度は訪ねてみたいと思っていたの。歴史ロマン溢れる城下町・松江、紅葉燃ゆる大山(だいせん)も併せて訪ねてみたの。補:一部の画像は拡大表示が可能よ。見分け方はカ〜ンタン。

記事中の料金は掲載時 ′03.03 現在の情報に変えましたが、列車ダイヤ等は単純な置き換えが出来ないの。
お出掛けの際には、くれぐれも時刻表などで最新情報を御確認下さいね。

一日目:歴史浪漫の街・松江

1.羽田空港 はねだくうこう 7:50発 ANA171便

出雲へのアプローチとなると寝台特急・出雲を使う陸路にしようか、それとも空路にすべきかと悩みますが、旅情を満喫するにはやはり寝台特急を利用したいところよね。東北新幹線の八戸延伸でまた一つ寝台特急が廃止されてしまいましたが、利用客の悲喜交々を乗せて走る寝台列車には、旅愁が否が応にも駆り立てられるのですが。残念ながら今回はお休みの関係で空路でのアプローチなの。搭乗券:¥26,500 ANA811便 羽田空港 7:25発( ′03.03 現在 )

2.米子空港 よなごくうこう 9:10着 9:25発

この時は米子空港に降り立ちましたが、出雲空港の利用も可能ね。米子空港からは米子市内への連絡バスに乗車しましたが、米子・出雲両空港共、到着便に合わせたダイヤで運行されているの。航空ダイヤ、並びに接続交通機関などの詳しい情報は、左掲を御参照下さいね。連絡バス 運賃:¥570 所要時間:約30分

3.JR米子駅 よなごえき 9:55着 10:20発

米子駅からは当時運行されていた快速・しまねライナーに乗車しましたが、写真を見るとキハ28-2479とあるの。1961-63年にかけて製造され、後に冷房化の改造が行われた気動車ですが、さすがに引退してしまいましたね。鉄道マニアでもないξ^_^ξですが、疲弊した車両を見ると思わずレンズを向けてしまいますね。この列車とて、嘗ては新型車両として一躍脚光を浴びたはずで、時代の流れとは云え、やがては引退していくという構図に、哀愁を感じてしまうからでしょうね。今ではアクアライナーに一本化され、それに併せて新型車両の登場になっているの。乗車券:¥480 所要時間:約30分

列車への乗継時間に余裕がありましたので、駅舎を背景に記念写真を撮っていたのですが、ふと駅周辺の案内図が目に留まり、その中に駅前郵便局を見つけました。駅前局と云っても少し歩かなければならないようでしたが、仲々平日に旅する機会もありませんので是非記念に−と向かいました。通帳に米子駅前郵便局のスタンプ捺印を見届けて駅に戻りましたが、通帳に地方の局名が加わっていくのは楽しいもの、皆さんも如何ですか?

4.JR松江駅 まつええき 10:48着 11:39発

ここからは松江温泉(現在は松江しんじ湖温泉)行のバスに乗車する予定でしたが接続が悪く、余った時間を使い、松江中央郵便局で2回目の記念貯金。今では 一畑バス のまつえウォーカーと呼ばれるバス路線がJR松江駅と一畑電鉄の松江しんじ湖温泉駅を結んでいます。ダイヤも20分間隔で運行されていて、オマケに一回の乗車料金は¥100均一という安さ。更に運行経路は松江市内の主な観光名所を網羅するという至れり尽くせりの内容よ。運行経路は同じでも右回りと左回りがありますので、上手に利用すれば効率の良い見学コースを設定することが出来るわね。

他にも 松江市交通局 が運行する、ぐるっと松江レイクラインという周遊バスがあるの。投入されている車両も最近各地で見かけるようになったレトロ調のもので、こちらは一回の乗車賃は¥200ですが、一日乗車券は¥500とお得よ。まつえウォーカーと組み合わせて乗車すると松江市内の観光名所を隈無く見学出来そうね。松江ウォーカーで歴史浪漫に触れた後にはレイクラインに乗り換えて宍道湖の夕景を堪能して一日を終える−というコースはどうかしら?

松江市内の観光ガイドについては松江観光協会が運営する松江観光公式サイト だんだん がお薦め。
松江百景には観光名所の写真ギャラリーがありますがξ^_^ξも利用させて頂いています。

当時は上記のような便利なバスも無かったので松江温泉行のバスをひたすら待ちました。というのも手荷物を抱えての散策は辛く、先ずは宿泊先を訪ねて手荷物を預けるつもりでした。宿泊先は宍道湖大橋の袂に位置する宿でしたので手荷物さえ無ければ歩くところなのですが。乗車券:¥300 所要時間:20分(当時乗車した路線バス)

JR松江駅のキヨスクでは、松江温泉や玉造温泉の宿泊施設に一個¥500で手荷物を届けてくれる『身がる便』のサービスがあるの。時間と労力を考えたら利用しない手はないわね。

5.松江しんじ湖温泉駅 まつえしんじこおんせん 12:00着

先ずは手荷物を抱えて宿泊先に向かい、荷物だけを先にチェックインさせました。晴れて身軽になったところで松江市内の名所巡りへと歩き出しました。当時は元気がありましたが、今となっては上記の周遊バスに素直に乗車してしまうでしょうね。加えて時間を決めて歩いた訳でもありませんし、途中で記録もしませんでしたので、申し訳ありませんが皆さんに実際の到着・出発時間の御案内をすることが出来ませんので予め御了承下さいね。

6.月照寺 げっしょうじ 12:40頃着

この月照寺ですが、元は洞雲寺と呼ばれる禅寺だったものを初代・松平直政が生母・月照院の菩提を弔うために改修し、歓喜山月照寺と改名。以後、歴代藩主の菩提寺として直政から9代斉斎までの御霊を祀る廟所となっているの。入口手前には七代藩主・治郷に召し抱えられ活躍したという大関・雷電力士の記念碑があるの。碑には大きな手形が残されていますが、こんな大きな手で叩かれたら首の骨が折れてしまいそうね。

唐門をくぐると最初にあるのが初代・直政の廟所ですが、徳川家康の孫ゆえでしょうか、歴代の中では一番大きな霊廟になっているの。その隣にあるのが七代藩主・不昧公の廟所ですが、廟門には見事な葡萄の透し彫り。右に順路をとると五代・宣維と三代・綱近の廟所に挟まれるようにして、直政の生母・月照院の墓がひっそりと佇んでいるの。拝観料:¥400 所要見学時間:約30分

大亀 そして六代・宗衍の廟所前にあるのが有名な大亀よ。背中に5m余りの寿蔵碑と呼ばれる石碑を背負う巨大な石造りの亀で、小泉八雲も著書の中で、夜な夜な松江の町を徘徊して皆を驚かせたと紹介しているの。何でもこの大亀の頭を撫でると長生きが出来るそうよ。境内の一角にはこの大亀の水飲み場と云われる蓮池もあるの。

月照寺はあじさい寺とも呼ばれ、梅雨時には数万本の紫陽花が一斉に花を咲かせて境内を彩るの。左掲は季節外れの一輪を見つけて撮した一枚ですが、花に埋もれた季節はさぞ素敵な景観を見せてくれるのでしょうね。宝物館には茶道に精通した不昧公像を始め、歴代藩主の遺品も展示されているの。

月照寺拝観を終えて松江城のある城山公園に向かい、ひたすら歩きました。城山公園の南側は県庁舎を初めとした中枢機関が集まりますが、興味を誘われるような旧跡がある訳でもありませんので飽きてしまうの。月照寺からは周遊バスに乗車して北側の塩見縄手を先に見学してから南下するコースを採る方が良さそうね。

7.松江郷土館(興雲閣) まつえきょうどかん(こううんかく)

嘗て松江城の二の丸があったとされる跡地に建つ洋風建築の興雲閣は、元々は明治天皇行幸時の宿泊施設として建てられたのですが、日露戦争の勃発等の事由に依り、行幸は実現せずに終わってしまったの。それでも大正天皇や昭和天皇が皇太子時代に来館されたみたいね。その後、迎賓館や工芸品の展示会場として利用されていたのですが、昭和48年(1973)に松江郷土館が開設され、今日に至っているの。見学所要時間:約20分 入館料:無料(特別展開催時は除く)

建物の周りをコロネード(列柱廊)が廻りますが、車寄せにもなる玄関の二階には応接室があり、拝謁所としての造りになっているの。お出掛けの際には皇太子や妃殿下になった積もりで記念写真を忘れずにね。訪時にはこの地方独特の筒描染(つつがきぞめ)を初めとした織物の特別展示が開催されていましたが、館内には松江の民俗資料や民芸品等が常設展示されているの。

祠 興雲閣の側には松江神社がありますが、訪れる観光客も無く閑静な趣きの社です。松江藩初代藩主・松平直政を初め、七代藩主松平不昧公、徳川家康、そして松江城築城をした堀尾吉晴らが祀られているの。取り立てて見るべきものはありませんが、静かな境内で暫時の休憩タイム。左掲はその松江神社ではありませんが、小さな社というか祠というか、その佇まいが気に入って収めた一枚です。

8.松江城 まつえじょう

松江城は無知なξ^_^ξはてっきり松平家の手に依るものと思っていたのですが、堀尾吉晴なる人物の築城なの。関ケ原の戦で功を得た吉晴の嫡男・忠氏は、出雲を付与されて現在の能義郡広瀬町にあった富田城に入城するのですが、戦さの形態も槍や刀を振り回していた時代から鉄砲を使用したものに変わり、戦法の変化を目の辺りにして来た吉晴にしてみれば、旧来の防御態勢を施した富田城では安心出来なかったんでしょうね。所要時間:少なくても1時間は必要かも。入城料:¥550

吉晴は嫡男・忠氏が27歳で早世してしまうと、孫の晴忠を補佐して再び政(まつりごと)の前面に立ち、この城山の地に実践本位の城の築城を開始するの。同じ頃に姫路城も築城されているのですが、白鷺城とも呼ばれる流麗な姫路城に対して、松江城は千鳥城とも称される質実剛健の趣き。ところがその吉晴も城の完成を見ることも無く死去してしまうの。更に家督を継いだ晴忠には嗣子無く堀尾家は断絶。替わって入城したのが京極忠高でしたが、こちらも嫡子無く一代にして改易(かいえき)。その後に入ったのが松平直政という訳で、以後10代に亘り、松平家が城主となるの。城内の石落、袋狭間(銃眼)などの造りもさることながら、天守閣内部には刀剣・甲冑等の武具から膳・椀の類の生活用具に至るまで松江藩所縁の品々が数多く展示され、最上階からは松江市内を初め、宍道湖も一望のもと。是非登城してみて下さいね。

9.城山稲荷神社 しろやまいなりじんじゃ

ξ^_^ξが訪ねた当時は松江城から小泉八雲旧居辺り迄がヘルンの小径と名付けられた散歩道で結ばれていたのですが、今では鎮守の森散策路と名を変えたみたいね。小泉八雲も好きなお散策コースだったようで、城山稲荷神社への参道はその途中にあるの。この神社は松江藩初代の松平直政が勧請したもので、西の左甚五郎と呼ばれた名工・小林如泥作の木狐を神宝としているの。そのことから境内には無数の石狐が置かれ、小泉八雲もお気に入りだったという二匹の石狐には屋根も付けられて鎮座しているの。見ように依ってはカエルに見えてしまいますが。因みに前述の月照寺の直政公廟所廟門に施された葡萄の透し彫りも如泥の作よ。拝観:境内自由 所要時間:約10分

ヘルンの小径という名の散歩道は消えてしまいましたが、今では代わりに同名の茶屋が稲荷橋近くにあるの。お茶に赤飯や刻んだ漬物を入れて飲むと云うか食べると云うか、松江名物のぼてぼて茶を味わうことが出来ますのでお試し下さいね。ですが、同じく郷土料理とされる鯛飯(鯛茶漬)の方が美味と云うのが正直なところね。

10.小泉八雲記念館 こいずみやくもきねんかん

小泉八雲愛用の文机などの遺品が松江市に寄贈され、後に全国の厚意ある方々の援助を得てこの記念館が開設されたの。周囲の景観にすっかり溶け込んだ建物でしたので、以前からある建物を利用したものと思っていたのですが、開館当初の建物はドイツのゲーテ記念館を参考にした洋風建築で、その後の伝統美観保存地区指定により昭和59年(1984)に改築されたものなの。入館料:¥300 所要時間:約10分

館内には直筆原稿や書簡を始め、小泉八雲愛用の遺品などが展示されているの。直筆原稿に描かれた挿絵などを見ると文才だけでなく、画才にも秀でていたようで感心させられてしまいますね。頂戴したパンフに依れば、小泉八雲が来日する迄にはかなりの紆余曲折があり、特に幼少時は波乱万丈なの。異国の地にありながら日本文化を偏見の目で見ることなく、好意を持って世界に伝えようとした彼の姿勢は、育った環境が影響しているのでしょうね、優しい眼差しであったように思うの。

11.小泉八雲旧居 こいずみやくもきゅうきょ

旧居

武家屋敷に住んでみたいと小泉八雲が選んだのが旧松江藩士だった根岸家のこの住居。家主の子息が松江中学、旧制五高、東京帝大と八雲から学んだこともあり、根岸家では代々その保存に努め今日に至っているの。当時八雲の身の廻りを世話していたのが後のセツ夫人で、士族の娘である彼女には教養もあり、生活と共に八雲の著作も支え、一つ屋根の下で暮らす内にやがて男と女の関係(笑)になってしまったの。そのセツ夫人と暮らした旧居ですが、それでも松江の冬の寒さには耐えきれず、一年余で熊本に引っ越してしまうの。見学料:¥250 所要時間:約10分

子宝にも恵まれ、八雲にとってはセツ夫人は最愛の連れ合いだったのでしょうね、きっと。頂いた栞には「八雲自身になって、作品、「知られぬ日本の面影」 の舞台となった庭を見て頂きたいと思います。・・・〔 中略 〕・・・西洋人である小泉八雲が日本の庭をどのように見たのかということが重要なのです」と記されているの。腰を下ろしてその庭を眺めていると、肩越しに今にも八雲が声を掛けてきそうな、そんな気もしてくるの。八雲の著作を片手に、静かなひとときを過越されてみては如何かしら。

12.塩見縄手 しおみなわて

左掲は濠から眺めた景観ですが、小泉八雲記念館から武家屋敷風情の家が建ち並ぶこの辺りは塩見縄手と呼ばれているの。縄手とは縄のように延びた道のことで、武家屋敷街に住んでいた塩見小兵衛なる藩士が異例の昇進を遂げたので、その名を冠するようになったと云われているの。車道でありながら、堀側には大きな松の木が植栽されて、風情ある佇まいを見せているの。それもそのハズ、塩見縄手一帯は伝統美観保存地区に指定され、日本の道百選にも選ばれているの。

塩見縄手 沿道に植栽されている松ですが、訪時にはその内の一本が根元から折れて無残な姿で横たわっていました。樹齢の程は分かりませんでしたが、幹周りはξ^_^ξの両腕でも抱えきれない程の太さなの。根元から大きく裂けていましたので強風で倒れてしまったのでしょうね。塩見縄手では沿道の松が殊の外景観に趣きを添えていましたので、残る松の木は大過無く立ち続けていて欲しいものですね。

小泉八雲旧居に隣接する 田部美術館 には茶道を中心に、書画骨董の類が展示され、中でも松江藩七代藩主・不昧公(ふまいこう)が愛用した茶器が見ものとなっているの。その美術館から更に歩みを進めると塩見縄手の名称所以となった塩見家の武家屋敷があるの。塩見家は松平氏の松江入城と共に移って来た名家で、残念ながら元々の建物は焼失してしまい、現在のそれは後に再建されたものですが、それでも270年余を経ているの。武家屋敷と云うと大名屋敷と呼ばれる立派な構えが多いのですが、こちらの建物は中流武士の住居で、普段見ることも無い台所や湯殿といった、当時の生活を彷彿とさせる場所まで見学することが出来るの。田部美術館⇔入館料:¥500 所要時間:30分以上 武家屋敷⇔見学料:¥300 所要時間:約20分

美術館と武家屋敷に挟まれ、周囲の景観に溶け込む店構えの 出雲そば・八雲庵 がありますが、庭園の池には錦鯉が泳ぐの。お腹も空いたのでここで少し遅めの昼食を。割子蕎麦が有名と聞いていたのですが、訊けば普通の割子蕎麦の他に三色〜五色とあり、色の数だけ椀に蕎麦が盛られてくるの。蕎麦には各々別々の薬味が添えられますが、器はどれも朱塗りで、ここでは色は薬味の数を指すの。勢いに任せて五色を頼みましたが量の多さに連れの2人は残してしまうほど。自分のお腹のことを考えて注文した方が良さそうね。改めて調べてみて驚いたのですが、当時は¥1,200でしたが現在でも¥1,250で提供されているの。10年一昔と云いますが、その間僅かに50円の値上げとは感激ものね。八雲も逃げ出したと云う寒い季節には鴨南蛮がいいかも。

13.明々庵 めいめいあん

明々庵 塩見縄手から20分程歩いたところに茶室の明々庵が残されているの。幾度かの移築を経て現在地に落ち着いたもので、茶道に傾倒した七代藩主・松平治郷(不昧公)の好みによって建てられた茶室なの。茶道の茶の字も知らぬξ^_^ξは立派な茅葺屋根の割りには使われている柱が意外に細くて地震は平気なの?などと俗な感想で、わび・さびに共感を持つにはちょっと円熟味が足りないようでしたね。見学料:¥300 所要時間:約10分

若くして茶道に精通した不昧公は奢侈贅沢を排して茶道を−修身治国の資たるべし−と唱えたようですが、財政難に喘いでいた藩政を立て直すべく奮闘もしているの。しかし、大分荒療治をしたというか、強権発動を行ったようで、人員削減や増税(年貢米の増量)に始まり、挙げ句には藩債務の踏み倒しなども行なっているの。歴史は繰り返されると云いますが、バブルが崩壊した日本経済そのものね。その後財政は好転し、名君として後世に名を残すことになりましたが、その不昧公も財政の好転に合わせて茶器収集に没頭するの。骨董書画なぞ何の持ち合わせも無く、経済とは無縁の世界に住むξ^_^ξには凡そ見当もつきませんが。

茶室としての明々庵はξ^_^ξには今ひとつ(ーー;)でしたが、単に古い建物として見る限りは風情ある佇まいを見せてくれました。にじり口には飛石が敷設され、木々に囲まれた門構えなどは名のある方の隠居所の風情。敷地内からは松江城の天守閣が城山から顔を覗かせて、ちょっとしたビューポイントになっていました。

歩くのなんてイヤ!周囲を濠に囲まれた松江城や塩見縄手などを船上から見てみた〜いと云うあなたには ぐるっと松江・堀川めぐり がお薦め。小舟に揺られながら水の都の風情を満喫することが出来ますよ。

14.宍道湖畔 しんじこはん

明々庵を後にして、松江城の濠に架かるめがね橋で記念写真を撮る頃には陽も陰り始め、急ぎ足で宍道湖に向かいました。松江を訪れたからには宍道湖の夕景を是非この目に焼きつけておきたいところ。けれどのんびりと歩いたツケがまわり、宍道湖大橋に至る頃には殆ど競歩の世界。宿で頂戴した案内図には宍道湖大橋の先が夕景観賞地帯として推奨されていました。

見れば陽が沈むには未だ間がありそう、ならば是が非でも−と駆け足で橋を渡りましたが、陽が沈むのが先か、橋を渡り切るのが先かと時間との勝負。けれども時間切れで止むなく断念。橋を渡り切ったところにある白潟公園でその瞬間を待ちました。宍道湖に浮かぶ嫁ケ島を入れた夕景に憧れていたのですが仕方がありませんね。悔し紛れに漁舟を見つけて写し込んだのが左掲よ。でも、この小舟、何の漁をしていたのかしら?

全国的に知られる宍道湖の夕景ですが、風情ある佇まいを見せているのが嫁ケ島。周囲240m余の小さな島なのですが、植えられた松が風情を添えているの。【出雲風土記】には蚊島と記され、後に嫁島に変化して、いつの頃からか嫁ケ島と呼ばれるようになったと伝えるの。その昔、姑の苛めに耐えかねた嫁が、里帰りしようと凍てつく冬の夜に湖を渡っていたところ、思わず薄氷を踏んでしまい、そのまま湖に吸い込まれてしまったの。それを見ていた宍道湖の神さまはその嫁を憐れと思い、冷たくなった亡骸と共に湖から浮かび上がらせたのが嫁ケ島と云う悲話が伝えられているの。

夕景

その嫁ヶ島を借景に夕陽を観賞するには袖師公園がベスト。最適撮影時間や陽の沈む位置などの宍道湖夕日スポット撮影情報が 松江宍道湖夕日情報 にありますので、是非御確認の上でお出掛け下さいね。日没に合わせてサンセット・クルージングをしてみたいの−と云うリッチなあなたには 宍道湖観光遊覧船「はくちょう」 への乗船がお薦めよ。

15.松江しんじ湖温泉・水明荘 すいめいそう

夕食 今では他の宿泊施設でも採用されるようになりましたが、当時は松江温泉の源泉をそのまま利用した松江市内では唯一の露天風呂を持つ宿でした。そして何よりも驚いたのが出された料理の品数で。仲居さんが二人掛かりで運んで下さいましたが、座卓に並び切れずにどこからかもう一机持ち込むほど。半ば呆れて配膳を眺めていましたが、未だこの水明荘を越えるところを知りません。
※お知らせ:紹介している水明荘は残念ながら 2004/05/10 を以て 閉館 してしまったの。

宍道湖と云えば夕陽と共に有名なのが七珍(しっちん)料理。すずき・あまさぎ・しらうお・鯉・もろげエビ・鰻・じじみの7種からなり、主に冬場の味覚なのですが、すずき・もろげエビ・鰻・しじみの4品は通年にわたり味わうことが出来るの。残念ながらξ^_^ξも七味全てを味わうことは出来ずに終えていますが、最近では漁獲量も減り、しじみも制限を受けながらの漁となっているの。いずれはこの七味七珍( 画像提供:【松江百景】 )を味わうこと自体が出来なくなってしまうかも知れないわね。

すずき あまさぎ しらうお 鯉

もろげエビ 鰻 しじみ

松江しんじ湖温泉の宿泊情報は左記を御参照下さいね。

宿泊せずにきょうのところはお家に帰るの−というあなたに耳より情報。松江しんじ湖温泉駅側にお湯かけ地蔵足湯が出来たの。源泉からそのまま引いて来たという松江温泉100%のお湯で、あんよにちょっとばかりの御褒美を。散策の疲れを癒してからお帰り下さいね。

二日目:神々のふるさと・出雲

素戔鳴尊の八岐大蛇神話や大国主命の因幡の白兎などは皆さんも一度は聞いたことがあるかと思いますが、神々の故郷と云われる出雲にあって、その頂点に立つ出雲大社を訪ねてみたの。

16.松江しんじ湖温泉駅 まつえしんじこおんせん 9:00発

当時の松江温泉駅は風情ある佇まいをしていたのですが、今では綺麗な駅舎に生まれ変わり、名称も松江しんじ湖温泉と改称されているの。訪ねた時には車両も昭和は一桁の頃に製造されたもので、御覧のように、まさに動く博物館で、どっぷりとノスタルジーに浸ることが出来ました。現在では使用する車両も世代交代してしまい、残念ながら郷愁を感じての旅は遠い過去のものとなってしまいましたが、宍道湖畔をかすめて走る一畑電鉄の、開け放たれた窓から風を受けての旅は忘れられない思い出ね。乗車券:¥790 ( 出雲大社前迄 )

当時は川跡駅で乗り換えなければなりませんでしたが、今では出雲大社号と呼ばれる直行列車も運行されているの。ちょっと本数が少ないので ばたでん で確認の上で御乗車下さいね。サイト上には3日間乗降自由なパーフェクト・チケットなど、お得な割引切符の情報も掲載されていますのでお見逃しなく。

17.川跡駅 かわあとえき 9:44着 9:45発

この川跡駅を分岐点として出雲市駅に向かう路線と、大社駅に向かう路線に分かれるの。沿線には宍道湖に棲息する生き物などを展示した島根県立宍道湖自然館や、眼病に霊験灼かと云われる 一畑薬師 、弁慶が修行した寺と伝える鰐淵寺などの見処もあるの。変わったところでは猪目洞窟と呼ばれる岩窟があるのですが、【出雲風土記】に記載される、黄泉の国への入口がこの猪目洞窟。時間が許せば立ち寄ってみたいところね。

18.出雲大社前駅 いずもたいしゃまえ 9:56着

松江温泉駅から大社駅までは一時間ほどの乗車。車窓を流れ行く景色を愛でながらローカルな列車旅を満喫しました。大社駅からは歩いて出雲大社に向かいましたが、その一歩一歩が確実に社に近付いて旅の気分を昂揚させてくれるの。

19.出雲大社 いずもたいしゃ 10:12着

参道脇には御覧のようなモニュメントが。傍らの説明書きには「ムスビの御神像」とありましたが、背を向けているのが出雲大社の祭神でもある大国主命(おおくにぬしのみこと)。これまた不思議な物体を前にして命(みこと)が何やら揚げ祀りますが、幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)と呼ばれるもの。【日本書紀】にその時のやりとりが記されていますので、ちょっと紹介してみますね。ここでは大国主命は大己貴神(おおなむちのかみ)と名を変えて登場しているの。

時に神しき光海に照らして忽然に浮び来る者有り
ときにあやしきひかりうなにてらしてたちまちにうかびくるものあり
曰はく−如し吾あらずは汝如何にぞ能く此の國を平けましや
いわく−もしわれあらずはいまにいかにぞよくこのくにをむけましや
吾があるに由りての故に 汝其の大きに造る績を建つこと得たり−と云ふ
わがあるによりてのゆえに いましそのおおきにつくるいたわりをたつことえたり−といふ
是の時に大己貴神問ひて曰はく−然らば汝は是誰ぞ−とのたまふ
このときにおほあなむちのかみとひてのたまはく−しからばなはこれたれぞ−とのたまふ
こたへて曰はく−吾は是汝が幸魂奇魂なり−と云ふ
こたへていはく−われはこれながさきみたまくしみたまなり−といふ
大己貴神の曰はく−唯然なり すなわち知りぬ 汝は是 吾が幸魂奇魂なり
おほあなむちのかみののたまはく−しかなり すなわちしりぬ いましはこれわがさきみたまくしみたまなり

読んでみたところで、な〜に云ってんだか全然わかんな〜いと云うあなたに(笑)。

大国主命が波打ち際を歩いておった時のことだそうじゃ。見たことも無いような不思議な光が辺りの海面をいきなり照らしてのお。すると忽ち波間に浮かび上がって来る者がおったそうじゃ。驚いて見ていた大国主命に向かい、その者が云うたそうじゃ。「そなたは、もしわしがいなかったならばこの国を治めることなぞ出来なかったはずじゃ。わしがいたからこそそなたは国造りという大業も成し得たのじゃ」と。命は「そなたの力があったればと申されるか、ならばあなたさまは一体どういうお方におわしますか?」と訊ねてみたんじゃが「わしはそなたの幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)じゃ」と。そのことばに得心した命は「確かにおっしゃる通り。あなたさまはまさしくわたくしの幸魂奇魂にございます」と。

奇魂とは万事を弁別する能力を備えた魂のことで、崇高な精神無くして大業成就せず−と云ったところかしら。幸魂奇魂の神に出逢った大国主命は自身も神性を得て結びの神になるの。因幡の白兎神話では優しい心根を見せる大国主命ですが、崇高な精神に裏打ちされた優しさは大黒さまとしても親しまれる所以でしょうね。

ところで、大黒さまと親しみを込めて呼ばれる大黒天ですが、実はヒンズー教のシバ神がそのルーツなの。元々は袋を片手に憤怒の出で立ちで、何と破壊を司るこわ〜い神さまだったの。仏教に習合され、宝物が入るという袋も大きくなり、そこは宗教に寛容な日本人、因幡の白兎神話で大国主命が大きな袋を背負っていたことや、大国がダイコクと訓めることなどの共通項を見出していつしか同一神にしてしまい、荒ぶる神が福の神に化けてしまったの。

大きな銅鳥居をくぐり、先ずは拝殿に向かいますが、出雲大社の参拝方式は他の神社と違い、二礼四拍一礼なの。始終御縁がありますようにとお賽銭は45円。参詣の折りには小銭の御用意をしておいて下さいね。総桧造りの荘厳な構えを見せる拝殿ですが、意外にも昭和34年(1959)に再建されたもので、正面には重さ1.5tの注連縄が掛けられているの。拝殿右手には数多くの社宝を収めた宝物館があるので忘れず御見学下さいね。宝物館入館料:¥150

本殿は大社造りと呼ばれる独特の神社建築様式に依り、延亨元年(1744)に建てられたもので、国宝になっているの。全景を収めたかったのですが、廻りを瑞垣(みずがき)と呼ばれる板塀で取り囲まれているので、屋根しか写せませんでした。神さまの御座所は容易にはその姿を拝ませてはくれないみたいですね。瑞垣の隙間からせめて一コマだけでもと悪あがきしてみたのですが、上手く行かずに諦めました。やんごとなきお方を御簾越しに見る思いね。

本殿右手に鎮座するのが御向社と天前社で、御向社には大国主命の正妻の須勢理比売、天前社には蚶貝比売(きさがいひめ)と蛤貝比売(うむがいひめ)が祀られているの。気高く心優しい大国主命は女神たちに大モテなの。【古事記】には大国主命の武勇伝と共に恋物語が数多く描かれていますが、面白いのでその幾つかを紹介してみますね。

八上比売(やがみひめ)

大国主命には八十神(やそがみ)と呼ばれる多くの兄弟神がおったそうじゃ。当時の因幡には八上比売という、それはそれは美しい女神さまがおってのお。八十神達の誰もが妻に迎えようと思うておったのじゃ。やがて因幡の八上比売のもとへと皆して出掛けて来たのじゃ。じゃがのお、大国主命だけは他の兄弟神の荷物を担がされてしまってのお、一人遅れて歩いておったそうじゃ。

そうして一行が気多岬辺りに来た時に出会うたのが因幡の白兎じゃった。兄弟神にからかわれて散々な思いをしている白兎に優しく声を掛けた大国主命じゃったが、命(みこと)が云う通りに蒲の穂に包まってみたところ、忽ち元通りの身体になったそうじゃ。大国主命の心根の優しさに触れた白兎はこう告げたそうじゃ。あなたさまの御兄弟の神さま達は決して八上比売さまを妻に迎えることは出来ないでしょう。比売を妻に娶られるのはきっとあなたさまです−と。

果たして因幡に辿り着いた八十神達じゃったが、比売は申し入れを悉く断ってしもうたそうじゃ。そうして八上比売は「わたくしはそなた達のもとへ嫁ぐのは嫌です!大国主命さまの許へ参ります!!」と云って、八十神達には目もくれず、大国主命を愛するようになってしもうたそうじゃ。

蚶貝比売(きさがいひめ)と蛤貝比売(うむがいひめ)

さあて、八上比売のその答えを聞いた兄弟神達はすっかり怒ってしもうてのお。激怒のあまり大国主命を殺してしまえと謀り事をする始末じゃった。旅の途中で手間山と云う山に来た時じゃ。兄弟神は命に「此の山には赤猪が住むと聞く。我等が追い求めて突き落とす故、お前は下でそれを受けとめるのじゃ。もし受け止められなかった時にはそなたを殺す!」と命じたそうじゃ。そうして山上から真っ赤に焼いた大岩を命めがけて突き落としたのじゃ。命はその大岩をすっかり赤猪が転がり落ちて来たと思い、必死で抱きとめたのじゃ。哀れ、命はそのせいで黒焦げとなって死んでしもうたのじゃ。

その報せを聞いた母神の刺国若比売は嘆き悲しんでのお。それでも諦めることが出来ず、高天原に昇ると神産巣日之命(かみむすびのみこと)に命を助けて欲しいと懇願したそうじゃ。そうして遣わされたのが蚶貝比売と蛤貝比売という二人の女神じゃった。蚶貝比売は貝殻を削った粉を集め、蛤貝比売はその粉を蛤汁に溶かして命の身体に塗ったのじゃ。するとどうじゃ、命は息を吹き返してのお。その後も献身的な看病があったからじゃのお、やがて命は元通りの見目麗しいお姿になられたそうじゃ。
※蚶貝は赤貝のこと

須勢理比売(すせりひめ)

さてはて再び生を得た命じゃったが、その後の兄弟神の仕打ちはますます厳しくなってのお。命を騙して今度は切り裂いた大木で挟み殺しにしてしもうたそうじゃ。母神は何とか再び命の息を吹き返らせたのじゃが−お前は兄達にひどく憎まれているようでこのままでは本当に殺されてしまいます。お前にとってはお祖父さんにあたる素戔鳴尊(すさのおのみこと)が根の国にいます。この出雲の地にいても危ないので思いきってその根の国に行ってみなさい。そなたをきっと助けてくれるでしょう−そう云うて根の国行きを勧めたそうじゃ。

そうして一人、根の国に向こうた命じゃったが、いざ辿り着いてみれば命の声を聞き及び、素戔鳴尊が住む宮殿から娘の須勢理比売が現れたのじゃ。命の見目麗しい姿に須勢理比売は忽ち恋に落ちてしもうてのお。命もすっかりその気になってお互いに夫婦の誓いをしたそうじゃ。ところがじゃ、素戔鳴尊は面白くない。蛇の棲む室(むろ)や、ムカデや蜂の棲む室に閉じ込めたりと、次々に命に難儀を枷せたのじゃ。けれども須勢理比売の手助けなどもあってのお、その試練を悉く乗り越えたのじゃ。

ある時、ついうとうとと眠ってしもうた大神を見た命は隙を見て大神の髪の毛を垂木という垂木に括り付けて室を大岩で塞いでしもうたのじゃ。そうして須勢理比売を背負い逃げ出したのじゃ。その際に一緒に持ち出したのが生太刀(いくたち)と生弓矢(いくゆみ)、それに神懸りに必要な詔琴(のりごと)じゃった。ところがのお、その詔琴が樹にぶつかってしもうてのお、大地が鳴動したそうじゃ。それを聞いた大神はすかさず飛び起きたのじゃが、結ばれた髪の毛が仲々ほどけなくてのお、その間に大国主命は国境の黄泉比良坂まで逃げ延びたのじゃ。素戔鳴尊は逃げて行く二人の背中に向けてこう叫んだそうじゃ。その生太刀と生弓矢で腹違いの兄弟神を追い払い、大国主神となり宇都志国玉神と名乗りて、わが娘・須勢理比売を正妻とし、地の底まで届く御柱と高天原に届く屋根を持った宮殿を建てて暮らすがよい!卑しい奴め!!−と。

数年前に行われた境内の発掘調査時に拝殿と本殿の間から直径3mにも及ぶ柱遺構が発見され、その太さから換算して嘗ての社殿は高さ48mという巨大高層神殿だったことが想定されているの。出雲大社宮司家に伝わる金輪御造営差図に描かれる平安期の大社社殿の棟持柱と構造も規模も一致。同図では本殿に登る階段は一町という長さでメートル換算すれば約109m。木造建築物としては世界最大級だったわけで、素戔鳴尊が告げた神殿はまさしくこの巨大高層神殿だったのかも知れませんね。境内の一角にある模型展示館・雲太にはその復元模型が展示されているの。

生太刀と生弓矢を得て兄弟神を退治し、詔琴を以て出雲の国を平定した大国主命ですが、その後も恋愛&武勇伝が続くの。正妻となった須勢理比売を嫉妬深かったと一方的に記述する観光パンフですが、歌を読むと可愛らしい比売だったように思うのですが。エッ?可愛らしさを通り越して官能的?(笑)

八千矛の神の命や吾が大国主 汝こそは男に坐せば
やちほこのかみのみことやあがおおくにぬし なこそはをにいませば
打ち廻る島の埼々 かき廻る磯の埼落ちず 若草の妻持たせらめ
うちみるしまのさきざき かきみるいそのさきおちず わかくさのつまもたせらめ
吾はもよ女にしあれば 汝を除て男は無し 汝を除て夫は無し
あはもよめにしあれば なをきてをはなし なをきてつまはなし
綾垣のふはやが下に 蚕衾柔やが下に 栲衾さやぐが下に 沫雪の若やる胸を
あやかきのふはやがしたに むしぶすまにこやがしたに たくぶすまさやぐがしたに あわゆきのわかやるむねを
栲綱の白き腕 そだたきたたきまながり 真玉手玉手さし枕き 百長に寝をし寝せ 豊御酒奉らせ
たくづのしろきただむき そだたきたたきまながり またまでたまでさしまき ももながにいをしなせ とよみきたてまつらせ

本殿を取り囲む瑞垣の外側には十九社と称する細長い建物がありました。旧暦10月の神無月( 出雲では逆に神在月 )に全国津々浦々から神さまが出雲大社に集まるのですが、この建物はその時のやおよろずの神さまの宿泊する、云わばホテルなの。本殿を挟んで東西に一棟ずつあり、それぞれに19の扉が取り付けられているの。出雲大社に帰省した神さまは十九社に泊まり、お酒を酌み交わしながら赴任地の情報交換でもするのかしらん(笑)。

ところで旧暦の10月とは一体いつなの?と疑問を持たれたあなたはスルドイかも。
毎年変わるのでわかんな〜い。(笑) 因みに、2010年の神在期間は11/06〜12/05なの。
それ以外の神在期間を知りたい場合には こよみのページ を御参照下さいね。新暦と旧暦の変換が出来ますよ。

本殿の真裏には素戔鳴尊を祀る素鵞社(そがのやしろ)があるの。素戔鳴尊は大国主命のお祖父さん。大国主命を祀る本殿の大きさに較べると見劣りするのは否めませんが、基壇を高くして祀られているあたりは一応素戔鳴尊にも敬意を表したといったところかしら。

本殿周囲を一巡して神楽殿へ。掛けられた注連縄は拝殿のそれを上回る3.5tと超重量級なの。他の観光客の方が一緒に写りますので、その大きさがお分かり頂けるかと思います。注連縄の切口に小銭を投げつけ、落ちて来なければ御利益があるそうで、力任せに投げつけてみましたが、他の方の小銭が落ちて来てしまいました。コラコラ!(笑)直径2mはあろうかという切口なので的を外すことはありませんが、きつく編まれているので結構難しくて。皆さんもトライしてみて下さいね。

歌碑 神楽殿の傍らには♪年の始めのためしとて〜終わりなき世のめでたさを〜松竹たてて門ごとに〜祝う今日こそ楽しけれ〜♪の歌碑があり、第80代出雲大社宮司 出雲大社教初代管長 千家尊福公詠−と書かれていました。今ではTVでお正月のスター隠し芸大会の時にしか耳にすることも無くなりましたが、意外なところで意外なことを知りました。ところで碑には歌詞の二番も刻まれていましたが、皆さんは御存知ですか。残念ながらξ^_^ξは(ーー;)でした。

境内に多くの鳩がたむろしていましたが、連れが餌を買い、群れに近付いたところ、さあ大変。餌が貰えるのを知っていて背中から頭から殆ど全身に鳩が襲いかかるの。キャアキャア叫んで、餌をあげているというか、単にバラ撒いているだけというか、鳩にはどちらでも良かったのでしょうが(笑)。小さなお子さんを連れた方も餌を買い求めてやって来られたのですが、子供さんが鳩に追いかけ回され、遂には泣き出してしまいました。鳩に餌をあげる際には呉々も御注意下さいね。

出雲大社の参拝を終えてBTへ向かいましたが、その先の稲佐浜に向かう途中には、歌舞伎の始祖・出雲阿国の墓が、奉納山公園には終焉の地記念碑と男装の姿を描いた於国塔が建てられているの。興味のある方はお訪ね下さいね。


突然で恐縮ですが、どなたか御存知の方がいらっしゃいましたら御教示下さいね。
御連絡は webmaster@myluxurynight.com へお願いしますね。
尚、迷惑メール対策のため、@は全角にしてありますので実際にメールして頂く際には半角に置き換えて下さいね。

御向・天前社には女神が祀られる−と書いてはみたのですが、掲載した写真を見ると屋根の千木(ちぎ)が垂直に切られているの。垂直に切った千木は男神を祀る社を示すもの、もし女神なら水平方向に切られていなければならないの。瑞垣内の社殿は全て写真に収めて来たので手許の写真を漁ってみたのですが、水平方向に千木が切られた社殿が見当たらないの。位置的には写真の社殿しか該当する社が無いのですが。ξ^_^ξは大きな間違いをしているのでしょうか?
凡そ次のような事が考えられるのですが。

  1. 掲載されている社殿は両女神を祀ったものでは無い。写真が間違っている。
  2. 両神を女神としているが誤りである。(だとすると記述が根本的な間違いを犯していることに)
  3. 記紀に描かれた頃は女神だったがその後に変化(へんげ)して男神となった。
  4. 出雲大社には千木の性別は無い。
  5. その他

20.出雲大社BT いずもたいしゃばすたーみなる 11:55発

当時は出雲大社の神楽殿から更に足を伸ばしたところにバスターミナルがあり、日御碕灯台方面へのアプローチの起点となっていました。今では一畑バス出雲支社が起点となり、JR出雲市駅、電鉄出雲大社駅を経由して日御碕灯台方面へと運行されているの。因みに、進行方向左手が海側になりますので、乗車の際には左側の席への御着席がお薦めよ。神々の云い伝えが残る奇岩景勝地を見ることが出来ますので、車窓を流れ行く海岸美を観賞しながら、しばしバス旅を楽しんで下さいね。気になるダイヤは 一畑バス を御参照下さいね。運賃:¥490 所要時間:約25分

21.日御碕BS ひのみさき 12:17着

バス停から日御碕神社へは目と鼻の先よ。出雲大社には大勢の参拝客がありましたが、日御碕神社に訪ね来られる方は少ないようで、この時もバス停を降りたのはξ^_^ξ達3人だけでした。

22.日御碕神社 ひのみさきじんじゃ 12:20着

左掲は日御碕神社の楼門ですが、朱塗りの社殿でありながら華美に非ず荘厳な趣きね。一方、傾斜地に建つ社殿は神社なのに石垣が配されて城郭を思わせる造りになっているの。徳川幕府第三代将軍・徳川家光の命に依り、10年余の歳月を費やして建てたという権現造りの社殿は、国の重要文化財にも指定され、松林に囲まれた朱色の社殿が松の緑と見事な調和を見せているの。境内には上下二つの社があり、上の宮には素戔鳴尊(すさのおのみこと)、下の宮には天照大神(あまてらすおおみかみ)が祀られているの。拝観料:境内自由 所要時間:約20分

上宮 素戔鳴尊が祀られる上宮「神宮」ですが、階段脇の老松の風情を添えようとしてアンバランスな写真となってしまいました。出雲大社の本殿裏にも素戔鳴尊を祀る素鵞社がありましたが、日御碕神社では天照大神と併せて祀られているの。ここで日御碕神社の縁起を昔話風にアレンジして紹介してみますが、記述に際しては 出雲観光ガイド の〜日御碕神社の由緒〜を参照させて頂きました。

この神宮(かみみや)じゃが、以前はも少し奥まった隠ヶ丘と呼ばれるところにあってのお。その昔、素盞鳴尊が根の国に赴いて熊成の峰に登られた時のことじゃ。命(みこと)は傍らの柏葉を手に取り−吾が御魂 この柏葉の留まるところに住むらん−とその柏葉を空に向かって投げあげてみたそうじゃ。すると柏葉は風に乗り、隠ケ丘というところに舞い降りたのじゃそうな。素盞鳴尊には天葺根命(あめのふきねのみこと)という神子がおったのじゃが、命の魂が鎮る場所として後に社を建てて祀ったそうじゃ。そうして安寧天皇の治世のときに詔(みことのり)でこの地に移されてきたんじゃと。

一方の下の宮じゃが日沈宮(ひしずみのみや)とも呼ばれておってのお。昔は神社裏手にある清江浜の経島に鎮座されておったそうじゃ。素戔鳴尊に神子があったのは話したけんども、ある日その天葺根命が清江の浜を歩いておった時のことじゃ。経島にはえとった松の枝に眩しいばかりの光が射し込んできたんじゃと。するとどこからともなく−吾こそはこれ陽の神なり 此の地に鎮りて広く天下人民を恵まんと欲す 汝 速やかに吾を斎れ−と聞こえて来たそうじゃ。

更に続けて−日の出ずる伊勢の国は五十鈴川の川上に大社(おおやしろ)を建て祀りて伊勢神宮とすべし 此の浜には日沈宮を建てて吾を祀り 日御碕大神宮と称すべし さすれば吾をして昼夜を護らん−と御神託があったそうじゃ。まさしく天照大神のお告げ、命(みこと)は直ちに社(やしろ)を建てて崇め奉ったのじゃ。その後、村上天皇の治世の頃じゃというが、詔(みことのり)に依り、この地に移されて来たそうじゃ。その経島じゃが、今でも小さな祠(ほこら)が建てられておってのお、島には何びとたりとも立ち入ることが出来ないのじゃ。

因みに、日御碕神社の宮司さんは、その天葺根命の末裔の方だそうよ。

め刈神事 左掲は建物の壁面に彫られていたものですが「め刈神事」の様子を捉えたものかしら。その昔ウミネコがワカメをついばんで神社高欄に掛けること三度に及んだことからそのワカメを神膳に供え奉り、以来、ワカメ漁の開始を告げる神事となったと伝えるの。旧暦の一月五日に行われるという神事では、近在の若者達が裸で海中に入り、神舟の水先案内をすると聞きます。

参拝を終えて日御碕灯台へと向かいましたが、神社先の海岸からは日御碕海中公園を廻るグラスボートが運航されているの。残念ながら未体験で終えていますが、海中の様子に加え、海蝕崖の海岸美や日御碕灯台を海上から眺めることが出来るの。約40分程度の間隔で運航されていますが、4月下旬〜10月中旬の季節運航なの。天候により欠航することもあるそうなので下記にお問い合わせの上で御利用下さいね。乗船券:¥1,000 所要時間:約30分 大社海中公園センター(本社)TEL:0853-54-5160 or 日御碕観光案内所 TEL:0853-54-5400

23.経島 ふみしま

日御碕神社からは日御碕灯台を目指して遊歩道を歩きましたが、日御碕神社の縁起に出て来た経島が見えて来ます。石英角班岩で出来た島で、柱状節理が経文を積み重ねたようにも見えることから経島(きょうじま)と呼ばれ、いつしか「ふみしま」と訓読みされるようになったの。ウミネコの繁殖地として天然記念物にも指定され、島では12月に北海道や青森から飛来し、7月頃まで子育てをするのだとか。天照大神の降臨した神々しい島も彼らにはどこ吹く風のようですね。

24.日御碕灯台 ひのみさきとうだい

島根半島最西端に建つこの灯台は明治36年(1903)に初点灯。石積みの灯台としては東洋一の高さを誇るのですが、岬といっても海抜にして20m余りと低いために、少しでも光達距離を伸ばそうと、高さ43m強のノッポ灯台になったの。加えて、石積の内側にレンガを円筒状に積み上げた二重殻構造と云う稀な造りをしているの。何でそんな複雑な構造にしたのかと云うと、石積みに使用した石は島根半島東岸の森山産の砂岩だったことから、強度を増すためには仕方が無かったの。今でこそありとあらゆる物を地球の裏側だろうと届けてしまう運送業者ですが、明治の頃には輸送手段も加工技術も限られていたのですね。歴史あるこの灯台は1998年、IALA(国際航路標識協会)の「世界の歴史的灯台百選」に選ばれました。あれ〜、語り口がどこぞのTV番組と一緒になってしまいましたね。(笑)

眺望 展望台までは163段の螺旋階段を登るのですが、上ると云うよりも、正に登るという表現が適切で、灯台の高さを身を以て実感出来ますよ。階段を登りきるといきなり360度の展望が開け、日本海や稲佐浜も一望のもと。まさに絶景よ。灯台の周囲には「夕日の小径」と名付けられた遊歩道も続いているの。夕日の眺めも素晴らしく、日本海に漁火の灯る光景はロマンチック−と聞きますので、時間の余裕がありましたら御覧になってみて下さいね。灯台見学料:¥150 8:30(冬期:9:00)-16:00

25.日御碕BS ひのみさき 13:15発

灯台からの帰路には土産物店が建ち並ぶ『海の味通り』を抜けてバス停に向かいました。近くの宇龍港で水揚げされた鮮魚やわかめ等の海産物が店先を飾りますが、バス停までは近道を歩いても10分程掛かりますので、サザエの壺焼きや焼きイカを買い求めてからダラダラと歩いてみては?普段出来ないことも旅先では許して貰いましょうね。取り敢えず小腹を満たしてからバスに乗り込みました。運賃:¥490 所要時間:約25分

26.出雲大社BT いずもたいしゃばすたーみなる 13:37着

前述しましたように、当時の日御碕方面のバスはこのBTが起点であり、終点でもありましたが、今では乗り換え無しに駅に向かうことが出来るようですね。そういう当時の事情もあったのですが、もう一つ理由があり、出雲に来たなら有名な出雲そばを昼食に−と考えていました。松江の八雲庵でも味わう機会がありましたが、出雲大社のお膝元こそ出雲と呼ぶに相応しいと勝手に思い込んでいました。

27.蕎麦処・荒木屋 そばどころ・あらきや

創業200年近くの老舗と聞いて立ち寄ったのがこの荒木屋さんでした。挽きたて・打ちたて・茹でたての三本拍子揃った蕎麦が食べられるという触れ込みに暖簾をくぐってみた次第です。そう云うと如何にも蕎麦通かと思われるかも知れませんが単なるミーハーです。その証拠にξ^_^ξが頼んだのはてんぷら割子そば。蕎麦通の方ならざるか盛りしか頼まないのだそうで、蕎麦音痴には今一つ、違いが分かりませんでした(そんな奴は来るな−と云われそう)。出雲大社の駐車場からは300m程南下して、山陰合同銀行を左折した左側にあります。人気があるようで蕎麦が無くなれば店終いしたり、不定休などもあるようですのでお問い合わせの上でお出かけ下さいね。釜あげそば:¥620 割子そば:¥780 TEL:0853-53-2352

当時¥1,200の天ぷら割子そばは無くなってしまったみたいですね。やっぱり邪道だったのかしら?この荒木屋さんの他にも 出雲観光協会 の「出雲そば食べ歩き情報」には沢山のお蕎麦屋さんが紹介されていますよ。

28.電鉄・出雲大社前 いずもたいしゃまえ 15:21発

食後の腹ごなしもあって荒木屋さんからは出雲大社前駅迄歩きました。と云っても10分もかからない距離ですが。時間も遅かったので宿へと向かいましたが、出雲大社前駅から南へ10分程歩いた所には旧JR大社駅があり、1990/3/31 を以て廃止された大社線の駅舎が今も残されているの。大正13年(1924)に改築された駅舎ですが、趣きのある外観と共に鹿鳴館を模した内部は大正浪漫溢れる風情。線路沿いには訪れた当時には出雲大社境内にあったSL(D51)も移設、塗装もリニューアルされて展示されているの。乗車券:¥790 (松江しんじ湖温泉迄) 所要時間:約1時間

29.川跡駅 かわあと 15:32着 15:34発

30.松江しんじ湖温泉駅 まつえしんじこおんせん 16:19着

訪ねた当時は単に松江温泉と称していましたが、開湯30年を記念して新たな名称を公募し、2001年からは現在の松江しんじ湖温泉に改称。宍道湖を借景に旅館やホテルが建ち並ぶ静かな温泉街になっているの。

31.松江しんじ湖温泉・水明荘 すいめいそう

花火 昨夜に引き続き水明荘に宿泊しました。湖畔に建つ宿ですので視界を遮るものが無く、夕陽が沈み行く光景を見ながらのんびりとしました。と、その内どこからか大音量の音楽が。何事かと思いきや、松江温泉の歓迎イベントでした。辺りがすっかり暗くなった頃には御覧のような湖上花火大会がありました。思いがけない季節に思いがけないものを見ることが出来ましたが、今でもやってるのかしら?旅先で、それも宍道湖の湖上に見る花火はどこかロマンチック‥‥‥

温泉街の西端にはお湯かけ地蔵がありますが、毎年8月に行われるお湯かけ地蔵祭では露店の出店やイベントが行われて花火も上がります。湖上花火をどうしても見たいの!と云う方はお湯かけ地蔵祭に合わせてお出掛け下さいね。

夕食 料亭旅館と冠するだけあって二日目の食膳も大賑わいでした。盛られた器が重なっているのが分かりますか?決してテーブルが小さかった訳ではないの。スズキの奉書焼きこそありませんでしたが、宍道湖の味覚を初め、山陰の味を堪能させて頂きました。飽食三昧に明け暮れた翌日、朝食時の素朴な(笑)しじみ汁が殊の外美味でした。お知らせ:紹介した水明荘は残念ながら 2004/05/10 を以て 閉館 してしまったの。

松江しんじ湖温泉の宿泊情報は左記を御参照下さいね。

3日目:八雲立つ風土記の丘

旅も3日目、古代出雲の中心地、八雲立つ 出雲八重垣妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を−と詠われた八重垣神社や、最古の大社造りと云われる神魂神社、古代文化資料を展示した風土記の丘センターを訪ねてみたの。

32.松江しんじ湖温泉駅 まつえしんじこおんせん 8:40発

先ずは八重垣神社に向かうバスに乗り継ぐべくJR松江駅に向かいました。尚、表記の出発時刻は当時乗車した普通の路線バスで、まつえウォーカーの運行ダイヤではありませんので御注意下さいね。時刻表などの詳しい情報は 一畑バス を御参照下さいね。運賃:¥100 まつえウォーカー利用時

33.JR松江駅 まつええき 8:54着 9:17発

松江駅からは大庭経由・八重垣団地行のバスに乗車して八重垣神社までを歩きましたが、今では八重垣ループバスが八重垣神社まで運行されていますので、歩く必要も無くなりましたね。ですが、約40分間隔の運行ですので上記のサイトにて時刻表を確認の上でお出掛け下さいね。運賃:¥300 約15分 八重垣ループバスの右廻利用時

34.八重垣団地BS やえがきだんち 9:30着

繰り返しになって恐縮ですが、当時のバスの終点がこの八重垣団地でした。今では八重垣神社そば迄乗り込んでいますので御心配無く。当時はバス停からのんびりと歩くしか無くて。ここでお詫びですが、これより先は例によって気儘な散策でしたので時間も控えず、御覧の方々に所要時間などの情報提供が出来ません。予め御了承下さいね。

35.八重垣神社 やえがきじんじゃ

佐草という地名が示すように、元々は佐久佐神社が鎮座していたこの地に、後世になり八重垣神社が合祀され、以後、八重垣神社の名称で親しまれるようになったの。八岐大蛇神話で有名な素戔鳴尊が大蛇を退治して−八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を−と詠い、奇稲田姫(くしいなだひめ)と新居を構えたのがこの八重垣神社が建つ地なの。所要時間:30分以上要 拝観料:境内自由 宝物館のみ入館料:¥200

八岐の大蛇(おろち)?なあに〜それ。そんなの知らないわ−というあなたに。

天照大神(あまてらすおおみかみ)には素戔鳴尊(すさのおのみこと)という弟神がおったのじゃが、高天原(たかまがはら)では悪さばかりしておってのお。大神は弟が成すことゆえ大目に見ておったのじゃが、とうとう我慢しきれず、天岩戸にお隠れになってしもうたのじゃ。天照大神は陽の神さまじゃあ、お隠れになってしもうたからさあ大変。漆黒の闇が広がるばかりでどうにもならん。萬(よろず)の神々が手を尽くして何とか大神を岩戸から引っ張り出したのじゃ。そうして命(みこと)の悪業にほとほと困り果てた萬の神さまたちは命を皆して責め立て、根の国へと追い払ってしもうたのじゃ。

さてはて高天原を追い払われてしもうた素戔鳴尊じゃが、出雲国の斐伊川に差し掛かった時のことじゃった。川上から泣き声が聞こえて来てのお、その泣き声を頼りに川を遡ると、そこには娘を間にして老いた夫婦が泣いておったそうじゃ。命が−そなた達は何者じゃ、なぜそのように泣いておる?−と訊ねたところ、−私はこの辺りを治める脚摩乳(あしなづち)と申す者にございます。これなるは手摩乳(てなづち)と申す妻にて、娘は奇稲田姫(くしいなだひめ)と申します。吾等には8人の娘が御座いましたが、毎年八岐の大蛇に呑まれてしまい、とうとうこの娘一人になってしまいました。逃れる術を知らずして悲しみにくれているところにございます−と。それを聞いた命はその姫を貰い受けると、たちどころに櫛に変えて角髪(みずら)に刺してしもうたそうじゃ。

そうして命は老夫婦に命じて8回も絞り重ねた強い酒を造らせ、八つの酒樽を置いて大蛇を待ち構えたそうじゃ。果たして大蛇が現れたのじゃが、頭も尻尾も八つあるという化け物で、眼は真っ赤なほおずきのようじゃったそうな。見つけた酒樽の一つ一つに各々頭を突っ込んで酒をあおった大蛇もさすがに酔うてしもうてのお、眠ってしもうたそうじゃ。それを見届けた命はすかさず腰の十握剣(とつかのつるぎ)を抜いて大蛇をずたずたに切り刻んでしまったのじゃ。ところがじゃ、大蛇の尻尾を切り刻もうとしたときのことじゃった。命の剣が刃毀れしてしまってのお。不思議に思うた命が切り裂いてみると、そこからは剣が出て来たそうじゃ。それこそ後に伝わる草薙の剣じゃった。命は−この剣は不思議な剣じゃ。吾如きがどうして持っておられようぞ−そう云って姉神の天照大神に献上したそうじゃ。

そうして命は奇稲田姫と婚姻する場所を求めて最後に辿り着いたのが出雲の国の清地(すが)と云うところじゃった。命は−吾が心、此の地に到りて清々しいものよ−と云うと、そこに宮殿を建てて住んだそうじゃ。そのときに命が詠まれた歌が−八雲立つ 出雲八重垣 妻籠めに 八重垣つくる その八重垣を−と云う歌じゃ。奇稲田姫と遘合(みとのまぐあい)して大己貴神(おおなむちのみこと)が産まれたのじゃが、その命もやがて根の国に赴いて行ったそうじゃ。

別伝として更に二話を続ける【日本書紀】ですが、睦み事を「みとのまぐあい」とは云い得て妙というか、仲々上手い表現ね。それに詠まれた歌もことばの一つ一つが掛詞になっていて結構難しい歌なの。ここでは妻を娶る喜びを表現した雄叫びの歌として素直に字面の意味で受け止めておきますね。神社由来記に依れば、この婚姻は略奪結婚の風習を破り、両親の承諾を得て行われた最初の正式結婚なのだそうよ。

巫女さんの舞 左掲は八重垣神社の社殿内の様子を写したものですが、訪れた時には祈願をされる方がいらっしゃいました。当時ビデオを持ち歩いていたのですが、撮影禁止ともありませんでしたので失礼して収めさせて頂きました。そのキャプチャー画像ですので画質はイマイチですが御容赦下さいね。神社というと宮司さんですが、神の前ではやはり巫女さんが主役ですよね。神主さんに祝詞をあげて貰うよりも御神意を得られるような気がするわね。

山神神社 左掲は本殿左手にある小祠で、傍らの案内板には山神神社とありました。八重垣神社は全国に鎮座する縁結びの神さまを祀る神社の、云わば総本家。ここでは神々も殊の外おおらかであらせられますね。けれども素敵な出逢いを求めてやって来たうら若き乙女達がこれを見たら卒倒するかも知れませんね(笑)。さてはて、この大きさを凌駕する御神体が神社内のとある場所にもありますので興味がある方は御探し下さいね。(笑)

社殿裏側には奇稲田姫が八岐大蛇から逃れて隠れたと云う「佐久佐女の森」がありますが、道の途中には乙女椿と子宝椿があるの。乙女椿は山神神社のすぐ側にあり、いかにも思わせぶりですが、共に連理の玉椿「夫婦椿」と呼ばれ、素戔鳴尊と奇稲田姫が椿の枝を地に突き刺し−吾等に誠の愛ありなせば その芽ふき出ずるべし−と云ったところ、やがて芽をふき、合体して一つになったことから、愛の象徴として崇められているの。時には二葉が連なる葉が現れることもあり、その実物を宝物館で見ることが出来ますよ。因みに、この玉椿は資生堂の花椿会の由縁にもなっているの。ところで、境内の説明板には3本と記載ある玉椿ですが、残りの一本はどこにあったのかしら、気付かずに終えてしまいました。

夫婦杉

宝物館では、他にも国重要文化財に指定されている素戔鳴尊や、奇稲田姫などの六神を描いた貴重な壁画絵を見学することも出来ますよ。一千年を経た今も、匂い立つような奇稲田姫にしばし時を忘れてみては?左掲は頂戴した八重垣神社の栞で−神の御前で千年を契り 注縄もはなれぬ夫婦杉−と記す夫婦杉。近くには素戔鳴尊が大杉を中心にして八重垣を作り、奇稲田姫を大蛇から守ったと伝えられる、その大杉の跡地もあるの。由縁を知らなければ通り過ぎてしまうほどささやかな名所ですが、この頁を御覧下さっているあなたでしたら大丈夫ですよね。

鏡池 佐久佐女の森の奥まったところにあるのが鏡池。奇稲田姫が隠れたときにはこの池の水を飲み水として利用し、また水面に写して御髪を整えたと云い、故に美容の御神徳もあるの。その奇稲田姫の御霊がひそむという鏡池では縁結びを占うことが出来ますよ。社務所で買い求めた占紙(¥100)に10円玉を載せて水面に浮かべるの。すると何やら文字が浮かび上がりますが、早く沈めば良縁近し、遅ければ縁遠し。ダメですよ、早く沈めようと500円玉を載せては(笑)。

な〜んだ恋占いか、もう縁を結んでしまったから関係無いや−と御嘆きのあなたに。頂戴した栞には−良縁を得られた二人の晴れ姿を鏡の池に写され、末長く御加護を受けて御繁栄されるよう念願いたします−とありました。これからという方は勿論、最愛の連れ合いを得られた方にも優しい奇稲田姫ですので御安心下さいね。ところで浮かべた占紙には−開運の兆しあり 西と北 吉−と出たのですがあれから10年、未だ開運の兆しを自覚せず。やはり500円玉にしておくべきでしたネ。

この鏡池ですが、皆さんが占いをするもので池の底には沈んだ占紙がびっしり。その様子はまるで流しきれずに漂うトイレット・ペーパーにも似て。ゴメンナサイ、折角のイメージを台無しにしてしまうような発言で。溜まったらお掃除して欲しいな−というのが率直な感想ね。聞くところに依れば11月と4月の年2回程、池の水を抜いてお掃除をするの。でも、出掛けてみたらちょうどお掃除の最中だったりしたらがっかりしちゃいますよね。その季節にお出掛け予定の場合には事前にお問い合わせ下さいね。八重垣神社社務所 TEL:0852-21-1148

八重垣神社の参拝を終えて次の神魂神社へはひたすら歩きましたが、八重垣神社脇の喫茶「八重」ではレンタ・サイクルが出来ますよ。見処が離れて点在しますので自転車の方が遙かに楽ですね。一日借りても¥500と割安ですし、「出雲かんべの里」で乗り捨ても出来て便利なの。八雲立つ風土記の丘までを結んだ道は「はにわロード」と呼ばれ、整備された道が続きます。当時は八重垣神社から歩くこと30分余り、体感的にはもっとだったような気がしますが、鬱蒼とした森の手前に鳥居が見えた時には嬉しくて。その鳥居を抜けた先には手水舎がありましたが、湧き水を利用したものらしく、その冷たさに生き返るような思いをしました。訪時の季節は秋でしたが夏の熱い盛りではどうなっていたことやら。

36.神魂神社 かもすじんじゃ

国宝に指定されている日本最古の大社造りの社殿には伊邪那美命(いざなみのみこと)が祀られているの。昭和23年(1948)からの修復工事の際には柱から正平元年(1346)の墨書が発見され、今の出雲大社よりも更に400年も古い建物であることが証明されたの。出雲国造の祖・天穂日命(あめのほひのみこと)の創建と云われ、元は出雲国造家の私的な氏神さま。後世、祭祀の中心は出雲大社に移りましたが、明治維新の頃迄は新嘗祭(にいなめさい)などの重要な祭祀はこの地で執り行われていたの。拝観料:境内自由 所要時間:約15分

ところでこの神社の名称ですが、ξ^_^ξは神魂を「かもす」とは訓めずに、最初は「かみたま」と読んでいたの。神御霊の鎮まり坐す所→神坐所(かみますところ)→かんます→かもす−と転じて、現在の神魂という字が充てられるようになったそうよ。

本殿左手に鎮座する貴布禰神社と稲荷神社ですが、二間社流造と呼ばれる桃山時代の建築様式の社殿で、国の重要文化財に指定されるの。稲荷神社が鎮座することもあり、石狐があちらこちらに。社務所脇の鉄釜は天穂日命が高天原から降臨した際に乗って来たものだそうで、天穂日命は宇宙人だったのかも(笑)。

神魂神社の鳥居近くにある正林寺には出雲国造の歴代のお墓があるの。出雲大社宮司・千家氏はその末裔なの。当時はその存在を知らずに通り過ぎてしまいましたので紹介出来ませんが、興味のある方はお訪ね下さいね。

37.八雲立つ風土記の丘 やくもたつふどきのおか

風土記の丘 八雲立つ風土記の丘 の一帯は出雲国庁跡や国分寺跡をはじめ、多くの古墳が散在する史跡の密集地なの。額田部臣の銘文が彫られた鉄刀が出土した岡田山古墳の側に造られた史跡公園で、資料館や植物園などがあるの。その資料館には三角縁神獣鏡や銅剣・銅鐸など、附近の遺跡群から出土した貴重な資料が展示され、屋上は展望台になっていて、嘗ての出雲国が一望出来るの。国造になった気分で−うまし国ぞ出雲は−と宣うてみて下さいね。資料館 入館料:¥200 所要時間:約30分

額田部臣の銘文入りの鉄刀ですが、実際に発掘と云うか発見されたのは大正時代のこと。岡田山古墳の土地所有者であった伊藤万之助さんと云う方が発見したもので、ある夜白髪の老人が氏の夢枕に現れて掘りだすように告げられたことから半信半疑で掘り始めたところ石棺を見つけ、中からは鉄刀が現れたと云うわけ。現在ではやたらに掘り返すと文化財保護法違反の罪で罰せられますので、当時ならではのエピソードですね。

その後、伊藤氏の手許から変遷を経て現在の資料館に展示されるようになったのですが、昭和57年(1982)に修復を奈良元興寺文化財研究所に依頼したところ、件の銘文がX線写真で発見され大騒ぎになったの。発掘当時は88cm程あったという刀身も半分以上が行方不明。知らぬこととは云え、貴重な歴史遺産の一部が無くなってしまうとは残念ですね。素戔鳴尊が草薙の剣を発見した際には己の分をわきまえて速やかに天照大神に献上しましたが、当初から出雲大社にでも奉納されていたら−とは能天気な旅人の感想ね。参考資料 ザ・出雲研究会編 古代出雲イラスト・ガイドマップ 特別附録

【出雲風土記】には出雲四神名樋(かむなび)山として朝日山・大船山・仏教山・茶臼山の四山が記されますが、風土記の丘の北側にはその茶臼山があるの。神名樋山とは神さまが隠れ籠る山の意で、古代信仰の対象として崇められた聖地。麓には真名井神社をはじめ、嘗ては出雲国庁や国分寺・国分尼寺があったの。古代出雲国の政治経済の中心地であったことから周辺には古墳が多く散在しているの。

些か疲れて広範囲に広がる遺跡群を見て歩くのは断念しましたが、徒歩で見て歩くには余程健脚な方でないとちょっと無理かも知れないわね。皆さんには自転車の御利用をお薦めします。風土記の丘の近くには伝統工芸品や語り部による昔話などが観賞出来る 出雲かんべの里 があり、こちらでレンタ・サイクルが出来ますよ。今にして思えばコースを逆設定すれば良かったかしら?散策全体の起伏から見て最後に八重垣神社を持ってくる方が面白かったように思いますね。確かに歴史の重みある風土記の丘周辺ですが史跡が散在し、余程興味をお持ちの方でも無い限りは単調となってしまうの。逆コースにした場合の難点としては風土記の丘から神魂神社への道が全体的に登り傾向になってしまうことかしら。その時は自転車を降りて‥‥‥ね。

38.大庭車庫BS おおばしゃこ 13:35発

風土記の丘を後にしてバスに乗車すべく大庭車庫バス停迄歩いたのですが、辿り着いて時刻表を見ると何と30分以上もバスが無いの。こんな何も無いところで30分も立っていられないし、かと云って今更歩き廻る元気も無く、諦めてタクシーを掴まえることにしました。料金:¥1,400 (当時) 所要時間:約10分

39.JR松江駅 まつえ 13:46着 15:08発

散策も途中で挫折し、予定よりも大分早めの松江駅着となりました。駅前で遅い昼食をとってから駅に戻りましたが、その松江駅も大分様変わりしてしまいました。情報提供が前後して恐縮ですが、松江駅前の一畑デパートの手前に観光案内所がありますので、松江市内を観て歩く際にはお立ち寄りの上で情報を仕入れてから出発した方が良さそうですね。訪時には翌日の大山観光を控え、松江から先ずは米子に向かいました。乗車券:¥480 所要時間:約35分

40.JR米子駅 よなご 15:41着 15:55発

翌日は大山詣でをする予定で定期観光を予約してありましたが、生憎と米子駅が始発となっていました。出発時刻も8:30発と早い時間のため、少しでも明朝の移動を楽するために皆生温泉へ宿泊することにしました。米子駅からは日の丸バスで皆生観光センターへ。運賃:¥280 所要時間:約25分

41.皆生観光センター かいけかんこうせんたー 16:20着

42.皆生グランドホテル かいけぐらんどほてる

皆生グランドホテルへの宿泊は翌日の定観バス乗車の為に選定しただけで他意はありません。皆生グランドホテルさんには申し訳ありませんが、取り立てて記憶に残るものもありません。強いて云えば部屋から望めた日本海の海原かしら。娯楽施設を供えたホテルでしたが利用する訳でも無く、ξ^_^ξには無用の長物といったところ。食事内容も前日に水明荘に宿泊してその質・量に驚いていましたので改めて記載する程の記憶もないの。名誉の為に申し添えますが、ターゲットとする客が個人では無く、団体客向けの仕様になっていた−と云うことでしょうか。温泉街にありがちな、そういう意味からすれば常識的な観光ホテルでした。

ここでは左掲のサイトを紹介するに留め置きますね。
☆皆生温泉旅館組合☆

四日目:紅葉燃ゆる大山

神々のふるさとを訪れるという今回の旅の主旨からは外れますが、季節は秋を迎えていましたので、折角だからと大山(だいせん)に紅葉を求めて定期観光バスに乗車してみました。

43.皆生観光センター かいけかんこうせんたー 8:50発

皆生温泉からは日本交通バスの定期観光・ひるぜん号に乗車しましたが、残念ながら通年運行ではなくて春と秋の特定期間の運行なの。同社のサイト上にも情報の記載がありませんので御利用に際しては下記へお問い合わせ下さいね。対象期間外にお出掛けになる方にはあまり参考にならないかも知れませんが御容赦下さいね。

運行期間 春:4/15〜5/31
秋:10/1〜11/25
乗車料金 ¥4,330(当時)
所要時間 約6時間 日交バス TEL:0859-33-9111

中国地方で最も標高の高い大山ですが、実際には大山という山がある訳では無くて、弥山・剣ガ峰・三鈷峰・宝珠山・甲ガ山等からなる火山群の総称なの。ブナなどの広葉樹が紅に染まる大山環状道路や、高原の風を受けて走る蒜山大山スカイラインは気持ちの良いものでした。路線バスを使ったアプローチも調べてみたのですが、大山寺への運行はあるものの、他の地域を結ぶ運行路線が無く、残念ながら不可能のようですね。路線バスも定期観光バスの運行も無いとなるとレンタカーなど、車での移動に頼らざるを得ませんね。後は旅行会社が独自に主催するツアーを見つけるしか方法が無さそうね。

44.大山寺 だいせんじ 9:20着 10:10発

参道 駐車場からは大山寺への参道が延々と続きます。と云ってもいきなり階段がある訳ではありませんが、石畳の坂道が続くの。小さな旅館や土産物店が軒を連ね、ξ^_^ξには意外な賑わいでした。その中に大山寺郵便局を見つけて記念貯金。参道を登るとやがて石段が見えて来ますが、時間が無くて見学出来ませんでしたが、この石段登口の左手に大神山神社奥宮への参道が続くの。元は大山寺の鎮守社だったのですが、後の神仏分離で奥宮となり、国内最大級の権現造りの社殿、参道途中の表裏逆に建つ神門が見ものだそうよ。

石段 その表裏逆の神門ですが移築の際に表と裏が逆になってしまったそうで、さてはて移築はその道に才長けた方々の手になるものでしょうに、寺院建築に明るかったものの神社のそれは不慣れだったのかしら。お蔭で名所が一つ増えたことになりましたが。尚、大山寺バス停からは30分程掛かりますので時間の余裕を持って御参拝下さいね。参道右手には賽の河原と呼ばれる景勝地もあるの。

本堂 大山寺は金蓮上人が養老2年(728)に開基したと伝えられる天台宗の古刹。大山修験者の根本道場として栄え、一時は僧兵数千人を抱える程の隆盛を持ち、江戸期には米子藩の力の及ばざるところだったようですが、御多分に漏れず、明治期の廃仏毀釈により衰退してしまったの。土産物店や小さな旅館が多く建ち並ぶ参道ですが、嘗ての宿坊などが元になっているみたいね。拝観料(参拝志納金):¥300

むか〜し昔のことじゃ。この辺りに依道という猟師がおってのお、山に入っては獣を捕らえて生活しておったそうじゃ。そんなある日のことじゃった。獲物を探して彷徨っておったところ、金色の毛をした狼が突然目の前に現れたそうじゃ。矢を番えている暇も無く、その狼はその場を逃げ去ったのじゃが、金色の狼なんぞやたらにおるもんじゃありゃせん、掴まえてみんなに見せびらかそうと思って必死で追いかけたそうじゃ。そうして大山まで来たときのことじゃ。ようやく追い詰めたと思うておったら、ヒョイとほら穴に逃げ込んでしまったのじゃ。折角の珍しい獲物じゃ、逃がしてはなるまいと矢を番えて待ち構えておったそうじゃ。

しばらくそうして待っておったのじゃが、さすがの依道も疲れてきてしまってのお。一呼吸おいて弓を構え直そうとしたときじゃ。洞穴から金色に輝くお地蔵さんが現れたそうじゃ。お地蔵さんに矢を向けたらとんでもないバチが当たると直ぐさま弓を降ろしたんじゃが、はてさて、あの狼はお地蔵さまの化身じゃったのか、きっと今まで沢山の殺生をして来たことを悔い改めるよう仰せつかっておるのじゃな、そう思うたそうじゃ。そうして今までの所業を悔いて、自慢の弓矢を捨ててしまったそうじゃ。

すると今度は目の前に大山の山の神が現れたそうじゃ。−吾こそはこの大山に住まう山の神ぞ 汝誠悔いる心根あるや 吾と共にこの地蔵を拝むべし−そう云うたそうじゃ。すっかり得心した依道は洞窟に籠って地蔵さんを拝み、何年も修行に励んだそうじゃ。やがて金蓮という偉〜いお坊さんになったそうじゃ。とんとむか〜し昔のお話しじゃけんども。

日本古来の霊山信仰が仏教と結びついていく様子が描かれた昔話ですが、山神が地蔵を拝め−と諭す辺りは土俗信仰と仏教の地位逆転を示すものとして面白い描写ですよね。

撫牛 境内の一角には御覧の撫牛がありました。頭を撫でると御利益があると云われ、参拝客が皆して撫でて行きますので額の部分だけが錆びずにいるの。本堂脇には開運鐘と名付けられた鐘が架かる鐘楼もあり、誰でも自由に鐘をつくことが出来ますよ。面白がって鐘をつきまくる連れでしたが百八つでも衝くつもりだったのかしら。そんな連れの2人を放っておいて写したのが下の写真です。生憎の曇り空で残念でしたが晴れていれば大山北壁や宍道湖・日本海なども視界に収めることが出来ますよ。

景観 景観

本堂からは少し歩きますが、大山寺現存堂宇の中では最古の阿弥陀堂があるの。本尊の阿弥陀如来坐像と両脇侍像は堂宇と共に国重要文化財に指定されているの。ですが、本尊拝観は事前予約が必要で拝観料¥3,000也。興味のある方は TEL:0859-52-2158 へお問い合わせ下さいね。

その他参道途中には霊宝館があり、大山寺の社宝が展示されているの。白鳳期に作られたという銅造の観世音菩薩立像など仏教美術に興味をお持ちの方には必見の宝物殿。山岳仏教の始祖と云われる役小角像もあるの。大山寺バス停のある駐車場脇には入館料無料の鳥取県立大山自然科学館がありますので、視点を変えて、大山の大自然と歴史についてちょっとしたお勉強なんてどうかしら。けれども大山寺周辺を一通り見て歩くには少なくても半日以上は必要のようで、与えられた一時間程度では大山寺本殿への往復がせいぜいでした。旅館などの宿泊施設も多く、宿坊に泊まり精進料理を楽しむことも出来ますので、余裕があれば一泊してから蒜山高原などへ出掛けたいものですね。

45.桝水高原 ますみずこうげん 10:20着 10:30発

桝水高原 大山からの豊富な湧水から名付けられたという桝水高原。伯耆富士の別称を持つ大山ですが、この桝水高原から眺めた大山が一番富士に似ていると云われているの。生憎と頂上が雲に覆われて全景を仰ぎ見ることができませんでした。桝水高原のある溝口町には日本最古の鬼伝説が伝えられ、鬼ミュージアムではその鬼にまつわる展示がされています。他にも日本最大級のフラワーパーク・とっとり花回廊があるの。詳しい観光案内は 伯耆町HP を参照願いますね。

46.二の沢 にのさわ

二の沢 ブナやナラの広葉樹の紅葉を車窓から堪能出来る大山環状道路ですが、途中には大山の厳しい自然を垣間見せる崩落跡もあるの。一の沢、二の沢、三の沢とあり、写真はその二の沢の景観です。コンクリートの人工堰もあるのですが、大自然の前では人間の力も遠く及ばず、今にも岩に埋もれそうね。

47.鍵掛峠 かぎかけとうげ 10:45着 11:00発

鍵掛峠 大山随一の景観スポットの鍵掛峠展望台ですが、稜線が雲に覆われて剥き出しの岩肌を曝した大山を見ることが出来ずに残念な思いをしました。晴れていれば青空の下、裾野に広がる紅葉絨毯とのコントラストが素敵な景観を見ることが出来た筈なのですが。

48.鬼女台展望台 きめんだいてんぼうだい 11:25着 11:30発

鬼女面展望台 鬼女台展望台から大山を望んだところですが奥に聳えるのが大山で、手前の山は烏ケ山と呼ばれる山なの。女性の寝姿に形が似ていることから命名されたそうですが。それはそうと鬼女台とは。麓の溝口町には最古の鬼伝説が残されていると聞きましたが、この辺りにも鬼が住んでいたのでしょうね。鬼と云えば普通は男性の鬼しか思い浮かばないのですが、鬼女というからには女性の鬼もいたのでしょうね。それとも山姥かしら(笑)。

49.蒜山高原 ひるぜんこうげん 11:40着 13:10発

蒜山高原センター 蒜山大山スカイラインを抜けると牧歌的な風景が広がる蒜山高原に出ます。大山の東側に連なった蒜山三座と呼ばれる上蒜山・中蒜山・下蒜山の麓に広がる高原で、長閑に草を食むジャージー牛の姿があちらこちらに見られるの。

西の軽井沢と称される蒜山高原には高原リゾート地として各種施設があるの。蒜山高原センターで昼食という設定でしたが近くのスタンド・ショップで買い求めたジャージー牛乳から作ったアイスクリームの味が今でも忘れられないの。今でこそ珍しくはなくなったジャージー牛乳ですがξ^_^ξはこの時初めて味わいました。濃厚な味で高原の風を受けて食べたせいか殊の外美味でした。

このジャージー牛ですが見慣れたホルスタインに較べて小型というかほっそりとした体型の牛。元はイギリス領のジャージー島に住んでいたものが改良されて今日に到っているのですが、この蒜山高原にやって来たのはξ^_^ξも未だ生まれる前のこと。それが今では日本一の飼育頭数になっているの。脂肪分や蛋白質など牛乳の良し悪しを決める成分のいずれもがホルスタインのそれを上回り、高原で思いのままに草を食むことで更に濃厚な牛乳が出来るの。スーパーでジャージー牛乳を見つけて買い求めてみたのですが、やはり地元で新鮮な内に味わうものとはどこか違うみたいね。

50.JR米子駅 よなご 15:00着 17:40発

米子駅からは米子空港行きの連絡バスに乗車したのですが、3時間近くの待ち合わせ時間があり、どこで何をして時間を潰したのか記憶もないの。さすがに10年は忘却の彼方へ過ぎ去ってしまいました。
料金:¥570 所要時間:約25分

51.米子空港 よなごくうこう 18:05着 19:15発

手続きを済ませて搭乗案内を待っていたのですが、搭乗機が羽田で整備に手間取り、到着が遅れている旨のアナウンスがありました。30分以上も待たされて乗り込みましたが、整備に手間取ったなんて何か機体にトラブルでもあったんじゃないかしら−と不安になるような案内よね。他に云い方というか云い廻しは無いのかしら。搭乗券:¥26,500(通常期)所要時間:約70分

52.羽田空港 はねだくうこう 20:25着

些か不安を覚えての搭乗でしたが無事羽田空港に到着。ホッと胸を撫で下ろしました。


こうして10年前を振り返って記述してみると思いがかなったこともあり、結構色々なことを覚えているものなのですね。見たもの食べたものは自分のもの−ね。宍道湖の夕陽を求めて宍道湖大橋を駆けたことも、風土記の丘で疲れ果ててしまったことも今では楽しい思い出です。10年という時間の流れを経て新しく出来た観光施設もある一方で、当時は可能な旅程も運行バスの廃止などの理由から出来なくなってしまったものもあるの。神話の故郷・出雲には古の浪漫がたなびいて旅人の心を駆り立ててくれました。記紀に描かれた神話の舞台は多方面に亘り、その全てを踏破した訳でもありませんので、機会を見つけて再び訪ねてみたいものですね。それでは、あなたの旅も素敵でありますように‥‥‥

〔 参考文献 〕
岩波書店刊 日本古典文学大系 日本書紀
八重垣神社発行 八重垣神社説明概要






どこにもいけないわ